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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
35/42

五 ちょっと通りますよ ⑤

三月七日 火曜日


 あれから行われた巡回は全て僕が出たものの、収穫はなかった。結果が折り込み済みだっただけに落胆もなかったが、何日も連続で巡回に出つづけたのである。真壁の体力回復には成功した一方、僕は疲労が相当に蓄積していた。それでもどうにか耐えられたのは、ひとえに犯人逮捕へ一縷の望みを繋いでいたゆえと言える。

 そしてついに来る時、つまりは質問通告締切の前日の夜、僕は自身で犯人の進入ルートを特定した後、真壁とともに待ち伏せ地点に立っていた。真壁の指定したその場所は、例のお地蔵さまから四〇メートルほど離れたところに建つあの古びたアパートの前。ここで実行犯の通過を待ち、後を追えば現場に立ちあえるというわけである。幸いなことに、交差点の北という位置も有利だった。なぜなら実行犯が想定のルートを辿ってイタズラに及ぶとすれば、後を追う側から見た場合、いちど交差点の手前からちょっとした死角に入る。すなわち僕たちにとっても、実行犯の隙を突くための死角が確保できるからである。

 同時に犯行現場の監視に当たっては、ある種の保険をかけていた。実行犯がイタズラに取りかかった瞬間を狙うとはいえ、移動にスクーターや乗用車を利用している可能性が高く、付近の道路を通りすぎた人物の目視が難しい状況が想定され、またルートや容疑者を読み違えた可能性もあるため、僕の提案であらかじめ現場に小型のマイクロカメラ──以前は公用車に取りつけていた私物──を隣接する公園のフェンスに強力な両面テープで取りつけておいたのである。何より幸運にも雨も降らず天候に恵まれたおかげで、モニターを通した現場の監視が支障なくできている。僕たちは二人で役割を分担し、真壁はアパートに背を向けて道路を、僕は逆に道路に背を向けて手元のスマートフォンで現場の監視に当たっていた。足下のカバンには捕縛用ロープも潜ませており、まさに犯人逮捕に向けての準備は万端といえる体制である。

 にも関わらず日付が変わり、質問通告締切当日となってなお人の気配さえしないのにやきもきし、僕は手元の時計が零時半を回ったところで小声で真壁に訊ねる。

「まだ誰も来ないか?」

 しかし返ってくるのはすげない答えで、後には再び静寂が続くばかり。

「来ない」

 それに、気になる点はあった。僕と真壁は至近距離で文字どおり顔を突きあわせている。しかも僕は慣れない格好のためどうしても落ち着かない。というのも上に着ているものこそタートルネックのセーターにタイトなズボンでありながら、頭には長髪のカツラを被り、ロングコートを羽織って体型を隠している──要するに女装だ。おまけにご丁寧にも傍目にはスカートを履いているように見せかけるためズボンの裾をたくし上げ、ストッキングを履いたうえで臑毛まで剃り、念には念を入れてブラジャーまで着用している。それら一式は言うまでもなく八代が出入りしている、市内唯一の貸衣装屋からの調達だった。待ち伏せ地点にくわえ服装まで真壁から指定があったのである。ちなみにその服装を指定した真壁当人は、不公平にも何の変哲もない普段着で済ませていた。

 そう、僕と真壁はアパートの前でいちゃつくカップルに扮していた。真壁は巡回の際、近くを通るたびにかなりの頻度でカップルに出くわしていたのに目をつけたのだ。もし実行犯が想定どおり交差点の北から現場に向かうのであれば、これまでも同じようにカップルに遭遇していたに違いなく、たとえ姿を見られたとしても怪しまれないだろうという目論見である。一七〇センチ強という僕の身長は女性にしてはやや高めではあるものの、不審がられる範囲では決してない。むしろそれなりに上背のある真壁とは、釣りあいが取れているとさえ言える。

 もっとも、長時間この密着した体勢でいるのはやはりきつい。お互い向かいあっているせいで、真壁は口臭がほとんどないといってもどうしても息がかかる。かといってあまりに離れていてはいちゃつくカップルとしては不自然であり、何かを待っているのを看破されてしまう恐れがある以上、仕方がないとはいえ妙な気分になるのだ。

 それにしても、このアパートの人気のなさはどうだ。生活感がゼロではないにしても、一階と二階を合わせて四部屋あるうち、はっきり誰かが住んでいると思われるのはひと部屋だけである。普段ここにいるカップルは、本当にこのアパートの住人なのかと疑いたくなる、と考えていた矢先に人の気配がした。足音とともに話し声まで聞こえてくる。

「ねえ、早く部屋へ……」

「何で止まるんだよ、ってあれ?」

 しまった! いつもこの場所でいちゃついている本物のカップルだ。察するに少なくともどちらか一人はアパートの住人らしく、会話から思わぬ先客に戸惑う様子が窺える。僕の立ち位置からは風体こそ見えないものの、男の方は妙にヤンキー臭い喋り方をしていた。もしこんなところでトラブルになり、揉めている最中を通りがかった実行犯に見られて怪しまれるか、あるいはその間に犯行を終えて逃げられたら元も子もない。

