第四十九章
年が明けた。リハビリが進み、義足をつけた訓練が進むと、オレこと高藤哲司は腰に強い痛みを感じるようになっていた。まだまだ馴染んでいない義足でバランスを取ろうとして、オレの体は必要以上に緊張しているみたいだ。
病院で面倒をみてくれる理学療法士から教わるストレッチや電気治療で、腰痛は徐々に緩和していたけど、それだけではとても足りない。
友達の唐沢隆が見舞いに来るたびに腰をもんでくれるのは、本当に助かる。でも、一番気持ちいいのは……お母さんのマッサージだ。力もないし、下手するとさすってるだけなんだけど、どうしてだろうな。体の緊張が取れて、腰の痛みがすっと抜けていく気がする。それで、二、三日に一度、着替えの交換なんかで病院に来るお母さんに、オレは毎度マッサージをねだった。
「お母さん、腰押してくれない?」
「ええっ、またなの!?」
お母さんは明らかに嫌そうな顔をした。
「うん」
言いながらオレはベッドにうつ伏せになる。
お母さんは長い溜息をついてベッドの端に腰かけて、オレの腰をさすりながらブツブツこぼした。
「もう本格的なリハビリも始まっているんだし、私がマッサージしたって効果ないわよ。看護婦さんと相談して、もっといい方法を探しなさいな」
オレはお母さんの温かい手でうっとりしながら、「う~ん」と曖昧な返事をした。
だって、事故で寝たきりになって、リハビリはヤバいくらいに大変だけど、とびきり良いことも起こっているから。生まれて初めてお母さんにたくさん触ってもらえているんだ。
腰痛が和らぐのもホントだけど、それ以上に心がマッサージされている気持ち良さに、オレは天にも昇る心持ちだった。
あの事故の直前、「あんたなんか産まなきゃよかった」って言われたけど、きっとオレが家のお金を盗んでショックだったからに違いない。だってそれが本心だったら、オレの意識が戻った後、こんなに甲斐甲斐しく世話をしてくれるはずがないだろ?
だからオレはすっかり気を許して、お母さんに甘えたことを言った。
「嫌だよ、お母さんがいいんだ。これからもずっと」
途端に、お母さんの手が止まった。
病室の静けさが、やけに耳に響く。廊下の向こうでナースコールの音が鳴る。
振り返ると、お母さんは自分の腕を両手でさすっていた。
「どうしたの? 寒い?」
オレは心配して尋ねたが、お母さんはさっと体を離し、突然声を荒げた。
「『これからもずっと?』 そんなのありえない!
病院に来るたびに、お前からマッサージをねだられて、私の手は腱鞘炎になりそうなのよ! 体は大きいし、筋肉は固いし。もっと自分で努力してくれないと困るわ!」
その言葉に、オレは驚いた。
「もちろんリハビリはちゃんとやってるよ。でも、腰痛がなかなかよくならなくて……。お母さんにマッサージしてもらうと、痛みが減るんだよ。さするだけでいいから、やってくれない?」
お母さんはベッドから立ち上がり、オレをにらみつけた。
「ダメよ! そんなの努力が足りないだけじゃない。包丁を握るだけで手が痛くなるのに! もうこれ以上やらなくていいわよね?」
オレは、お母さんの言葉に傷ついた。
「嫌だ! お母さんがいいんだ! 間を開けてもいいけど、マッサージは続けてよ!」
「何自分勝手なことを言ってるの!」
お母さんが顔を真っ赤にして、ぴしゃりと言った。
「15歳にもなって、思いやりを持てないなんて、人としてダメよ。自分の都合ばかりを押し付けるのは間違ってるわ」
オレをたしなめるような表情でお説教をするお母さんを見て、オレはふと疑問を持った。
「じゃあ、お母さんはオレに思いやりを持ってくれないの?」
「はあ? 持ってるじゃない!!」
「いや、それならリハビリで辛いオレのお願いを断ったりしないと思うんだけど」
「バカ言わないで。思いやりがあるから、これまで何か月もマッサージし続けたんでしょう?
やめたいって言ったのは、私の腕が限界だからよ。私はマッサージ機じゃないんだから」
お母さんは痛そうに両手をぶらぶらと振った。
「だいたいねえ、甘えてこないでほしいのよ。こんな大きななりで気持ち悪い……」
無意識に出た言葉に、お母さんがはっとして自分の口を押さえる。
途端にわかった。お母さんの表情に、あの時と同じ嫌悪の色が浮かんでいることを……。
そうだよ。オレが目覚めた後、お母さんはオレが痛がっているかどうかなんて、まるで気にしていなかった。妹の由美が、オレへのマッサージをお母さんと一緒にやりたがるから、仕方なく付き合っているだけだったのは、お母さんを見ていて、わかっていたじゃないか……。
焦った表情で目の前に立っているお母さんを見ていると、一年前のあの日、お母さんが放ったひどい言葉が次々と頭の中を駆け巡りだす。
やっぱりオレはいらない子供なのかな。……お母さんが愛しているのは、由美だけ。オレが入る余地なんて、最初からどこにもなかったんだ……。
お母さんに嫌われていることがはっきりしたオレは、わが身を哀れむ絶望感と抑えが効かない激しい怒りとに襲われて、瞬間、目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
「ちくしょお!」
オレは手元にあった皿をお母さんめがけて投げつけた。
パリーン!!
「きゃあああ!」
コントロールが悪くて、皿はお母さんの横の壁に当たって割れた。
「な、何するのよ!!」
目を丸くして叫んだお母さんの顔なんか、もう見たくない。
「帰れ!」
布団を被ってオレが叫ぶと、カチャカチャと割れた皿の破片を片付ける音がして、扉が閉まった。
お母さんがいなくなり、静まり返った病室で布団を被ったまま、オレは一人震えていた。
心を温める時間。あの優しい手。それが全部、失われてしまったから。
大きなビー玉が喉につかえたようになる。ハッハッと酸素を求めて喘ぐ胸、開きっぱなしの眼球にはみるみる涙が溜まっていく。
そんなオレの様子に気づくこともなく、病室の前の廊下を、看護婦さんが二人、きびきびと話しながら歩き去っていき、病院の館内放送がかすかに聞こえてくる。
オレは声が漏れないように、枕に顔を強くうずめた。取り返しがつかない。どうすることもできない。永遠に失ったものの大きさが、オレに後悔を迫ってくる。
切り裂かれるような痛みは、いつしか涙の粒に変わり、オレの目からいつまでもいつまでも川のように流れ出ていった。




