第二十六章
散々迷いながらお母さんの顔を見た。
「借用書を作りたいという難癖をつけて、100万円を黙って出さないのは、お前が家族に思いやりを持っていないからだ」
と言ってくるこの女性は、本当にわたしのお母さんなんだろうか。
緊張のあまりグルグルと鳴り出したおなかをさすりながら、わたしは頭をフル回転させて説明を続けた。
「二人を犯罪者扱いしているように聞こえたんだとしたらごめんなさい。そんなつもりは全然ないの。
でも、お父さんの借金を見ていて、お金はとても怖いものなんだって、身にしみてわかったんだよ。
だからたとえ家族の間だとしても、お金の貸し借りについては明文化しておきたいって考えるようになっていて。
もちろん可能性はほぼ0%だろうけど、あとで万が一にも何かしらのトラブルになったときに、一番大切な家族の関係性に、お金が原因でひびが入るのは絶対に避けたいから……」
目のふちに涙を浮かべて、心からの気持ちを訴えたわたしを見て、お母さんが肩をすくめて言った。
「じゃあ、なおのこといらないわよ、借用書なんて!
ねえ、思い出してごらんなさい。お父さんとお母さんが由美とした約束を、今までに一度だって破ったことがあった? なかったわよねえ?
それに今だって、借金を少しずつ返しているからこそ、一家離散したり夜逃げしたりせずに済んでいるのよ」
お母さんが火をつけたままずっと放置していた煙草を手に取り、胸いっぱいに煙を吸い込むと、ため息をつくかのようにふうーっと長い煙を吐き出して話し続けた。
「由美、今の状況が本当に悲惨なのは私だってよーくわかってる。だからこそ最善の解決方法をずっと探し続けているの」
お母さんがわたしの目の前に人差し指を一本立てた。
「この状況を打ち破るために一番大切なことは、お父さんがこの家に帰ってくることよ。あの女と手を切って、家族として一致団結して借金を返せるようになれば、問題は一気に解決に向かうわ。
だから、1枚のうすっぺらい紙切れにこだわってごちゃごちゃ言わないで。そんなものよりももっと確かな『証明書』になるのは『お父さんが家に戻ること』なのよ!」
魂を込めたわたしの言葉は、お母さんに一切通じなかった。
どうしようもない溝を感じて、わたしはうなだれた。鼻の奥がつーんとしてきて、目にうかぶ涙の量がどんどん増えてくる。
そんなわたしの様子を見て、お母さんが「しょうがない子ね」とため息をついた。
「大体、親子の間で借用書を作るなんて。そんな面倒なことして、何になるっていうのよ。
たしかに貯金を勝手に使うことを決めたのは悪かったと思うわよ。でもねえ……」
ついに耐え切れず涙を流し始めたわたしをあやすように、お母さんが優しく話し続けた。
「お前に腹違いの兄弟ができたり、お父さんが家に二度と帰ってこなくなることの方が、よっぽど重大な問題よ。そして……」
お母さんがわたしにティッシュボックスを手渡して言った。
「こんなことが日照大学に伝わったら、お前の就職だって取り消されないとも限らないわ。
そんなことになったら、『お前が』一番困るでしょう?」
ティッシュで涙を拭いながら、うっ、と息が詰まったわたしを見て、お母さんが余裕のある笑みを浮かべた。
「ね? 今は家族全員でこの嵐を乗り越えないといけないの。お前が大人扱いしてほしいっていうのもわかるけど、それはこの状況が落ち着いてからの話よ」
ぐちょぐちょになった顔をティッシュで拭い、びしょびしょに濡れた手のひらを着ていたシャツにこすりつけて、わたしはかすれた声で答えた。
「今が大変な状況なのは、わたしもよくわかってるよ……」
「そうよね。じゃあ明日の朝、銀行に行くから準備をしておいてちょうだい」
話は終わったとばかりに席から立ち上がろうとしたお母さんに、それでもわたしはくじけずに言いつのった。
「でも、それとこれとは話が別だよ。やっぱり借用書は作りたい」
「はあ!? あんたまだそんなこと言うわけ!?」