「おい……」

 どうしようかと内心うろたえ、男も何か言いかけたそのとき僕の口腔に異常が発生した。何を考えたか真壁が両腕を肩から回し、唇を押しあてざまキスをしてきたのである! しかもねっとり舌を絡ませてくるではないか。元からこの場所を陣取っていたカップルに怪しまれぬよう、いかにも性行為に及ぶ直前の男女を装おうという意図は理解できる。僕も他に適切な方法が思いつかない。しかし周囲を欺くためといっても限度がある。チュパチュパと音が出るほど激しく唾液を分泌させなくてもいいはずだ。それにすっかり忘れていた。あのメイド喫茶で示してみせたように、真壁は舌先でサクランボの軸を結べるほどの技能の持ち主なのだ。その巧みな舌技で攻めたてられた僕は、不覚にも動悸を覚え、頬が紅潮するのを感じた。まずい、このままでは新たな性の扉が開いてしまう……。

 馬鹿野郎! こんなときに人を開発してる場合か! 僕は胸の中で力の限り叫びつつ、懸命に気を逸らそうと試みるも無駄だった。真壁の舌は容赦なく性感帯を刺激してくる。コートを羽織っているおかげで外から見えないとはいえ、ズボンの前身頃は確実に膨らんでいた。それもどことなくふっくら盛りあがっているなどという生やさしい程度のものではない。今にもはち切れんばかりにパンパンに張りだしている。全身から股間に鎮座する男のシンボル目がけ、医学的に表現するならばその内部で互いに撚りあわさる海綿体へ激しく血液が流れこみ、ガチガチに硬直しているのだ。次第に下腹部からは、いや生殖細胞を造成する器官からは痺れを伴う快感の波動さえせり上がってくるではないか。だが二人して身体をよじらせるさまは、カップルの口を差しはさむ気を削いだらしい。

「すみません、ちょっと隣、失礼します」

 真壁による迫真の演技と僕の本気の抵抗は、さらに謝罪の言葉まで引きだした。カップルは僕たち二人のすぐ脇をすり抜けてアパートの一室へと消えていく。扉が完全に閉じられたところで、僕はようやく解放された。

「ああ、気持ち悪い」

 口元に残った唾液を拭きながら、真壁がしれっと言ってのける。

「真壁、それはこっちの……」

 驚きと焦りのあまり、それでも声をひそめて抗議の声をあげようとした瞬間、今度こそ聞こえた。小さいながらも何かのエンジンが唸る音だ。僕はほとんど反射的に真壁と半ば抱きあうような元の体勢に戻った。音はその間にも段々と近づき、程なくしてまさに背後を通過して遠のいていく。どこかで止まる気配はない。四〇メートル先は犯行現場だ。ただの通りすがりではないとの予感があった。真壁の考えもどうやら同じらしく、ちょうどエンジン音がすぐ傍を走りぬけていったときには大きく目を見開いていた。

「あれだ、行くぞ。スクーターだ」

 真壁の呟きとともに僕は足下のカバンからロープを取りだし、ほか荷物の一切をその場に置きざりにしてすぐさま道路へと走りだした。四〇メートルという距離はたしかに近いものの、相手はスクーターで移動しており、案の定というべきか交差点を右に曲がったあと姿が見えなくなっている。イタズラにかかる時間は長く見積もって二分。この距離から後を追って犯行現場に立ちあえるか否かは頭の中でのシュミレーションに留まっていた。とはいえひたすら急げばいいというものではない。あまり大きく息を乱してはならず、物音を立てて接近を覚られてもいけない。しかしその点は前を行く真壁がうまい具合に加減をしていた。はじめはほとんど全力の駆け足で現場へ向かい、近づくにしたがって足音を殺すことに努め、速度を落とす。

 そして真壁が交差点の前で止まり、追いついた僕も建物の陰から交差点の向かいへ目をやるとたしかにそこに人の姿があった。薄茶色のジャンパーを着、フードまで被り、赤いロープでお地蔵さまを縛りあげている。僕と真壁は目を見合わせ、どちらとも言わず駆けだした。足音はもちろん、横断歩道も気にもせず交差点を斜めに走りぬける。

 実行犯がこちらに気づいたときには、もうすぐ手の届くところにまで迫っていた。傍に停めてあるスクーターに足を向けさせる暇も与えず、真壁が両腕を捻りあげて路面へうつぶせに押したおす。その間に僕がロープで両手首をきつく縛った。素人でも扱いの容易な、結びやすくほどけにくいブレード打ちと呼ばれる目の細かな綿製のロープである。馬乗りになった真壁がフードを引きはがすと、下からは皺や肌の具合からして五十代中盤と思しき男の顔が現れ、物言わずこちらを睨みつけていた。その顔には見おぼえがあった。すぐには記憶が繋がらなかったが、ほんの少しの間を置いて思いだすことができた。あの男だ。他ならぬ弁当屋〈foret〉のオーナーである。

「何をしている? 早く通報だ」

 驚く暇もなく真壁に急かされ、今や身体の自由を奪われた実行犯を見おろしながら、僕はスマートフォンで交番に電話をかけた。しかしなぜあの弁当屋のオーナーが? 〈キバヤシ〉のオーナーではなかったのか? 突然の通報に警察官も慌てふためくのを耳にしながら、僕は頭の中で二つの店の繋がりを探っていた。

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