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第2部2話 苦し紛れの大嘘

 家庭教師を解雇されてからの3日間は、とにかく生活基盤を整えるだけで精一杯だった。


 朝から晩まで動き回り、気づけば夜になっている。そんな日々の繰り返しだった。


 幸い、思いのほか多かった家庭教師の給与が手元にあったため、それを元手に動くことができた。まずはゴンザレスに頭を下げ、2階の空き部屋を貸してもらえるよう頼み込んだ。家具についてはデニムのルートを頼って一通りをそろえ、ババル達竜人の力自慢たちに手を借りて一気に運び込む。


 ただ部屋を用意すればいいというわけではなく、この世界の生活インフラの仕組み──水の確保や魔石を使った灯りの扱いなど──については、ゴンザレスとデニムの二人からつきっきりで学ぶ必要があった。蛇口もスイッチも存在しない生活は、思っていた以上に神経を使う。


 元の世界とは勝手が違いすぎる環境に、頭も体も初日からフル回転だった。


 4日目の昼、ようやく俺は一息つき、少しの休憩時間をとることができた。


 ふと懐を検分すると、既にもらった給与の3割が消えている。生活を立ち上げるだけでこの出費だ。今度は一刻も早く、新しい仕事を見つけなければ生活が破綻する。


(どうせやるなら塾が一番イメージがつくんだが……)


 手元で数字を転がしながら考える。だが、この交差界を見渡してみても、いわゆる「受験5教科」の指導が切実に必要とされているようにはどうしても見えなかった。文字の読み書きや簡単な計算ならともかく、受験勉強などの需要はあまり無さそうに感じた。さて、どうしたものか。


「しっかし、城の連中はなんだって先生をクビにしたんだ?」


 俺が今後のキャリアプランについて深刻に悩んでいることなど一向に気にせず、ゴンザレスは随分と甘そうな氷菓子をスプーンですくいながら、不躾に問いかけてきた。


「知らん。お城のお偉方は、どうも、俺と姫が『必要以上に仲良く』なっているように見えてるらしい」


 俺は皿洗いの手を止め、ひらひらと手を振りながら、いかにもどうでもよさそうに答えた。実際、俺にとっては邪推以外の何物でもない。


「必要以上に仲良く……って。おいおい、男女の仲ってことか? 先生と姫が? ……」


 大真面目な顔で言葉を区切ったのはデニムだった。それを聞いたゴンザレスは、口の中に氷菓子を放り込んだまま、獣のような大声で笑い出した。


「城の連中って、本当に馬鹿だな。そこまで──」


 ワハハとゴンザレスのゴンザレスの笑い声が、店内に響く。


 その瞬間だった。


ドカー――――ン!!


 地響きを伴う、まるで砲撃を思わせるような凄まじい大音が、城の方角から響いてきたからだ。


 それも一度きりではない。

 

 間髪入れずに複数回、大気そのものが揺さぶられる。


 窓ガラスがびりびりと震え、棚に置かれた木製の食器がかたかたと音を立てた。


「この音は?」


 さすがに経験のない衝撃音に、俺は心臓が跳ね上がるのを感じ、若干ビビりながら外の様子を窺った。


「あぁ、これは姫が壁をけ破ってる音だよ」


 しかし、ゴンザレスとデニムの二人は、まるで夕立の音でも聞いたかのように慣れっこな様子で淡々と言い放つ。


「おいおい……」


「でも、今回は多いな……普段は1回~2回程度なのに……」


 デニムが首を傾げた直後、さらに激しい轟音が鼓膜を叩いた。


ドカー―――ン!!


「これ……城、半壊してないか?」


 あまりの頻度と破壊音の規模に、俺は純粋な疑問としてそう呟かざるを得なかった。城壁の強度がどの程度かは知らないが、明らかにただの八つ当たりの域を超えている。


「あ、あぁ。これはただ事じゃないな……」


 さすがのゴンザレスも笑い声を消し、顔を引きつらせている。


ドカーーーーン!!


