六 続きは署で聞こうか ③
場内のどよめきがまたしても大きさを増した。教育長ともなれば政治と無関係ではいられないだろうが、市長の個人的感情を利用して市政に介入するなど前代未聞だからだ。百条委員会という公の場で不利な証言を突きつけられた教育長は、議場内をしばらく見まわしたあと雑音を鎮めるように声を張りあげる。そこにはもはやにこやかな紳士の姿はつゆもなかった。
「真壁、お前、そこまで言うからには間違いないんだろうな!」
「立川部長は動機が希薄です。今わたしが申しあげるまでもなく、すでにお気づきのように本件には巴小の移転がらみ、ひいては企業誘致に関わる利権が絡んでおります。それを踏まえますと立川部長は現在の職に就かれて一年目、つまりは小原市長が当選された後で教育部長に就任されました。市長の意向に反するとは人事面からは考えづらい。過去に小原市長は〈子ども電話相談室〉の廃止を提唱されていましたし、立川部長は──詳しくは後でご本人からお訊きいただきたいのですが──事と場合によっては私たちを相談室から異動させると仰っていました。私たちがいなくなれば廃止もたやすいでしょう。この点でも市長と意見を一にしています。いっぽう大山教育長は、前市長から現在の職に任命されました。これだけを見ても、本件に関する深刻な意見の不一致は大山教育長の方にこそあると考えられます」
そうなのだ。僕は市長と教育長の交際を純粋な熟年カップルとのみ捉え、我が身に引きかえて嫉妬するのみだった。しかし真壁はまったく違い、冷静に事件とその背景を俯瞰していた。室長の件にしろえなちゃんの件にしろ、似たような事例を目の当たりにしながら僕が見落としていた大事な要素を──性愛感情の未発達な部分が有利にはたらいたにせよ──真壁は内通者を推定するうえでしっかりと捉えていたのである。
もっとも立川部長は懲罰人事発言に再度触れられ、もともと渋い顔をますます渋らせる。たとえ一時的にせよ周りからかけられた疑いを真壁が晴らしたのだから、少しくらいは恩に着ても良さそうなのに舌打ちまでしていた。だが教育長はそれどころではない。どうにか無実を訴えようと食いさがる。
「しかしそれはただの推測だ」
「そうです。この場で私がお話をする限りにおいては推測に過ぎませんし、証明するのが本日わたしが出頭を求められた目的ではありません。ただ、板垣委員長の質問にお答えしたまで。あくまで永井議員の疑惑を追求するためにこの場が設けられたはずです」
教育長は今にも真壁の喉笛を喰いちぎらんばかりに睨みつけるが、これ以上に反論のしようがないのは明らかだった。何せ現時点で周囲から十二分に疑惑の目を向けられているのに、これ以上、下手に食いさがれば余計な疑いを招くばかりで自白と同義に受け取られかねない。この場で出来るのは、せいぜい歯をきしらせ怒りを募らせることのみだ。
「まあ、その件はそれくらいにしておきましょう。しかし証人は、どうやってあんな狙いすましたように犯人を捕まえられたんです?」
話が脇道に逸れるのを見かね、板垣委員長が口を挟むと再び辺りは静寂に包まれた。もうこの頃になると真相を究明せんとする義務感にくわえ、教育長への鋭い追求を目の当たりにしたせいだろう、それまで若干ながら残っていた真壁を軽蔑するような態度は周囲から消えうせ、代わりにひたすら敬服の視線が注がれるようになっていく。
「先ほどのご説明のほかにも、不審な点があったためです。あの盗撮犯がいるとの通報があった夜、恵比寿が身柄を拘束されている最中に、私の目の前で交番に電話がかかってきました。その場に同席していた警察官によれば、何でもほとんど毎晩のように浮浪者と思しき認知症気味の方が電話をかけてきて、ほんの一、二分ばかり他愛のない話をして切ってしまうのだとか。それがどうも不自然だと思ったのはしばらく後です。その電話番号はプリペイド携帯からかけられており、犯罪に巻きこまれているかも知れないという話なのですが、果たして認知症、あるいはその兆候のある人間を犯罪に使うでしょうか。これはいかにもそれらしき人物を装っているだけで、まったく別の目的があるのではないかと」
