第四十二章
高藤由美は兄の哲治からこんな話を聞いて、扉の向こうでけらけらと笑った。
「直樹さん、結婚して子供がいたんだね。しかも二人目も!」
由美の声には驚きが混じっていたが、どこか相手を気遣う柔らかさがにじんでいた。
「そうそう。あの後、直樹は唐沢の話を聞き終わったら、速攻でうちに帰ってたよ」
「赤ちゃん、いつ産まれるの?」
あたしはうーんと考えながら答えた。
「えーっと、たしか1月末だったかな。奥さんと真梨香ちゃんを奥さんの実家に連れて行ったばかりだよ」
「じゃあ今日は直樹さん、早くおうちに帰らなくても平気なんだね」
あたしはふっと微笑んだ。小学生までの由美はかなり天狗になっていて傲慢だったと思うけど、中学生になってから、由美はいつの間にか異様に人に気を遣うようになっていた。あの頃、あの地獄みたいな家で、あたしを唯一軽蔑せずにいてくれたのが由美だったことを思い出す。
「うん、直樹も久々に羽を伸ばせて、今日は楽しいみたいだよ」
扉の向こうで座り直す音が聞こえる。そして由美が言った。
「それにしても、唐沢さんも結婚するなんてビックリしちゃった」
あたしは笑って答えた。
「独身にだいぶ未練があるみたいだけどね~」
由美も笑う。
「でも、自分から『結婚しよう』って言っちゃってるのに、それはないよね」
「酔った勢いだよねー。唐沢らしいっちゃ、らしいと思うわ」
ちょっと沈黙してから、遠慮がちに由美が尋ねてきた。
「あのね、お兄ちゃん……一つ聞きたいことがあるんだけど」
由美の声が、一瞬だけ戸惑ったように揺れる。
「うん、いいよ。何?」
ドアの向こうで、小さく深呼吸する音が聞こえた。
「この前……コンビニに来なかった? 女の人の格好で」
それまでの穏やかな雰囲気が、ふっと変わった気がした。
「今も自分のこと『あたし』って言ってるし……それと、前は太一『さん』って呼んでたよね? いつから呼び捨てになったの?」
「質問二つじゃん」
あたしは笑いながら答えた。
「まず、太一のことから話そうかな。……うん、ちょっと恥ずかしいんだけどさ。あたしたち、今は『パートナー』なの。
実は仙台に行く前から、あたしは太一のことをひそかに好きだったんだけど……」
あたしは仙台についたばかりの自分を思い出しながら言った。ようやく松葉杖をついて一人で自由に動けるようになった頃だった。車の運転席には太一がいて、あたしは緊張しながらも嬉しくてたまらなかったっけ。
「でもね」
あたしは両腕を胸の前で組み、話し続けた。
「太一のことが好きって、言うつもりはなかったんだ。だって、叶わない恋なら、諦めたほうが楽だから。
でも、仙台で一緒に暮らしてるうちに、太一の笑顔を見ると心臓が痛むようになって……もう、黙っていられなくなっちゃったんだ」
「それでどうしたの?」
心配そうな由美の声を聴いて、あたしはふっと微笑んで答えた。
「引っ越して半年くらいしたときかな? 我慢できなくなっちゃってさ。告白ついでに太一を襲っちゃったのよ」
ゴン!
ビックリした由美が思い切りドアに頭をぶつけてしまった。
「あ痛たたたっ!」
あたしが「大丈夫?」と心配して尋ねると、由美は「平気だから続けて」とあたしを促した。




