六 続きは署で聞こうか ④
「永井議員、失礼ですがそれはあり得ません。もし吾妻議員が目論見をもって永井議員を刺激しようとしても、まずもってそれは無理なんです。なぜなら発端となった永井議員のご発言は、一般質問でしたから。一般質問はくじ引きで決められます。あらかじめ様子を見るという作戦自体が成立しません。長らく議員を務められている永井議員ご自身がそれを一番よくお分かりのはずです。そもそも実行犯が吾妻議員と連絡を取った形跡が見つかっていません。むしろ連絡を取った形跡が残っているのは永井議員の方です。このように、ありとあらゆる状況が事件の首謀者を示しているのですから」
「分かりました。吾妻議員は無実だとしましょう。しかしお言葉ですが、それでは市長のお話と何も変わりませんね。先ほどと同じように、どれもあなたの推測です。現に何ひとつ物的証拠をお出しになっていないではありませんか。なぜなのか? 答えは簡単です。私は関与していない。ゆえにどんなに私が弟の犯罪に関わっていたかどうかを調べたところで、何かが見つかろうはずがないのです。弟との電話も、本当に些細なものですよ」
吾妻議員は椅子に腰を下ろして怒りを鎮めてくれたが、本当の勝負となるのはここからだ。今まで永井議員の関与を示す痕跡を取りあげてはみたものの、どれもあくまで状況証拠に過ぎない。実弟が逮捕されてなお自身の関与を否定したときから、多少の追求では折れないのは予想できた。今だ。今こそ作戦を実行に移すときだ。僕は息を潜めた。真壁も目の色が変わる。ここで賭けに出るべきだという判断を下したのがひと目で見てとれた。
「私からすれば、なぜそこまで自信をもってお話ができるのか疑問です。恵比寿を盗撮犯と通報したのは、内通者とは限らないのに」
「何を証拠に?」
永井議員の顔に嘲笑の色が浮かんだ。今の今まで巡らせていた緊張をはじめて解いた。少なくとも僕にはそう受けとれた。
「証拠というよりは、理屈が通るお話をお示ししたまでです。内通者──つまり教育長は情報を漏らせばいい。一方、実行犯は情報を受けてイタズラを実行すればいい。では恵比寿を盗撮犯と通報して私たちの捜査を攪乱したのは誰か? どちらでもよいわけです。急ごしらえの策だったでしょうから、プリペイド携帯は使えない。しかし公衆電話を使えば容易にできる。現に件の通報が公衆電話だったことは通話記録に残っています。内通者と実行犯を繋ぐ人物がその役を負っても何らおかしくありません」
「でも、その通報の電話が男か女かくらいは分かるでしょう?」
さらに余裕が生まれたのだろう、言葉の端々にも小さな笑いが混じる。
「いいえ、はっきり女性と判別できるとの話はお聞きしておりません。どうやら通報は録音されていなかったようですし、失礼ですが議員のお声は場合によっては男性のように聞こえなくもありませんから」
「では何ですか? だから私が関与していたことになるのですか? 弟が、実行犯が電話をかけた可能性もあるのではないですか?」
「実行犯は毎日のように電話をかけていましたから、それはないでしょう。警察の方でも本当に認知症気味のお年寄りがいるものだと思って、市の福祉総務課にまで聞きこみに来ていたくらいです。実際に交番勤務の警察官から日報が本署へ上がっていますし、浮浪者風の男からの電話の方は録音されていました。もし電話に出た警察官が両者の声を似ていると感じたら、もしくは同じだと気づいたらそこからアシがつく恐れがあります。犯人側がそれを警戒しなかったとは思えません。ですからこれは実行犯以外であっただろうと考えられます。だいいち、現段階で実行犯自身も否認しています」
ここへ来て真壁の物言いから初めの頃のような滑らかさが失われ、歯切れが悪くなった。追求も婉曲的で、辿々しく一つひとつ言葉を選ぶようになっている。現に永井議員による犯行への関与を示す物的証拠はないのだから当然だった。逆に永井議員は勢いと余裕を得、強い語気で反発する代わりに筋道を立てて否定するようになっていく。
「バカバカしい、実行犯の供述を真に受けるなんて。そもそも私の家には家族がいるのです。夜中に起きだして、電話をかけにいくというのですか?」
