第9話 石の机が先に壊れた
俺の合図とともに、二人の腕相撲は始まった。
応接間の空気が一瞬で変わる。さっきまで漂っていた茶の香りが、どこか遠くへ消えた気がした。
城壁を蹴破り、大の大人を一撃でノックダウンさせる姫の力は人外かもしれないが、相手は竜人。腕の太さは姫の二倍はある。素人目には決着なんて火を見るより明らかだ。
――だが。
両者の腕は、微動だにしない。
筋肉がきしむ音が、聞こえた気がした。
ババルも驚愕している。攻めきれないのだろう。
「やるな・・・嬢ちゃん」
「ババル・・・あなたもね!」
ここはいつから少年漫画の世界になったんだ、と心の中で突っ込みを入れつつ、俺は決着の時を待つしかなかった。
沈黙が重い。
息を呑む音すら聞こえる。
一秒が一時間にも感じるような緊張感。
――先に悲鳴を上げたのは、ババルでも姫でも、俺でもない。
二人の戦いの舞台となった「石造りの机」だった。
一枚の石を削って作ったのであろう分厚い机。その表面に、細いひびが走るのを俺は見た。
うそだろ……。
次の瞬間。
ガリン!!という大きな音を立てて、石の机が砕け散った。
二人の腕は、スタートの位置から一切動いていない。
今は空中で止まっている。
え?これどうなるの……結果は?
二人の顔を見れば、答えは分かった。
漫画的に言えば、きっとこの顔を“いい笑顔”と言うのだろう。
「へへへ」
「ふふふ」
「すげーな嬢ちゃん・・・まさかこの机が先に逝っちまうとはよ・・・いいぜ、認めてやる。あんたの提案、この区域の竜人街総出で応援してやるよ!」
「ほんと!ババルありがとう!!」
そう言って、姫はババルの腕を上下にブンブン振っている。
「痛い、痛い、嬢ちゃん落ち着け」
「よおし、そうと決まれば、まずは町の連中にこのことを伝えないとな!そして、宴会だ!新しい仲間を祝ってな!」
――数十分後。
竜人街の広場は、すでに宴会場へと変わっていた。
巨大な焚き火。
焼ける肉の匂い。
笑い声と歌声。
豪快にぶつかるジョッキの音。
竜人が陽気な連中だというのは本当だった。
人間が二人混ざっていても誰一人気にしない。むしろ、エレン姫の怪力を称える話で大盛り上がりだ。
並べられた料理は、見渡す限り肉、肉、肉。
巨大な骨付き肉、丸焼き、串焼き、煮込み。
……四十歳の胃袋には、正直少しきつい。
だが食事は関係性をつなぐ基本だ。今日だけなら羽目を外しても多分大丈夫。持ってくれ、俺の胃袋。
そう思いながら宴会を楽しんでいると、背後から声が飛んできた。
「おう、先生も楽しんでるか?」
ババルだ。
「ええ、楽しんでますよ。異世界に来て一番楽しい一日になっていますよ」
「そうかそうか!ところで、あそこに1品見たこともない肉料理があるんだが、あれは先生からかい?」
「そうですよ。竜人の方は肉料理が好きだと聞いていたので、私がいた世界の肉料理を作ってお持ちさせていただいたのです。材料はこの世界のものを使っていますが、元いた世界ではローストビーフと言われていたものです」
「そうかそうか!あんたも俺たちの文化をちゃんと調べてから来てくれたんだな!うれしいぜ!おぅ、お前ら!こちらの肉料理はわれらがエレン嬢の先生の手作りらしいぞ!ありがたくいただけ!」
歓声が上がる。拍手まで起きた。
異世界でローストビーフがスタンディングオベーションを受ける日が来るとは思わなかった。
「あのお料理、すっごくおいしかったけど、先生って、料理できたの?」
「一人暮らしが長いんですから、一通りはできますよ」
「じゃ、次はお料理も教えてもらおうかしら!」
「はいはい・・・」
そう言って、何気なく姫の右手を見た瞬間、俺の顔面は蒼白になった。
「ひ・・・姫・・・?」
「何、先生?どうしたの??」
「その右手・・・」
「あぁ?これ?ババルとの腕相撲で彼の爪が少し食い込んでね・・・ちょっと血が出ちゃったからガーゼを借りたの」
――あ、これ本当に終わりだ。
次の戦場は王城。
ラスボスは王と王妃だ。
俺は明日、生きていられるんだろうか。




