第四十八章
「ふう……」
お父さんがいなくなったのを確認して、唐沢隆が大きな息を吐いた。
「やっといなくなったあ!」
「そういう言い方するなって」
川上太一さんが穏やかに笑って唐沢を諭した。
「息子が障碍者になったんだ。加害者に良い感情を持たないのは当然だ」
「すみません!」
オレこと高藤哲司は3人に頭を下げた。
「それでもお父さんのあの言い方はひどいです。本当にごめんなさい……」
大切な友達をけなされて、オレは怒っていたし、ひどく悲しくなっていた。萎れているオレの肩を、太一さんが優しくぽんと叩いた。
「哲治が気にすることじゃない。むしろ、俺がもっときちんとしないとダメな話だ。お父さんの言っていることはもっともだよ」
「でもよお」
唐沢が口をとがらして言った。
「哲治のことを、ずいぶんけなしてるじゃねえか! 『馬鹿』だの『頭が足りない』だの、息子に向かってフツーそんなこと言わねえだろお!」
プリプリしながら、唐沢が怒りをぶつける。
「さっきも帰るときによお、『馬鹿につける薬はない』ってボソッと言ってたけど、あれって哲治のことだろお? なんであんなに冷てえんだよ。哲治がかわいそうじゃねえか!」
「なあ、唐沢。お前、本当にそう思うか?」
川上直樹が珍しく、静かな声で言った。
「どういうことだあ?」
唐沢が眉をひそめると、直樹はちらりとオレを見てから、少し考えるように言葉を選んで続けた。
「俺さ、哲治の親父をずっと見てて思ったんだけど……」
直樹が腕を組んで、ポツリと言う。
「あの人、ホントは哲治に『勝ち続けたい』だけなんじゃね?」
「勝ち続けたい?」
オレと唐沢がよくわからなくて顔を見合わせたのを見ると、直樹は少し間を置いてから続けた。
「つまり、こういうことさ。
あのお父さんが一番自慢できるのは、『いい大学に入れるくらい頭がいいこと』だろ?
対する哲治はあんまり勉強が得意じゃないから、お父さんみたいに有名大学に入るのはかなりハードルが高い」
「うん、それはそう」
オレが頷くと、直樹が言った。
「お父さん的には、『頭がいい=いい大学に入れる=人生の成功者』って価値観にしちゃえば、自動的にお前に勝ち続けられるじゃん?
だから、あの人、『頭がいい』ってことにあんなに執着してんじゃないかなあ?」
「はっ!」
と馬鹿にしたように唐沢が笑って言った。
「なんだよお、それ。野球ならそんな自分勝手なヤツがチームにいたら、すぐ総スカンだぜえ?」
「だな!」
笑って直樹が説明を続ける。
「究極的にはあの人、自分が有利なルールに哲治を一生従わせたいんだ。
だから最近、哲治がそのルールを無視して、あの人の支配下から抜け出そうとしているのがめちゃくちゃ不愉快で、あんなに怒鳴り散らしているんだよ」
直樹の言葉に、オレは驚いた。お父さんがそんなちっぽけな人間だったなんて……。
もしそれがホントなら、オレが知っているお父さんの姿は、だいぶ誤解したものだと思う。だけど……。
「そんなことじゃないと思うよ」
お父さんに何度も言われた言葉を反芻しながらオレは反論した。
「だってお父さんはオレの頭が良くなるようにって、期待して塾に通わせてくれていたんだから……」
胸がズキッと痛んで、オレは思わずうつむいた。すると、オレの目を見て話そうと、太一さんがベッドのわきにしゃがみこんだ。
「哲治、人間の出来不出来は学校の成績だけでは決まらない。
人生はもっと豊かなんだ。お父さんの言葉だけに縛られる必要はないんだぜ」
オレは不思議な気持ちになって太一さんを見つめた。太一さんが照れたように言う。
「……っと、これは伯父さんの受け売りなんだけど」
「そういえば兄貴、秋田の伯父さんによく連絡取ってるよな」
直樹に聞かれて太一が答えた。
「ああ、事故を起こした後、おふくろが俺を心配してさ。お坊さんをやってる伯父さんに話を聞いてもらえって」
「お母さんのお兄さんってことですか?」
オレが聞くと、太一さんが頷いた。
「そう。俺たちが小さいころに、おふくろは離婚しちゃったから、何かあるたび、伯父さんが助けてくれるんだ。今回の件でもだいぶ面倒をかけちまって……」
目の色が暗くなった太一さんは、心配そうなオレの視線に気が付いて、すぐいつものように落ち着いた様子で話し始めた。
「それでさ、哲治。お前の意識が戻らず、いつ死ぬかもわからないあの半年で、『命の重さ』について、俺なりに向き合ったんだよ」
言いながら真剣な顔になり、太一さんは話し続ける。
「出た結論は1つ。『自分がやってしまったことには、全責任を持つ』ってことだ。
もし仮に今、俺が罰金を払い終わって免停も終わったからって、苦しんでいるお前を置いて逃げたとするじゃん?
そうなったらさ、俺は一生罪悪感に襲われながら、毎日を生きることになるんだよ。お前のことを気にしながら、今更会いに行くこともできない自分の卑怯さを呪いながらさ……」
そんな悪夢を拭い去るように両手でごしごしと顔をこすって、太一さんが言った。
「そんなのお互いにとって全然良くねえよ。だから俺は……」
言いながらオレの手を優しくギュッと握って、太一さんが宣言した。
「哲治。お前が、『オレはもう大丈夫だ』って本気で思えるまで、俺はそばにいる。
それが、俺が俺自身に誓った『責任』だからな。
だから、お前は絶対に一人ぼっちになんかならねえよ」
まっすぐな太一さんの目を見ているうちに、オレの目からポロポロと涙が零れ落ちる。
そんなオレを、唐沢と直樹が両側から優しく支えてくれた。




