第四十七章
それからさらに半年が経った。オレこと高藤哲司は、ベッドから起き上がれるようになり、退院後の生活を想定した、義足をつけて歩くリハビリに入っていた。
「ああ、楽になる……」
「右腰と太ももがパンパンになってるからなあ。すごく優しく押しているけど、痛かったらすぐ言ってくれよ?」
友達の唐沢隆がベッドに横たわったオレの腰から太ももにかけてを、丁寧にマッサージしてくれている。唐沢は野球一筋で筋肉オタクなんだ。義足を付けて立ち上がったオレの様子を見て、右半身の筋肉痛がひどいことにすぐに気が付いてくれた。
「よし、こんなもんだろお」
せいぜい5、6分といったところだが、オレの足腰は驚くほど軽くなっていた。
オレは腰をゆっくり動かして唐沢にお礼を言った。
「うわあ、軽い! どうもありがとう!」
「お安い御用だあ。義足つけてる左側を右側でかばって歩いているから、かなりしんどいと思うんだよお。今度またやろうなあ」
隣で見ていたもう一人の友達、川上直樹もオレの太ももをそっと触って言った。
「あ、ホントだ。さっきより全然硬くないじゃん! 唐沢お前、マッサージの天才だな?」
「へへーん!」
鼻高々な唐沢がかっこつけて、前髪をかき上げるポーズをして言った。
「ゴッドハンド、からさーわー!」
「スポーツ刈りで前髪なんか、ねえじゃんか!」
直樹がふざけて唐沢のほぼ前髪のないおでこをパチーンと叩き、三人でゲラゲラ笑っていると、直樹のお兄さんがスーパーのビニール袋を片手に病室に入ってきた。
「おう! 哲治、元気そうだな?」
「太一さん!」
太一さんは袋の中から真っ赤なリンゴを3個取り出した。
「お見舞い。食べるか?」
「はい!」
太一さんが小さなナイフで器用にリンゴの皮をむくのを見ながら、オレは幸せな気持ちになっていた。
唐沢と直樹、そして太一さんは、オレが意識不明だった半年間も、目覚めてからもずっと毎週2,3回ペースでお見舞いに来てくれている。
最近では、太一さんともすっかり親しくなって、オレのことを「哲治」と呼び捨てにしてくれるまでになった。
とはいえ、直樹は高校受験の追い込みで、慣れない勉強に忙しそうだし、唐沢は早々に特待生入学が決まった甲子園常連校の練習で毎日ひいひい言っている。そして太一さんは来年高校を卒業するから、就職先を探していた。
みんな時間がない中、オレのためにいつも集まってくれている。これが先が見えず不安になりがちなオレをどれだけ元気づけているか、言葉では言い表せないくらいだ。
1時間ほど楽しくしゃべっていたら、突然お父さんが病室にやってきた。途端にみんなしんと静まり返る。
お父さんがオレたちを見て、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「病室だっていうのに、ずいぶんやかましいな」
「すみません!」
3人が椅子から立ち上がって一斉に頭を下げた。オレは冷や冷やしてお父さんに尋ねた。
「お父さん、今日はどうしたの? こんな時間に来るなんて珍しいね」
「すぐ近くで打ち合わせがあってな」
お父さんが重そうなスーパーのビニール袋を持ち上げた。
「リンゴをたくさんいただいたんだ」
言いながら、小さなテーブルに切られたリンゴがあるのを見て、お父さんはため息をついた。
「なんだ、いらなそうだな」
「いいよ、受け取っておく。少しずつ食べるから」
お父さんが棚にリンゴを置くのを見ていた太一さんが、深呼吸をして声をかけた。
「あの……哲治君のお父さん」
「なんだ!」
イライラした様子でにらみつけるお父さんに向かって、太一さんが頭を下げた。
「ご報告があります」
言ってみろ、といわんばかりに両腕を組んだお父さんに向かって、太一さんが言った。