「その目的とは?」
「調べてみたところ、問題の静町交番は一人勤務体制です。つまり交番に電話をかければ、在所しているか否かが分かります。浮浪者を装ったプリペイド携帯からの電話は、それを確認するためのものだったわけです。つまり交番に警察官が詰めているのならパトロールは行われていないわけですから、お地蔵さまへのイタズラが安全にできる。ごく稀に現場を通行する一般人や車両──それも実際、夜間はゼロといっていいほどないのですが──を避ければいいことになります。そしてこれが実行犯が現場へ侵入する経路を特定するヒントにもなりました。といいますのもこの方法で実行犯の安全が確保できるのは、実行犯の所在地とお地蔵さまの距離が交番からお地蔵さまのところまでの距離である約二・五キロ以内に限られるからです。移動と現場での作業の手間を考えるともっと狭まりますが、考え方は同じです。いくら身元の特定されないプリペイド携帯で電話をかけても、移動している途中で犯行現場まで移動されては意味がありませんから。
また、これは普通の勤め人には無理だということにも気づきました。何しろ市役所からもたらされた巡回のスケジュールを避けて、後から見てみると最低でも週に一回はイタズラをしている。生活サイクルが元から比較的夜型のうえ、自分自身で時間に都合をつけられなければいけません。そこで区域内で該当する人物を当たったところ、予想どおりレストラン〈キバヤシ〉のオーナーが浮かびあがったわけです。ご存じのとおり、議員の実弟に当たられる方です。もっともこの実行犯の逮捕は、私ではなく相談室の広瀬が大事な仕事をこなしてくれたおかげなのですが」
「だからどうだと言うのですか?」
発言者はまた永井議員に戻った。後ろめたさはつゆも見せない。あらぬ嫌疑をかけられ、いかにも迷惑しているといった風でいる。教育長の変貌ぶりが大きいだけに、余計にその差が目立った。
「いわゆる内通者が教育長だとしても、実行犯との繋がりが見あたりません。仮に何らかの縁で知りあったとしても、二人が連絡をとる必要があります。携帯電話で直接ということはないでしょう。万が一、疑われて通話記録を見られる可能性があります。固定電話もかける場所が自宅にせよレストランにせよ、誰が取るか分からない。緊急時の連絡にも不適で、メールやSNSも携帯電話以上に危険です。間違って教育長室で使おうものなら、どんな形で庁内サーバーに捕まるか分かったものではありませんし、いま現在のように実行犯が捕まれば完全に言い逃れできません。
ところが間に永井議員が入れば話は別です。実行犯は永井議員の実弟に当たる方ですから、姉弟間で電話をしても何ら問題はない。現に実行犯の携帯電話を調べたところ、永井議員との通話記録が確認されています。教育長にしても同じことで、携帯電話にしろ庁内の内線電話にしろ、議員とお話をされるのは不自然でも何でもありません」
「そりゃあ、姉弟ですから話くらいはしますよ。だからといって私が指示を出した証拠にはならないはずです」
「その通りです。先ほども申しあげたように、メールなど形の残る方法では連絡を取っていないでしょう」
真壁がそう答えたところで、僕は背後に何者かの気配を感じた。振りむけばそこにはスーツ姿で警察手帳を掲げた二人の警察官が、互いに黙って顔を付き合わせて立っている。永井議員の身柄のを目的に、いわゆる張りこみが行われる旨の情報はあらかじめ知らされていた。警察でも永井議員と実弟のやりとりを物的証拠から追求するのは諦めたというから、決定的なボロを出すのを待って踏みこむつもりなのだろう。僕が息を殺してまた議場内に目をやると、真壁が話を続ける。