これを受けた真壁は返答に詰まる。永井議員への疑惑は一度は濃厚になった。委員会に出席者のみならず、中継を視聴している誰もが関与を確信しているだろう。だが肝心の永井議員が関与を認めなければ市長の目的は達成されない。僕たちの負けになる。
「なるほど」
まずいことに今しがたの鋭い眼光はどこへやら、真壁の目がにわかに泳ぎだした。のみならず、目尻と頬の間が小さく痙攣している。あれは真壁の精神面が不調に陥っているサインだ。今後明らかな不調が表れる前兆といってもいい。真壁に詳細を説明する余力も時間もなかったせいで、僕でさえ大まかな筋書きしか聞かされておらず、どこまで作戦を練ったかを知るのは発言台に立つ当人のみではあるものの、予想外の局面に困惑している可能性が高い。僕が事の成りゆきを案じる間にも、永井議員の攻勢はさらに強まる。
「そうでしょう? 教育長はお一人ぐらしと聞きます。アリバイもないんじゃないかしら」
教育長は改めて名指しされ、それによって三たび出席者たちから視線を浴びるようになったにも関わらず、黙って永井議員に目を向けるに留まっている。トカゲのしっぽ切りをされた共犯者にしてはやけに大人しい反応だ。しかし僕たちは、教育長が内通者である事実を掴んでいる。見捨てられるような真似をされても抵抗しないのは、すでに永井議員と通じているからに他ならない。自白を引きだすには決定的な証拠が必要だった。
「では逆に、議員にはアリバイがおありになると?」
「夫も、夫の両親も寝ていますから、そのあたりは何とも言えません。身内が証拠になるかは私も分かりませんしね。もちろん私もそんな電話などしていませんが」
「つまり永井議員は教育長が、公衆電話から盗撮犯の通報をしたと……」
さらに真壁の口調がトーンダウンしてきた。しどろもどろどころか、きわめて頼りない小さな呟きに変わっている。もう追求の種は尽きたのだと思われても仕方がない。いち係員の健康状態がどれだけ市議会議員に知れわたっているかは不明だが、たとえ予備知識がなくとも一時の勢いを失っているのは一目瞭然だ。永井議員は、とどめとばかりに声を荒げはじめた。地方議員特有の下品な罵倒の色さえ滲みでている。
「おそらくそうではないかと思います。少なくとも私には絶対無理です。なぜなら家の近くに公衆電話がありませんから! それと、もういい加減にしてくださいませんか! 先ほどから警察が各種の通話記録を調べているとのお話ですから、どこからどこへ電話をかけているか、もうお分わかりのはずです! どこの公衆電話から交番に通報をしたのか、それくらい調べはついているでしょう!」
「いえ、まだ全部ではないところで……」
「嘘をつかれているのはもう分かっています! 交番に通報だかイタズラだかをしたのが私でないことくらいは。発言にお気をつけなさい、先ほどご自分が署名した宣誓書をお忘れなく。もう終わりにしましょう」
厳しい制約を課せられたせいもあって、自白を引きだすという僕たちの狙いは完全に読まれてしまっていた。永井議員は教育長をはっきりと見すえており、教育長も唇を噛みしめながらも落ちつきを取りもどしている。この期に及んでの仲間割れは期待できなかった。ここで助け船を出そうとするも、間の悪いことに真壁が口元にマイクを当てて口ごもる。しかも症状はさらに悪化し、明白に言葉が詰まるようになっている。
「困りました……」
「そりゃあ、お困りでしょうよ。市長の命令で私を犯罪者に仕立てあげようとした、邪な目論見が外れたんですから」
「いえ、お困りになるのは……永井議員の方で……」
「何ですって?」
「私が市長から受けた命令は、この火床市から仮に逮捕者が出るとしても……そのう、少しでも罪状を軽くするようにというもので……永井議員が自白をしていただかなければ、私たちだけでなく、議員ご自身が、より大きな損害を、被ることになる。市長はそうお考えなんです」
「ちょっと、笑わせないで! だったらはじめからそう言えばいいじゃない!」
ついに永井議員は声をあげて笑いはじめる。追求する側が情に訴えて自白を促すというのは、もはや白旗をあげる行為に等しい。逆の立場にしてみれば勝ったも同然だ。僕にはこの笑い声が勝利の閧のようにさえ聞こえた。