 ようやく音が収まった。


 頭の中でカウントした回数から察するに、優に10個以上の壁が物理的にぶち抜かれたような気がする。これ、怒りに任せて城内を最短距離で強行突破してきたんじゃないだろうか。案内される通路を無視して、壁を壊しながら。


 警備の兵士たちの中に、圧死したような死人が出ていないことを祈りながら、俺は脳内で姫の現在のベクトルとその目的地をシミュレーションした。


「なぁ、先生? 姫ってたぶんここに来るよな?」


 ゴンザレスが頭を左右に振りながら、やれやれといった表情で俺を見た。


「……ま、多分な……」


「先生、この物件を安くは貸すが、もしここが破壊されたときの補修費は、全額実費でそっちに請求するからな」


「まじかよ……俺の責任か? それ? 王家に請求しろよ」


 俺は理不尽な通告に悪態をつきながらも、迷わず1階の正面ドアを完全に開放した。


 今までの観察からして、あのじゃじゃ馬は興奮すると扉という概念を忘れる。もしこのテンションのまま突っ込んできた場合、ノックなどせずにドアごと蹴破って乱入してくるに違いない。


 被害を最小限に抑えるためのリスク管理だ。


 開放してから10分もたたないうちに、開け放たれたドアの向こう、通りの先から猛烈な土煙を上げてこちらへ一直線に走ってくる少女の姿が見えた。


 石畳を蹴るたびに砂煙が舞い、沿道の人々が慌てて道を開けていく。


(あいつが絡むと、現実の風景もギャグ漫画にしか見えなくなるな……)


「先生! どういうことよ!」


 案の定、怒髪天を突くといった勢いでエレン姫がテナントに踏み込んできた。


 しかし、次の瞬間、彼女はピタリと足を止めた。


「これ……どういうこと?」


 姫は目を丸くして、室内の様子を見回している。


 ロビーには大小の木製テーブルと椅子が並び、奥には落ち着いて話ができる面談用の半個室まで用意されている。


 さらにカウンター脇には簡単な調理設備まで備えつけられ、数日前まで空きテナントだったとは思えないほど、生活感のある空間へと仕上がっていた。


「ん? あぁ。異種族相談センターのロビー兼会合所だよ。それより遅かったな」


 もちろん、遅かったなどとは微塵も思っていない。心臓はまだバクバクしている。


 だが、ここはどんな出まかせを使ってでも、まずはこの目の前のダイナマイトを信管ごと黙らせなければ、俺の物理的な命にかかわる。


「遅かった? ってどういうことよ!」


「ま、家庭教師はクビになったが、民間人として姫の異種族相談センターに対する熱意は信じていたからな。いずれはここに来るだろうと準備をしていた」


 俺がさも当然といった風に腕を組んで告げると、背後でゴンザレスとデニムが目を真ん丸にしている気配が伝わってきた。


 そのはずだ。二人にこんな意図は一言も話していない。


 今、この場で、俺の脳細胞がフル回転してでっち上げている真っ赤な嘘だ。


そもそも、このテナントのレイアウトは、異種族相談センターの受付にも見えるし、カフエにも見える。そして今後、もし塾のニーズを掴むことができたら自立型学習の個別指導塾としても活用できるかもしれないと思っている。


 要はまだまだ役割を与えられていない空間なのだ。だからこそ、今ついてる嘘も100%の嘘じゃないから、ギリギリ許されるはずだ。


…多分…


 俺は今、目の前で肩を上下させている姫の覇気をおさめるため、それだけを目的に必死の防衛トークを展開していることを自覚していた。


 だが、俺の言葉を聞いた瞬間、姫の瞳はみるみる輝きを取り戻していく。


 その様子を見た時、俺の中では嫌な予感だけが膨れ上がっていた。


 そして、この苦し紛れの方策が、まさか姫の本格的な「家出」を確定させ、さらにはあの敵意むき出しの女剣士アリスの合流にまで繋がっていくなんて、この時の俺は微塵も想像していなかった。

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