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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
36/42

五 ちょっと通りますよ ⑥

三月十日 金曜日


「実は、私たちは〈仏像愛好会〉などという有志の集まりではありません。市の教育部にある〈子ども電話相談室〉の職員でして、事件解決のために捜査をしておりました。やむなくあのように名乗るしかありませんでした。お許しください」

 頭を下げる真壁の傍で、僕も黙って椅子に腰かけながらそれに倣った。背後のステージではSMショーが繰りひろげられ、オウオウ、イエスイエスという男の野太い喘ぎ声が聞こえる。S嬢に攻められているM男は、どうやら外国人らしい。ここは〈SMサロン シャラントン〉。カウンターの向こうにいるのは女王さまだ。

「しょうがないわよ。市役所の、ましてや教育部の職員さんがうちのお店に来たなんて言えないものね」

 嘘をつかれたというのに嫌な顔ひとつしていないのは、お地蔵さまへのイタズラをはたらいた実行犯が捕まったとの報道が翌日ただちになされたからである。もっとも女王さまが手元に広げている新聞にある通り、どのメディアも最低限の情報しか伝えていない。というより判で押したように同じ内容だ。

「三月八日未明、火床警察署は木林伸一(五一)を迷惑防止条例違反及び器物損壊により逮捕した。昨年末から複数回にわたり火床市静町にあるお地蔵さまを縄で縛っていた模様。事件が発生して以降、同市議会では近隣の巴小学校の改築場所について紛糾しており、関連の有無を取り調べ中」

 正しくはこれまで署長が私情を挟んで捜査に本腰を入れなかったとの批判をかわすため火床警察署は昨日にも家宅捜索を執行し、結果、イタズラに使われたのと同型の縄に、交番へ毎日のようにかかる例の電話に使われたプリペイド携帯を押収している。実行犯はイタズラは逮捕当日のみであると言いはり、なおかつ永井議員との関連と犯行動機について黙秘を続けているものの、イタズラそのものについての物証は出そろったと聞く。

 それにしても、あれだけ苦労した割には実に簡素な報道だ。しかもどれも文面が一字一句同じであるところを見るに、やはり地方が軽視されている現実を痛感させられる。ちなみに僕たちの名前が出ていないのは、勤務時間外に市職員が巡回同然の行為に及んだ旨を公表するのを市が拒んだためだ。職員に異常な形の勤務を強いておきながら、その功績を隠蔽するとはやはり腐った組織と言わざるを得ない。何にせよ、女王さまが犯行に関与していない事実がはっきりと証明された。上機嫌なのは当然と言える。この日に居あわせた周りの客も気持ちはみな同じらしく、店は実に和やかな雰囲気に包まれていた。

「それよりも、嫌な噂をなくしてくれてありがとう。今日はお礼よ、どんどん飲んで」

 目の前にウイスキーの水割りが出される。つい今しがた、慈悲深い女王さまが手づから注いでくださったありがたい贈り物だ。真壁がほとんどそれを一口で呷りざま呟く。

「ただ、嫌な気持ちはしませんでしたか? このお店に通っていたわけですよね」

「そこは気にしなくていいわよ。最初にあの事件があったときにはもう、うちのお客さんだとは思ってたから。だって本当に色んな人がいるもの。でも誰とまでは分からなかったのは本当よ。それにしてもあの人がねえ……私も虐めてあげたことがあるけど……」

 実行犯はこの店を利用した経験のあるM男の一人にして、永井議員の実弟に当たり、同時にレストラン〈キバヤシ〉のオーナーシェフも兼ねていた人物だった。あのときはなぜ〈foret〉のオーナーが出てきたのか分からなかったが、現場の騒動も一段落し、家に帰ったあとで笑ってしまった。それを思いだした僕は女王さまにご報告もうしあげる。

「でも実際に捕まえてみて、以前にここで伺ったお話がまさにその通りだったので驚きました。実は私、あの犯人の顔だけは見たことがあるんです」

「お知りあいだったの?」

「いいえ。市役所の近くに弁当屋があって、そこのオーナーでもあったんです。店の名前はフランス語の〈foret〉。日本語に訳すと森。オーナーの苗字は木林。縮めると森の字になります。後から気づいておかしくなってしまいました。お話されていたとおり、どんな名前にも意味があるというのは本当でした」

