五 ちょっと通りますよ ④
「かといって個人経営なら動けるかと思えるが、全てがそうとは言えない。医者がそれだ。昼のあいだ好き勝手に休める仕事ではない。たとえそこで院長か何かを務めていても、深夜の零時だか二時だかに動いていては診察時間に眠りこけてしまう」
自身が経営者である開業医など、昼間にあるていど働かなければいけないどころか、大なり小なり直接に診察や治療に携わる。念のため僕もノートパソコンをいじってみた。
「そうなるね。考えてみれば、病院こそ開業時間が完全に昼型だ。朝が遅い病院なんて聞いたこともない。受付終了の時間なんて大体、夕方五時半くらいだし。地図で見てみると、どこも小さいね。人を使ってるとは思えない。というより、ホームページに載ってるのはどこも院長の名前だけだよ。真壁の言うとおり、病院もなしか」
「そこへ行くと、新聞販売店は悪くない印象を受ける。朝が早いおかげで、生活のサイクルを乱さずともイタズラに加担できるからだ。この場合は出勤前にひと仕事といった形になる。ただしこれらも法人化しているか否かに関わらず、時間的な余裕があるとは思えない。地図を見てみるとどこも読売や毎日なんかの大手の系列で、これらも雇われ店長と大して差はなさそうなんだ。こういうところは最近、人手不足でどこもかつかつらしい」
個人商店が壊滅状態にある地方の実情は嘆かわしいが、おかげでこの事件を解決するには有利な条件にある。大変な皮肉だが悪いばかりの話ではない。僕も真壁にならってスマートフォンで検索をはじめた。
「じゃあ、スポーツジムは? あるのはルネサンスにカーブスと、個人経営のギガント・フィットネスだけど……こっちもダメそうだね。営業はどれも朝の九時から夜の六時くらいまでだ。一般人と同じで、深夜に起きたりなんかしたら生活リズムが乱れちゃう」
「その線でいくと弁当屋も消える。片方は個人経営の夏目総菜店で営業時間は朝の十時から夜の九時まで。もう片方は全国展開のほっともっとだから店長は雇われの身だ。開店が朝の八時、閉店が夜の十時だから自由には動けない」
「すると残るのは和菓子屋、パン屋に飲食店か……」
僕と同様、真壁が溜め息をつくのも分かる。ここへ来て行き詰まるとは。和菓子屋とパン屋は、仕込みが早いため生活サイクルが前よりにずれる。調べたところでは前者は午前三時、後者に至っては午前一時くらいから仕込みをはじめるらしい。逆に飲食店は出勤が朝十時半と遅い代わり、夜十時に閉店したあと深夜の零時くらいまで諸々の業務をこなすようだ。残り十二箇所まで絞りこめたが、まだ足りない。
僕はどうしようもなくなり、漠然と地図を覗きこむ。特に飲食店が八つもあるのが厄介だった。一つひとつ確かめていくと、ガスト、ココス、マクドナルド、吉野屋にサイゼリヤ、くら寿司にロイヤルホストとどこにでもあるような店ばかり。唯一、この街独自と言えるのは〈キバヤシ〉だけだ。ん? 待てよ? この店、どこかで聞いたような気がする。いったいどこでだ? それから地図にある国道二一六号線……。
「そうだ」
思いだした! いつぞや観光課の前で騒ぎがあったとき、名前が挙がっていたのがこれではなかったか。さらに和菓子とパン屋の方も当たってみると、〈縄谷ベーカリー〉と〈都丸総本家〉の名前も目に入る。あの類の手合いは、難癖をつける理由を探す能力に秀でている。ウソだとは思えない。現に観光課の職員も否定していなかった。
「何かあったか?」
急に声をあげた僕を、真壁はいかにも心配そうに見かえしてくる。
「この店、どれも議員の身内だってクレーマーが言ってた。〈縄谷ベーカリー〉は成り上がりだとか、〈キバヤシ〉は二代目のボンボンだとか、ひどい因縁つけて……」
「いい情報だ! 利権がらみである以上は十分にあり得る。見つかれば贈収賄か何かに問われかねない話なんだ、協力を求めるとしたら身内がいちばん安全だ。それに俺も聞きおぼえがある。たしか〈縄谷ベーカリー〉の店主は吾妻議員の従兄弟だ」
真壁が背筋を伸ばして手を叩いた。では、もうこれで実行犯がどこから来るか決まったようなものではないか。僕の腹はほとんど決まった。
「何だ、知ってたのか。吾妻議員は移転賛成じゃなかったっけ? だったらいかにもありそうな話だけど」
だが真壁は違うらしい。喜びの表情を見せたのも束の間、また顔を曇らせて腕を組む。
「いや、他の二つも議員の身内だというのは初めて知った。しかしクレームをつけるなら具体的な議員の名前をぜんぶ出してくれれば助かったんだが。誰だ? とにかく吾妻議員の身内だからといって、決めつけるのはまずい」
「そういやそうだね。でも……」
僕はもう一度、地図に目を落とした。運悪くそれぞれが現場から見てまったく別の方角に位置している。住宅街の中に佇む和菓子屋〈都丸総本家〉が西、国道沿いのパン屋〈縄谷ベーカリー〉が東、同じ通りにあるレストラン〈キバヤシ〉が北。これでは候補を一つに絞らない限り、どこから来るか予測できない。だからといって諦めては、ここまでの苦労が全て無駄になる。ならば何か手を打とうと、思いついたことを口に出してみた。
「だったら市民課から住民票を頼む? 住民票には戸籍が書かれてるから、それと改正前原戸籍、念のために附票まで取りよせてみれば関係者はだいたい洗いだせるよ」