「永井議員の、ご意思を覆すのが難しいとの……ご判断だからです。そのために私と広瀬が参ったわけで……そもそもあのイタズラへの、いくら罪状は軽いといっても、いえ、これはもう立派な偽計業務妨害ですが、ともかく犯罪への関与をお認めになるよう、市長からお話がありませんでしたか?」
「ありましたよ。しかし私はあのイラズラとは無関係です。シロをクロとは言えません」
「それではますます困りました……。ほとんど物証に近いものがありまして。ちなみに永井議員、聞きこみなどで現場へ行かれたことは? 特にお地蔵さまが、イタズラをされているところにお越しになったことは?」
真壁の言葉に詰まる頻度が急に少なくなった。しかしこれは冷静さを取りもどしたのではなく、あらかじめ用意した台本を単に棒読みしているだけに過ぎない。対話が成立しているといっても、むしろ永井議員に合わせてもらっている体に近かった。その証拠に、話をしながらこちらへちらちらと目くばせをはじめる。僕との間で事前に示しあわせていた作戦開始の合図だった。
「ありませんね」
「一度も?」
「一度もです」
「そうであるなら、本当に困りました。まだ詳しい鑑定はされていませんが、こちらをご覧ください」
とはいえ、まったく無様な形である。精神状態がピークから急速に下降し、自身も打つ手なしと判断した真壁ひとりにこれ以上任せるのは限界であり、タイミングはこの他にないのを勘案してもである。ただ、今さらやり直しはきかないのもまた事実だった。
ともかく真壁に急かされ、ついに僕の出番が来た。台車を押しながら議場の中へ入り、発言台の前で足を止めて覆いを取る。すると出席者一同からどよめきが上がった。当然だろう。衆目に晒されたのは何を隠そう、亀甲縛りを受けたままお立ちになっているお地蔵さまなのだから。ロープも材質がポリエステルを含んだ化学繊維のために光沢があるうえ文句のつけようのない深紅に染めぬかれており、三つ打ちで編みこまれているせいで初めて目にした者にはとりわけ刺激的な光景に映ったことだろう。それにしても議場にかようなお姿のお地蔵さまを運びこむとは、まるで大岡政談にある縛られ地蔵がお白洲に引きだされるくだりと瓜二つではないか。僕は今回の事件をはじめて耳にしたときこの話を真っ先に連想したが、まさかこんなことになろうとは思いも寄らない。
「さすがに実物を運びこむことはできませんので、お地蔵さまは博物館にある類似の所蔵品で代用しておりますが、本日はこのような形で現場を再現いたしました。どうぞ、お近くでご覧になってください」
真壁が呼びかけると、出席者はみなお地蔵さまの周りを囲んでは興味深げに眺めはじめた。僕がカバンから虫眼鏡を取りだし、一部分を示してみせると真壁は話を続ける。
「警察は毎回、ロープを押収しています。一月の末にイタズラが行われたときもそうです。この赤いロープを、特に虫眼鏡で拡大しておりますこちらにご注目ください。ちょうど永井議員の髪の毛と酷似した色の人の毛髪らしきものが付着しております。永井議員は当然ながらこれまで犯罪に関与されていない、ご自身でそう仰っていますから、したがってこれから捜査にご協力いただくことになりますが、ですが万が一、鑑定がはじまって永井議員のものと断定されたら、その後はもう私たちでは擁護できません」
「何を、そんなこと……」
いちど近くまで歩みより、それからすぐ席まで戻った永井議員が呟く。たしかにハッタリもいいところだ。虫眼鏡で拡大した箇所には、真壁の言うとおりそれらしきものが付着はしている。しかし僕でさえこの作戦を聞かされたときはとんでもないハッタリだと思った。あり得ないと永井議員も考えているに違いない。現にそう口にしようとしたのを、真壁が慌てて止める。
「最後までお話をお聞きください。もしご自分が関係ない、そう仰るのであれば、これからの質問にお答えいただきたい。他の議員の先生がたも、板垣委員長も同じようにお答えください。今からご質問しますのでご準備をお願いいたします。着席かお立ちになるかで回答をお示しいただきたい」