 糞を米異と、完璧をウ元辟玉と、崩の字を山朋と表記するのと同じというわけだ。ネットにオリジナリティなどない、と自ら言いきかせたにも関わらず見過ごしてしまったのは間抜けと指摘されても反論できない。だいいち漢字を外国語に換えるという点では、僕自身のハンドルネームとも共通しているではないか。

「知らなかったの?〈キバヤシ〉と〈foret〉の経営者が同じなのは割と有名な話よ」

「どうもそうした話に疎くて。ずっとこちらにいればちょっとは違ったんでしょうけど」

「そうなの。でもともかく、私の言ったことが当たってたのね」

「おう兄ちゃん、女王さまに感謝しろよ」

 スキンヘッドの客が茶々を入れてくる。前に来たときはすごまれてよい印象はなかったが、この件に関してはまさにそのとおりだった。そして忘れていたことは他にもある。

「本当にお礼を申しあげなければなりません。そのために今日、お邪魔したんですから」

「えっ、どういうこと? オーナーの正体は後から分かったんでしょ?」

「このお店の存在が決め手になったんです」

 それから僕は実行犯逮捕の経緯を説明した。該当する区域の施設や店舗を一つひとつ検討し、議員がらみだと確信したところまでである。

「様々な要素から最後に容疑者を二人にまで絞りこみましたが、なかなかどちらか一人に絞りきれませんでした。それというのが実際に捕まった犯人と、パン屋の〈縄谷ベーカリー〉の店主だったんです」

「そこまで絞ったんだから、ヤマ勘じゃないの?」

「いいえ。そこまで来て勘に頼るわけにはいきません。何の根拠もなく片方に決めうちはできませんでした。そこでこのお店のことを思いだしまして」

「でもうちに来なかったでしょ? それで二人のうちどっちか分かったの?」

「パン屋の店主とレストランのオーナー、どちらも時間の自由が利いて夜間に出歩ける立場にあるといっても、それぞれの生活サイクルがまったく違うんです。パン屋は仕込みのためにほとんど深夜の時間に起きだす極端な早起き型、いっぽうレストランのオーナーは閉店後もその日の会計など経営業務を行わなくてはならない夜更かし型の生活になります。そうであれば、このお店を利用するのはどちらかと考えたんです」

「あっ、そういうこと! うちに来るのは夜更かし型だろうって事ね」

 女王さまが手を叩いた。周りにいるお客さんも何人かは深く頷いている。

「そうです。昼夜逆転のパン屋が起きだすのは深夜。仮にこのお店に通っているとして、そのあと仕事に入るというのは不自然じゃありませんか。それよりは夜更かし型のレストランオーナーが、ひと仕事を終えてここで気持ちよくなったあと眠りにつく方が自然です。ちなみにふだん昼夜逆転の生活を、このお店に足を運ぶときだけ変えるというのはかなり厳しいのではないかと思いまして。なぜならこの一か月半、業務の都合とはいえそれを否応なく強いられて、どれだけ心身に堪えるか嫌でも思いしらされましたから」

「でもデリヘルを利用して、あんなことを思いついたとは考えなかったの?」

「もしこのお店を利用していたのであれば、という仮定が役に立ったんです」

「だとしても、それはあなたたちが頭をはたらかせたおかげよ」

「他にもあります。というよりもむしろ、閃きのヒントになったのはここでお聞きしたお話の方です」

「覚えてないわ。私、何て言ったかしら?」

「こうしたお店でSMプレイを楽しまれる方は社会的地位が比較的高い、と」

「思い出したわ。たしかにそんな話をしたわね」

「さる方によると〈縄谷ベーカリー〉の店主は一代でパン屋を起こして、最近になって繁盛するようになった。対して〈キバヤシ〉のオーナーは二代目で、それも以前は兼シェフも務めていたのを現場から退いて経営に専念するようになったんだとか。自分でパン屋を開いてようやっとはやらせた人物と、親の仕事を引きついだ二代目。両方とも社会的地位が高いことに変わりありませんが、どちらがその地位に長くいたかは一目瞭然です」