戸籍とは便利な制度だ。一世帯すべての父母兄弟の氏名や生年月日が記されており、たとえ結婚や養子縁組などで別の戸籍に移っても元のところに情報は残る。それらのデータは市民課が一括管理しており、市役所内では課長の許可さえ下りれば手に入れ放題なのだ。まかり間違っても外部へ漏洩させてはならないが、市職員にとって市民の個人情報などあってないようなもの。警察でなくともかなりの部分まで身辺調査が可能となる。
「ああ、そういう考えもあるのか。議員との繋がりを辿るにはその方法もある……が、止めておこう。この場合、市民課に発行を依頼するのが果たして公務と呼べるかどうかすら怪しい。だいいち最低でも課長印は貰う必要がある。動きを嗅ぎつけられるとまずい」
庁舎内に、よりによって所属する部署の幹部に内通者の疑いがあるとは何とも厄介な状況だ。どうしても行動が制限されてしまう。真壁が次に思いついた奥の手も、僕たち二人に限っては使えない。
「いや待てよ、君、市民課に知り合いはいないか?」
「真壁、僕の交友関係を知っててそれを言ってるのか?」
「そう言えばそうだな」
もし仲のいい同期がいたなら、正式な手続きなど経なくとも情報提供を頼めただろう。しかしあいにく、相談室の外に友人と呼べるまで仲のいい職員はいなかった。いれば相談室への異動もなかったかも知れないが、それ以前に大きな見落としがあったようだ。
「あと広瀬くん、そもそもその手が使えるのは戸籍の届出住所や住民票がここ火床市にある場合だけだ。よその市にあったら時間的に間に合わない」
たしかに住民票と戸籍の所在地が同一である保証はどこにもない。何にせよここへ来て最後の決め手を欠くとは。さして親しい同期もいない議会事務局にものを訊くようなマネをすれば、それこそ議員や内通者に同行を勘づかれる恐れがあった。こうなったら、一か八か現場に出る直前で戸籍を当たってみるか? いや、厳密にはその日にイタズラが行われるとは限らないのだから、かなり危ない橋を渡ることになる。
真壁も新しい考えは浮かんでこないらしく、天を仰いで溜め息をついた。僕はどうしようもなくなり、今度は漠然とマウスをいじってみる。住宅地図に店舗名以上の情報がないのなら、市内のどこかに手がかりでも落ちていないかという淡い期待で指先を動かしていたのかも知れない。ネット上のストリートビューを五分、十分とぼんやり眺め、もう駄目かと諦めかけたとき、僕は半ば条件反射的に叫んでいた。
「これだ! こんなところに議員つながりの証拠があった!」
目に入ったのは、ある看板だった。特に地方であれば街中のいたるところで一年中見かける、国、県、市を問わず議員の顔写真と氏名の記された、街の景観を著しく損ねるあの縦長の立看板がモニターに映しだされていたのである。はじめに確認できたのは〈都丸総本家〉の方で辻議員、次が〈キバヤシ〉で永井議員。どちらも駐車場の空きスペースに立てかけられており、撮影ポイントを異動させると店舗の名前まで明確に識別できる。
真壁はいつの間にかその様子を僕の傍まで回りこみながら固唾をのんで見つめており、念のために僕が昨日、一昨日と撮影した写真と照らしあわせ店舗の外見、位置とも一致するのを目視するや否や、机の端に捨ておいていた、以前に会派と議員の名前を羅列した紙を取り憑かれたように引っつかんで呟いた。
「もう間違いない。吾妻、永井、辻の議員三人のうち誰かだ」
移転賛成
〈民政連合〉 横山、南波、貝塚、水島、小畑
〈元気の友〉 吾妻、望月、吉田
〈家庭の会〉 永井、乾、西条 ※当初は反対
〈興隆の有志〉中村、小山田
〈無所属〉 佐渡川
移転反対
〈憲政会〉 車田、佐藤、鈴木、本庄、西、高橋、増田、浜岡、重本、板垣、石黒
〈維新神風〉 渡辺、桜井、辻
僕も倣うようにその紙を眺め、頷いた。所属会派はそれぞれ〈元気の友〉〈家庭の会〉〈維新神風〉といずれも三人会派。十一対十六を逆転して、十四対十三に持ちこむのにうってつけの容疑者候補である。ただ、この時点でひとり脱落するのは確実だった。
「辻議員は違うね? たしかに移転反対派だけど」
「そうだ、広瀬くん。〈維新神風〉は元から反対。仮に犯行に関与しているとすれば誘致企業の鞍替えだろうが、それなら永井議員を刺激する必要はない。こんな迂遠な方法を取らずとも、もっともらしい理由をつけて賛成に回れば目的は達せる」
「じゃあ、やっぱり吾妻議員?」
はじめから移転賛成派の吾妻議員が、この問題に関して〈家庭の会〉を自分たちの側に引きいれたのではないか。何しろ〈元気の友〉自体は数を増やしようがない。三人会派をひとつ翻意させる、そのために教育にうるさい永井議員を刺激したという考えの方が自然だ。結果的に永井議員の怒りに火を注ぐような発言もあった。ところが真壁は違うらしい。
「いや、永井議員も大いに可能性がある」
僕は一瞬、耳を疑った。数の上ではあり得るが、そんなことがあるだろうか。たしかにあのとき、中継動画で見たではないか。あんなにも大きな声で、事件を重大視していた。僕たちがこうして動くハメになったのは、他でもない永井議員が騒ぎはじめたせいなのだ。誰よりも永井議員が、事件発生を由々しき事態と捉えている。もしそのはずの張本人がイタズラに噛んでいるとしたら、とんでもない自作自演だ!