「しかしそうなると、教育長がいかにして実行犯と連絡を取りあったのかが分からなくなります。実行犯の携帯電話から確認されたのは自身の家族と永井議員、あとは従業員と店舗の経営に関わる取引先との通話のみ。その取引先も、庁舎へ出入りした形跡はありませんでした。そもそも、このような計画に第三者を介入させるのは危険です。犯罪の片棒を担がされるのですから、協力要請がいつ弱みになって通報されるか、もっと悪い場合はゆすりの原因になるか分かったものではありません。もう、これで他に疑問の余地はないはずです。翻ってみればこの事件がここまでの騒ぎになったのは、永井議員が従前の姿勢を翻して巴小の移転に賛成の意思表示をされたからです。所属する会派が三人だったからこそ、学校がどちらに建つのか、永井議員の意見次第で左右される状況だった。私の推測するところ、あなたはおそらく企業からの利益供与を受けて学校移転の賛成を決めたのだと、そして本来の動機を隠すために本件の騒ぎを起こしたのだと考えています。
それなら昨年に二度、ちょうど十二月の定例議会開催前にイタズラが行われたのも、それがいちど止まったあと深夜の巡回に対抗するような形で再開されたのにも説明がつきます。教育に一家言を持つ議員が意見を翻すためには、それなりの根拠が必要になる。あなたはその根拠をわざわざお作りになったのです。別の言い方をすれば、学校を移転するかしないかを逆転させるためには、三人以上の議員を抱える会派を一本釣りで翻意させれば用は足りる。永井議員はそれにお乗りになったのではありませんか?」
すでに実行犯が捕まった時点で、事件を知るほとんどの人間は永井議員に疑いの目を向けていた。イタズラの開始と市議会における永井議員の発言との間に、何らかの相関関係を見いだした者もあったかも知れない。ただ、実行犯の所持していた携帯電話に残っていた通話記録については報道されていなかった。委員会の出席者はこのときはじめて耳にした事実のはずである。それもそのはず、警察の協力を受けた真壁が特別に入手した情報だからだ。実行犯と連絡を取った形跡のある相手が永井議員のみであるならば、疑惑がいっそう強まるのは必然だった。出席者は互いに顔を見あわせて口々に呟く。
「やっぱり利益供与か……」
「さっさと自白しちまえばいいんだ」
「俺もそう思ってたけど、こうなるとやっぱり……」
「もう間違いないわね」
しかしその中で永井議員ひとりだけが目をいからせて真壁を睨みつけ、鋭い声をあげ一瞬にしてざわめきをかき消した。
「あなたのご発言は全て想像です! 私はあくまで教育上の観点から学校の移転に賛成したに過ぎません。だいたい三人会派だからといって、関与したのが私とは限らないはずです。最終的には学校移転に賛成の意思を示されましたが、私が教育上の問題提起をするのを見越してイタズラを仕掛け、思ったとおりの反応を引きだした可能性だって考えられるじゃありませんか」
そこで矛先を向けられた吾妻議員が、今にも飛びかからんばかりの勢いで立ちあがる。色白の顔を血の気で赤く染め、口角から泡を飛ばすほど怒りを露わにしていた。
「私に濡れ衣を着せるつもりですか!」
「十分にあり得る話です」
「メチャクチャだ。そうであれば、なぜ巴小の移転に賛成のままなのです? 私が何らかの手段を講じてあなたを誘導したとお思いなら、ご意見を元に戻すのが筋でしょう」
「あなたの思惑に乗るつもりはありません。これは議員としての意地です」
「論理が破綻している! 話にならない」
たしかに指摘のとおりだ。吾妻議員が裏から手を引いていると踏んでいるのなら、事件の首謀者は判明したも同然である。教育第一の立場であれば学校は現在地での改築が妥当との当初の意見に戻るべきで、ここまで頑なに意思を貫くのにはおかしい。もっとも何をどう言ったところで再度の翻意は見込めまい。おそらくは背後に巨大な利権が蠢いている。
「吾妻議員はご安心ください。私はそのようには考えておりません」
議員同士の応酬が激化する前に、すかさず真壁が割って入る。つとめて冷静だった。