 以前、この耳で直に情報を聞いておきながら忘れていたのがこれだった。僕が〈キバヤシ〉のオーナーを実行犯と睨んだのは、何をかくそうあのクレームが決め手だったのである。結果、ずばり読みが当たった。さらにマイクロカメラを使ってかけた保険に、真壁が指定した待ち伏せ地点、そして実行犯逮捕に至った成果まで、僕が第三者からの不信を強く招く女装を強いられたというただ一点を除けばほぼ完璧と言える。あのあと駆けつけた警察官にずいぶんと訝しがられたのを思いかえしたとき、また背後で声がした。カマンカマンという嬌声に、シーハーシーハーという息づかいが相変わらず激しい。

「そういう点からも、犯人が絞りこめたってわけね。いい着眼点だわ。いま後ろで楽しんでるお客さんも、昼間は教会で神父さんをなさってるのよ。それにしても、どうやってそんな情報を手に入れたの? 最初から容疑者が二人だけだったわけじゃないでしょ?」

「庁舎で偶然、お客さまが話されていたのを聞いてたんです」

「でも〈子ども電話相談室〉にそんなお客さん来るのかしら? それとも前は観光課みたいなところにいたとか?」

「いえ、廊下で、大変大きなお声だったものですから……」

「クレーマーね。ここでは遠慮しなくていいのよ」

 やはり女王さまは寛大だ。市職員が市民をクレーマーと呼ぶのはいかがなものかと躊躇していたが、もうこの際だ、はっきり認めてしまっても差し支えなかろう。

「ええ、いわゆるクレーマーのような方が騒いでいましたのを覚えてまして、そう言えばと思いだしたんです」

 議員の身内云々の指摘も含めて言いがかりもいいところだが、今にして思えば一応の根拠があった。今にして思えば「評判ほどうまくもなかった」という言葉も嘘ではなく、オーナーが店の経営に専念できなかったせいで本当に味が落ちていたのかも知れない。

「それが役に立ったわけね。市民の声には耳を傾けなきゃダメよ」

 女王さまがそう冗談めかしながら、半ばカラになった手元のグラスに水割りを注いでくださった。僕も水割りに口をつけざま笑って答えてみせる。

「はい。肝に銘じておきます」

 くわえてそこにステージから聞こえてくる一段と激しい喘ぎ声が、場の笑いを誘った。

「ところで話は戻っちゃうんだけど、教育部の市役所職員さんが二度もこんなとこ来て大丈夫なの? せっかくウソをついて欺しおおせたんだったら、黙ってた方が得なんじゃない? まあ、私が言うのも変な感じなんだけどね」

 女王さまに話を振られ、にこやかに頷く真壁の姿を目にして僕は改めてこの男に思いを馳せる。真壁はたしかに言動に掴みどころがないうえ、精神面が不安定で社会人としての評価は低いだろう。特に愛郷心に著しく欠け、ときに地方公務員としてあるまじき言動にも出る。ただ、その原因は周囲が先に喧嘩を売ったような形で真壁を冷遇したために過ぎない。そうした態度を非難する第三者には、仮に本人の許可が取れた暁には毅然と抗弁してみせるつもりだ。ここへ再度足を運ぶのをためらった僕に、真壁は是非にでも礼をすべきだと諭し、現に次のように真顔で実に義理堅い答えを口にしてみせるではないか。

「誰かに訊かれたら説明すればいいだけですから。事件解決のヒントを下さったのに知らん顔はできません。でもこう言っては何ですが、事実と異なる噂を流されるのも本意ではありませんので、出来れば黙っていただけるとありがたいところです」

 誠意も伝わったらしく、店の皆は黙って暖かい眼差しを送ってくる。とりわけ女王さまは客の誰よりも嬉しそうな顔で、客一同を見わたしていた。

「分かった、秘密にしておく。何せあらぬ疑いを晴らしてくれたんだもの、こっちだって恩を仇で返す真似はできないわ。皆もいいわね、喋ったらただじゃおかないわよ。私からのご褒美めあてに約束やぶったら店からたたき出すからね」

 ステージから短い呻きが聞こえ、いったん店内は静寂に包まれる。どうやら男がオルガスムに達したらしい。続いて一様に笑顔とともに心強い答えが返ってきた。

「はい。かしこまりました、女王さま」

「こういうことだから安心して。あとは例の議員先生が自白してくれれば万事解決ね」

 当然ながら多くの市民や市職員にとって、〈キバヤシ〉のオーナーと永井議員の間柄は周知の事実だった。僕たちが功労者として自由な時間を与えられた一方、今ごろ議会関係者は永井議員の追求に当たっていると聞く。くわえてまだ明るみにはできないが内通者の存在は真壁の口から肝月課長に伝えられており、その情報は警察にも及んで内々に捜査が進められているという。実際に逮捕者が出れば周囲はある程度は騒がしくなるだろうが、少なくとも僕たちがこれ以上に追い込まれる心配はなさそうだった。