「何だって? まさか……」
「いや、そのまさかだ。どちらも等しく可能性がある。巴小を移転するかしないか、議会で拮抗していたのは紛れもない事実。三人会派ひとつが意見を覆すだけで決議が逆転するのは〈家庭の会〉も同じだ。ちょうどイタズラが十二月の後半に二回あって、その後、年明けまでの間に都合よく間隔が空いたのにもこれで説明がつく」
はじめの二回は巴小が現在地にあることを問題化するのが狙いで、その時点では移転賛成の意見さえ出せればイタズラを止める予定だった。ところが巡回に屈する形で事件が収束しては、理由からして意見を元に戻さざるを得ない。だから今度は移転賛成を正当化するため、市の無力さを証明する目的でイタズラを繰りかえしたということか。
「でも、こんな自作自演を仕掛けるなんて」
「内通者を使って、俺たちを巡回に駆りだしてまで事件を問題化させている。途轍もない手間だ。巴小をどちらに建てて、空いた土地にどの企業を誘致するかがいかに大きな利権か窺い知れる。たとえ永井議員が絡んでいるとしても俺はまったく不思議には思わない」
「でも永井議員は教育にうるさいって評判なんだ。みんな同じようなこと言ってる」
たしかに僕は聞いた。学校経理課長が騒ぎはじめたとき、他の課長たちも永井議員を議員にしては珍しい、答弁書を読むだけの人物ではないと噂していた。
「おいおい、君はいったい何を見てきたんだ? 一部からあらぬ噂を立てられていた室長は、普通に若い女の子が好きだった。君のお気に入りの、というよりはお気に入りだったえなちゃんだってかなりのやり手だったじゃないか。永井議員に限って世間の評判通りの人物に違いないなんて、どうして言い切れるんだ? 今の巴小跡地に工場を建てたがっている企業が、利益を提供して〈家庭の会〉を引きいれた可能性も十分にある。お地蔵さまへのイタズラが、意見を翻す理由づけだとしても説明がつくじゃないか」
そこまで言われると、僕はどうしても迷ってしまう。真壁の指摘は正しい。病院で聞いた話は、僕の室長に対するイメージを一変させた。えなちゃんがあんな女の子だと知ったときも、イメージとの大きなギャップに落ち込んだものだった。同時に永井議員への固定観念も揺らぎはじめる。
そうなのだ。あのヒステリックな永井議員の反応も、純粋な思想信条に拠るものだと誰が断定できるだろうか。あれが永井議員みずから作りあげた台本に則った発言でないとする証拠はどこにあるというのか。議員の発言する台本を書きあげている市職員が、それに外れたからといって議員の本心による発言だとどうして判断できるだろうか。とはいえ真壁も迷っているらしく、紙を机に置いて小さく呻きながら元の席へ戻ってしまう。
「ただ〈元気の友〉、つまり吾妻議員が関与している可能性も同じようにある。同じ三人会派の〈家庭の会〉を引きこむために利用したとも大いに考えられるからだ。どちらか絞りこめさえすれば、待ち伏せの場所も方法も決まるんだが……」
四分の一が三分の一になり、二分の一にまで絞りこめた。ここまで来ればヤマ勘を張ればいいじゃないかと思う反面、やはりこれだけの問題であるからには何か決め手を見つけてどちらかを選びたい気持ちがあった。必死の抵抗のつもりで、手がかりはないか記憶をどうにか探ってみる。
するとしばらくして頭に閃きが走った。真壁が恵比寿の逮捕現場に居あわせながらその場で見落としていた情報があったのと同じように、僕の方でも何とはなしに直に接しておきながら忘れている情報がまだあるのではないか。そしてその情報は、真壁も聞きながしてしまっているのではないか。もしかすると、それがヒントになるかも知れない。僕はためしに地図に目を落として指さしてみた。
「真壁。多分、こっちじゃないかな」




