第四十一章
川上直樹が携帯でメールの返事を打ちながら話し続ける。
「あいつ今ちょうどつわりがひどくて辛いみたいなんだよ。今朝は『大丈夫だから楽しんできて』って送り出してくれたんだけど、夜になったら気持ち悪くてたまらんらしい。さっぱりしたアイスが早く食べたい。真梨香も寝てくれなくてもうヤバい!ってさ」
「うわあ、それは早く帰らなきゃ」
あたしこと高藤哲司はビールを口に運ぼうとした直樹から、ジョッキをひったくった。直樹が笑う。
「なんだよ、哲治、俺のおふくろみたいになってんぞ!」
「そりゃあね」
あたしは直樹のビールをごくごくと飲んで言った。
「身も心もすっかり女だもの」
唐沢隆があたしをしげしげと眺めて言った。
「中学生の頃は、哲治がこんなに美人になるとは、思いもしなかったよなあ」
「まったくだ。『デイジー』って名前もすっかり板についてるもんな」
あたしはにっと笑って言った。
「ありがと。打ち合わせに行っても、みんなあたしが元男だなんて、思いもしないわよ」
再び、直樹の携帯電話が鳴る。直樹が慌てたように言った。
「っと、そろそろ俺は帰らせてもらうんだけど……」
あたしと唐沢が手を振ると、直樹が続けた。
「あと一つだけ! 唐沢、お前、結婚すんの?」
ちょうど口にビールを含んだばかりだった唐沢は、思いっきりビールを噴き出した。
「ギャア、汚い~!」
あたしが焦っておしぼりを唐沢に投げつけると、唐沢がむせながら口を拭い、直樹をにらみつけた。
「な、なんで、それを……」
「んなもん、お前の様子見てりゃわかるだろうが!」
ゲラゲラ笑って直樹が先輩風を吹かした。
「んで、いつよ?」
「いやあ、まだ確定したわけじゃあ……」
焦る唐沢を見て、あたしも突っ込んだ。
「『確定』ってどういうことお? 未確定ながら、何かあったんじゃないのお?」
「ぐっ……」
ジョッキを片手でぎゅっと握りしめながら、唐沢が白状した。
「今付き合ってる女の子とこの前飲みに行ったときにさあ、酔っぱらって気が大きくなってつい、『そろそろ結婚しようかあ?』って言っちゃたんだよお……」
あたしは驚いた。
「えっ、プロポーズしてんじゃん!」
唐沢は必死に手を振って言った。
「いやいや! その場ではさらっと流したつもりだったんだよ! なのに翌週には、彼女のご両親と結婚式場で会うことになっちまって!!」
「きゃあ! 彼女ったらやるじゃん!」
あたしがからかうと、唐沢はうーんとうなりながら頭を抱えた。
「なんかもう、今更結婚しないとは言えないムードになっちゃってさあ。でも俺はまだまだ独身でいたいんだよお」
「それはさ、もうあきらめた方がいいぞ」
直樹がニヤニヤ笑って、唐沢を説得し始めた。
「お前も身を固めるタイミングが来たってことだよ。ちょうど転職も考えているだし、いいんじゃないか?」
「え? 唐沢、野球やめるの?」
初耳だったあたしが驚いて尋ねると、唐沢は頭を抱えたまま答えた。
「通ってた高校の野球部から、監督をしないかって言われてよお」
「腐ってもプロ野球選手だもんな!」
直樹が言うと、唐沢が顔を上げてまじめな表情で言った。
「キャッチャーってさあ、現役期間が長いんだあ。だから一軍に上がれるチャンスがなかなかないんだよお。おまけに下から俺よりうまい奴が出てきてさあ、そろそろ潮時かなあって」
「でも監督なんてすごいじゃん! 唐沢、小さな子に野球教えるの上手だったし、向いてると思うわ。で、もし決まったら、いつからなの?」
あたしが励ますように言うと、唐沢が答えた。
「まだわかんないけど、来年の2月には決まるって話だよお。それなのに、さらに結婚なんて、俺、しんどいなあ」
直樹が新しい大ジョッキを唐沢の前にドンと置いた。
「大丈夫だ! こういうのは勢いも大事なんだよ! 一気にいろいろ変わるのは、悪いことばっかじゃねえ!」
「そうよ! 唐沢の人生の一大転機がくるのね! おめでとう!」
あたしと直樹がジョッキを持ち上げて、唐沢のジョッキにガチンとぶつけると、唐沢はぶーたれた顔でブツブツ言った。
「いや、んだからあ、俺はまだ結婚すると決めたわけじゃないんだよお」
直樹とあたしは顔を見合わせてから、二人で言った。
「だからあ、諦めなって!!」