 ちなみにあれほどの手柄を挙げたにも関わらず、議員がらみのデリケートな問題ゆえだろう、市役所での真壁や僕への扱いはまったく変わっていない。これからも僕たちは周囲から散々に馬鹿にされつづけることだろう。それでも煩わしい残業をせず帰れるなら満足だ、などと僕が感慨に耽る傍らで、女王さまがやや無理な要求を口にしだす。

「だからここだけの話、もうちょっと種明かししてくれない?」

 冗談めかしたような物言いでも、大事なヒントを貰っておいて無碍には断れない。とはいえ、実際に内通者が逮捕されるまで事件の全容を打ち明けるのは難しい。どうしたものかと真壁と顔を見あわせているうちに、ポケットのスマートフォンが唸りだした。

「もしもし」

 僕がすかさず電話に出ると、肝月課長の声が聞こえてくる。

「広瀬さんですか、いま大丈夫ですか」

「はい」

「大変です。永井議員が事件への関与を否認しました」

「本当ですか!」

 僕はすっかり肝心なことを忘れていた。政治家はやり口が卑怯で汚く、ときに往生際が悪い。利権を手放すまいと抵抗するのは自明の理である。これまで僕たちはひたすらお地蔵さまへのイラズラを止める、いわば実行犯の特定、逮捕に全力を注いできた。それこそがイコール事件解決と考えていたからだ。しかし市長にしてみれば実行犯の逮捕は事件解決と同義ではない。最終目的は、あくまで市議会における勝利である。実行犯が永井議員と繋がりが深いのをこれ幸いに、おそらくすぐにでも自白を得られるだろうと思いこみ、これでお役御免などと安心している場合ではなかった。

「板垣議員がきょう直接あって詰問したんですが、ものの見事に関係ないと言いはりましたよ。それでいて巴小は移転に一票を投じるつもりなのだそうです。もちろん反対する方も黙っていはいません。百条委員会の設置に向けて動きだすようです」


地方自治法 第一〇〇条 普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の事務に関する調査を行うことができる。この場合において、当該調査を行うため特に必要があると認めるときは、選挙人その他の関係人の出頭及び証言並びに記録の提出を請求することができる。(一部抜粋)


 後から調べたところによると、この条文により議員の不祥事も追求できるわけだが、ニュースでもたまに取りあげられる百条委員会がよもや火床市でも開かれようとは思いもよらない。事件は解決どころか、まさしく由々しき事態に展開しつつある。そのうえで事件解決の最終目的を取りちがえていた僕たちに、今さら何をしろというのか。

「具体的な指示は明日お伝えします」

 状況はよほど切迫していると見え、茫然とするうちに電話は切れていた。会話は真壁にも聞こえていたらしく、スマートフォンを取りだしてモニターを眺めている。どうやら先に真壁へ連絡を試みたものの、応答がなかったため僕の方にかかってきたようだ。

「すみません、急用ができました」

 僕はグラスを下げながら腰をあげた。

「お訊きしたいこともありましたが、また後にします。ではこれで」

 次いで真壁もそう言いながら最後に財布を出したが、女王さまに止められた。

「いいのよ、今日のはこっちのほんの感謝の気持ちよ。用があったら電話してくれるといいわ。大変ね、気をつけて」

 そうして最後に頭を下げて店を後にする。僕も後から寒い夜空へと飛びだすと、北風が頬を刺す人混みの中で先を行く真壁が呟いた。

「こうなったら頼みの綱は警察だ」

「まあ、始めからそうだろうけど……」

 相づちを打っても前を向いたままでいる。僕たち二人はいつしか小走りに大通りから市役所へと歩きだしていた。

「そうじゃない。まずは警察に内通者の逮捕を差しとめてもらう。これがカギになりそうだ。他にも幾つか協力してもらわないといけない。だが、果たして俺たちの頼みを聞いてくれるか?」

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