「免許停止期間がもうすぐ明けますので、普通自動車第一種免許を取得しようと考えております」
とたんにお父さんの顔が真っ青になった。
「ふっ、普通自動車免許だと!? お前、哲治を跳ねておいて、車を運転するというのか!!」
太一さんは頭を下げたまま、話し続ける。
「車の運転をして、哲治君の社会復帰までのサポートをしたいと思っております」
「馬鹿なことを!」
お父さんが荒っぽく太一さんの肩を小突いた。よろけた太一さんに、意地悪い顔をしてお父さんが怒鳴る。
「そんなことを言って、お前が車を運転したいだけだろう!? 制限時速から25キロもオーバーしてバイクを運転していたくせに! ダメだダメだ! そんなこと、被害者として許すことはできん!」
お父さんの声は鋭く、太一さんを睨みつけた。しかし、その目にはどこか焦りのようなものが滲んでいた気がする。錯覚かもしれないけれど、ほんの一瞬、唇を噛んで躊躇したようにも見えた。
「お父さん!」
たまりかねてオレは割って入った。
「元々オレが夜中に車道で立っていたのが悪いんだ! 太一さんは免許が1年停止になって、罰金も支払って……もう十分に償ってくれているよ!」
「ふざけたことを言うな!」
お父さんが額に青筋を立てて、オレを叱った。
「ちょっと親切にされたくらいで懐柔されおって! お前の足は生涯治らないんだぞ!? こいつが一生かけてお前の面倒をみるのか? そんなわけないだろう!」
「いいえっ!」
太一さんが頭を上げてお父さんをまっすぐに見つめて言った。
「哲治君が必要としているなら、僕は一生彼の面倒をみるつもりです」
太一さんのその言葉に、オレの心臓が喜びでドキンと跳ね上がった。
「なっ、なっ!」
驚きのあまり絶句したお父さんが、気を取り直して吠えた。
「ふん! その場しのぎの嘘つき野郎め! 加害者の言葉を誰が信じるっていうんだ!?」
「オレは……信じてる!」
最たる被害者であるオレがそんなことを言い出したので、お父さんは目を白黒させながら怒鳴り散らした。
「バカヤロウ! 哲治、お前はこんな作り話に騙されるほどおつむが弱いのか!?」
そしてお父さんはイライラとオレを見下ろした。
「あのなあ! お前のおじいさんだって、そこまで馬鹿じゃなかったぞ?」
言いながら3人をちらりと横目で見て、お父さんが低い声で囁くように言った。
「哲治、その足りない頭でよく考えるんだ。仲がいいのなんて、付き合いのある今のうちだけだ。来年になれば、就職したり高校に進学したりと、あいつらは新しい生活が始まるんだ。そうなったらどうなる? お前だけ行ける高校もなく取り残されて、一人ぼっちになるんだぞ。お前は……」
「哲治!」
突然直樹がお父さんを遮るようにオレに呼びかけた。
「また明後日来るからな!」
「俺も必ず来るぞお!」
直樹と唐沢の言葉に、お父さんは面白くなさそうにちっと舌打ちをした。そして壁にかかった時計を見ると、はっとして焦り始めた。
「おっと時間だ。いいか哲治、また来るから、くれぐれもこいつらの口車に乗るんじゃないぞ。わかったな!?」
その言葉には、オレを守ろうとする気持ちなんて微塵も感じられなかった。だけど……それも慌てているから、そう見えるだけなのか?
オレはカバンを肩にかけようとしているお父さんの横顔を盗み見た。鋭い目つき。感情を押し殺した表情。でもその奥に、ほんの少しだけ、痛めつけられた人特有の悲しさが滲んでいる気がした。
……お父さん、ひょっとして何かに傷つけられている?
慌てているお父さんはそんなオレの視線に気が付きもせず、「まったく、馬鹿につける薬はないな!」と小さな声で悪態をつきながら、さっさと病室から出て行ってしまった。




