第四十六章
「哲治」
衝撃的な告知を受けた数時間後、うとうとしていたオレこと高藤哲司を呼ぶ声がした。目を開けると、ベッドサイドに両親と妹がいた。
「お兄ちゃん!」
中学校の制服を着た妹の由美が目に涙をいっぱい溜めて、オレの顔を笑顔で覗き込んだ。オレは笑おうとしたが、うまくできなかった。
「やっと目が覚めたんだな」
背が高くチリチリの天然パーマのお父さんが、オレを見下ろして言った。
「病院から連絡があって、慌てて飛んできたんだ。どうだ、意識はハッキリしているのか?」
オレは首をかすかに動かした。
「あれ、しゃべれないの?」
由美が悲しそうな顔をすると、お父さんが優しく教えた。
「お医者様の話では、すぐに話せるようになるらしい。安心していいよ」
由美の顔がぱーっと明るくなる。お父さんが部屋の端で荷物を整理しているお母さんを見て、オレに言った。
「半年の間、お母さんがお前の身の回りの世話をずっとしてくれていたんだ。早く元のように動けるようになって、お母さんに孝行するんだぞ」
オレは背中を向けているお母さんを見て、またこくりと頷いた。半年前、両親にひどく傷つけられた気がするけど、お父さんはいつもと何も変わらない様子だ。オレが寝ている間に半年も経ってしまったのだから、そういうものなのかもしれない。お母さんだって……。
そう思っているオレの方を、お母さんが振り向いた。一瞬嫌そうな顔をしたお母さんは、すぐに微笑みを浮かべて話し出した。
「心配していたのよ、哲治。まさか半年も意識不明になるなんてね。気分はどう?」
オレは少し嬉しくなって、またかすかに頷いた。
そこへ看護婦がやってきたので、お父さんが話しかけた。
「このたびは息子がお世話になっておりまして。誠にありがとうございます」
「いえいえ。哲治君、ついに意識が戻りましたね。おめでとうございます!」
朗らかに笑うと、病室にぱっと花が咲いたようになる。由美が看護婦に質問した。
「看護婦さん、質問があるんですけど」
「はい、何かしら?」
「お兄ちゃんの体が早く良くなるように、家族でマッサージしてあげるのはダメなんですか?」
お母さんが慌てたように由美の口をふさいだ。
「由美! ダメよ、そんなわがまま言っちゃ!」
しかし看護婦はにっこりして言った。
「そうね、強い刺激を与えるのはまだ無理だけど、手を温めてあげると血行が良くなるのでぜひやってほしいわ。ただし、最初は短時間で様子を見ながら行いましょうね」
由美が嬉しそうにお母さんを見た。
「わたし、やってもいい?」
お母さんはお父さんとちらりと目を合わせてから、やれやれといった表情で言った。
「しょうがないわね。治療は病院にお任せした方がいいと思うけど、看護婦さんもこうおっしゃっているし、やってみるといいわ」
「うん!」
由美が張り切って制服の上着を脱ぎ、ワイシャツを袖まくりした。看護婦が由美の手を取って説明を始めた。
「最初はちょっとした刺激でも、辛くなってしまうことがあります。皆様、手を出してください」
三人とも出した手を看護婦の両手で次々と包まれた。由美はへえという顔をして言った。
「ぎゅっと握ったりはしないんですね」
「そう。そのくらいそうっと優しく手を包んでほしいの」
看護婦がオレの手を優しく触った。
「哲治君の手はだいぶ冷えていますから、それくらいでもいいマッサージになると思います」
看護婦がお母さんを見て言った。
「最初はお母さまが試されてはいかがですか?」
「え、私?」
戸惑うお母さんに看護婦が言った。
「お母さまがやり方を覚えて、お子さまと一緒にやっていただきたいので」
「はあ……」
渋々といった感じでお母さんがベッドわきの丸椅子に腰かけて、オレの手を取った。
「では、温めてください」
お母さんは一瞬手を止めて、何かを考えるような顔をしたが、すぐに優しい表情に戻り、オレの手をそっと包んだ。
お母さんの手はほんのりと湿っていて、その温かさがじんわりとオレの指先から腕全体に広がっていくようだ。すると、オレはなんだか猛烈に泣きたい気持ちになった。
—恋しかったんだ—
幼いころからずっとずっと喉から手が出るくらいにほしかったもの。それはお母さんからの愛情だ。
オレには、お母さんから頭を優しくなでてもらったり、抱きしめてもらった記憶がない。お母さんに甘えていいのは、女の由美だけだった。オレは男だから我慢しろと言われてきたから。
だけど、寝たきりになって初めて、お母さんに優しく触れてもらえている。オレは手がぽかぽかと温かくなっていくと同時に、心までほかほかになっていくのを感じた。
「あれ、お兄ちゃん、泣いてる?」
由美が目尻にたまった涙をティッシュでそっと拭ってくれた。途端に離れて立っていたお父さんが面白くなさそうにふんと荒い鼻息を出した。
そんなお父さんの様子に気づかなかったのか、看護婦がオレと由美の姿にくぎ付けになって、しみじみと言った。
「家族の愛情が何よりのリハビリですね」
「ありがとうございます。お見舞いに来たときは、なるべくマッサージをしようと思います。なあ」
お父さんが看護婦につかつかと歩み寄り、お母さんと由美に向けて調子よく話すと、由美がにっこり笑って頷いた。お母さんはマッサージを終えた手をハンカチで拭って、「そうね」と答えた。




