第四十章
—梅雨のじっとりとした雨が降る中、あたしは企業との打ち合わせで、半年ぶりに秋田から東京に出てきていたの。それで、仕事が終わった後、友人の川上直樹、唐沢隆と、町田の居酒屋に集まったのよ。—
「かんぱーい!」
「くうううっ、うんめえ!」
大ジョッキのビールを一気飲みした唐沢が、大きなゲップをしながら店員を呼んだ。
「お姉ちゃん! もう一杯!!」
「ったく、おめえは早すぎるんだよ!」
唐沢の後頭部をパチン!といい音を立てて、直樹が叩いた。唐沢が頭をさすりながら笑って言う。
「んなこと言ったってよお。こう暑いとビールがうめえんだよお!」
「ま、そこは否定しねえけどよ」
「だろお?」
言いながらお代わりのビールをがぶがぶと飲んでは、焼き鳥を頬張る唐沢を見て、あたしこと高藤哲司も笑って言った。
「もうすぐ30だっていうのに、唐沢は全然変わんないのねえ」
「練習も試合も多いからなあ。腹が減ってしょうがないし、エネルギー補充しないとなあ」
すると、直樹が携帯電話を見て何やら打ち込んでいる。
「直樹、どうしたの?」
隣に座っている直樹の携帯電話の画面をのぞき込むと、ぎっしり書かれたメールが目に飛び込んできた。
直樹が画面をスクロールしながら言う。
「有梨香からだよ。帰宅時間を教えろとか、帰りにコンビニでアイス買ってこいとか、他にもまあいろいろ」
「妻子持ちは大変ねえ」
気の毒そうなあたしの顔を見て、直樹がニッと笑った。
「そりゃ、奥さんと子供がいたら、自由に飲みに行けないし、使えるお金も減ったけど。いいことだってあるんだよ」
「へー、どんなどんな?」
あたしが興味津々で尋ねると、直樹はちょっと遠くを見てから答えた。
「まずだな。子供が可愛い。とにかく可愛い。家に帰ると『パパ~!』って走りながら玄関まで来てくれて、俺のことぎゅーっと抱きしめて、おかえりのチューをしてくれるんだ」
「わあ、熱烈じゃん!」
「だろ? 一緒にお風呂に入ったら背中の流しっこをするし、アニメを見るときは俺の膝の上って決まってるし。布団の中で『パパ大好き』って言われた日にゃもう!!」
悶絶する直樹をしり目に、唐沢があたしに向かって言った。
「まったく直樹がこんなに子煩悩になるなんて、想像もつかなかったよなあ?」
「いやー、ホントに」
あたしはしげしげと直樹を見て言った。
「グレてたころから友達みんなに面倒見がよかったから、子供好きになっても不思議じゃないんだけどさ。それにしても、ここまでとはねえ」
携帯電話の画面を直樹が見せてきた。
「ほら、真梨香の写真。大きくなっただろ?」
見ると、公園で砂遊びをしている女の子が写っている。あたしは尋ねた。
「ねえ、何歳になったんだっけ?」
「4歳だよ」
「あれえ、もうそんなに大きくなったのかあ?」
携帯電話の画面を見ながら唐沢が言った。
「ついこの前まで赤ちゃんだったよなあ。子供って成長が速いんだなあ」
「育ててるとそうでもないんだけどさ。俺も他人の子供はあっという間に大きくなっている気がするから」
「ふうん、そんなもんかあ」
唐沢が大ジョッキを再び空っぽにしてから、ちょっと神妙な面持ちで直樹に聞いた。
「なあ……結婚ってそんなにいいのかあ?」
直樹とあたしは思わず顔を見合わせた。直樹がニヤニヤして答える。
「ああ、俺は結婚してよかったよ。子供もそうだけど、家族っていう『守るべきもの』ができるとさ、なんかこう……身が引き締まってさ。働いていてもやる気が全然違ってくるんだよ。『俺が支えてる』みたいな責任感が出てきてさ」
「直樹は20歳で結婚しただろ? もう8年になるよなあ。奥さんに飽きたり、結婚生活が嫌になったりしないのかあ?」
マジな顔で更に尋ねてくる唐沢に、直樹も真剣な表情で答えた。
「うーん、そりゃ、結婚したばっかのときのラブラブな感じはすぐなくなっていったけど、家を買ったり、子供ができたり、結婚した後も二人で生きようとすると、仕事と家庭の両方を考えないといけないから、結構いろんなことが起きてさ……」
肩をすくめて直樹が言った。
「案外飽きないと思うぜ。まあ、お互い納得いかないことはどうしても起きるから、よく喧嘩はするけどな。それが面倒っちゃ、面倒だ。有梨香もいざとなると超おっかねえしよ。でも子供もいるし、別れようとは思わねえ」
「ふわあ! えらいなあ、直樹は!」
頭を抱えて唐沢が上を向いた。
「俺はそんなに忍耐強くできそうにねえよ」
話がはずんでいる最中にまた直樹の携帯が鳴った。直樹がちらりと画面を確認して、「うーん」とうなった。
「何、どうしたの?」
あたしが尋ねると直樹が答えた。
「有梨香からだよ。早くアイス買ってとっとと帰ってこいってさ。ったく、今日は哲治と久々に会うってあらかじめ言っておいたのに」
「やっぱり家庭があると、大変そうだなあ」
大きくため息をついて、唐沢がジョッキを空にした。あたしはポテトフライを口に放り込みながら、直樹に言った。
「奥さん、そんなキツイ感じの人だったっけ? なんかもっと柔らかい雰囲気だったような?」
「あー、これには訳があってさ……」
直樹が頭をガシガシとかいて、口に人差し指を当てて言った。
「まだ安定してないから、他人に言うなって言われてんだけど……」
あたしと唐沢は直樹の方に頭を寄せた。直樹が小さな声で言う。
「実は『二人目』ができたんだ!」
あたしと唐沢は同時に叫んだ。
「うわあああ! おめでとう!!」




