五 ちょっと通りますよ ③
二月二十七日 月曜日
「それは本当ですか?」
「ええ、警察の方と話をしたのは私ですから、間違いありません。それにしても大変ですね、管轄外の問い合わせなんか入って。相談室って、そういうこと多いんですか?」
「たまにあるんですよ。でも、これですっきりしました。ありがとうございます。お手数をおかけしました。では失礼します」
廊下からカウンター越しに福祉総務課の門脇へ頭を下げ、僕は足早に階段へと向かった。つい今しがた、多分に関連すると思われる質問が相談室にあったと偽り、いつから交番へ電話がかかってくるようになったか確認を済ませたところである。それにしても捜査のためにウソをつけるようになるとは、僕もなかなか真壁に負けず劣らず探偵の真似事が板についてきたようだ。時期についてもひとまず納得できる答えを得られたこともあって、まんざらでもない気がする。ともかく相棒に報告だ。廊下から足早に階段を駆けおりる。
「いま戻ったよ」
相談室の扉を開けると、真壁は並べた椅子の上で仰向けに寝そべりながら住宅地図のコピーを眺めていた。手に提げていたカバンを机に置いてもそのまま、とても職務中とは思えない行儀の悪さで何やらぶつぶつ呟いている。
「電話がかかってきた時期も分かった」
「本当かい?」
吉報を持ちかえってきた旨を告げてようやく身体を起こした。リラックスするのにも程があると言いたかったが、心身の疲労を抜くよう忠告したのは僕自身である。咎めるのは早々に止めておいた。
「福祉総務課に来てたのはやっぱりその件だったみたいだ。今年に入ってすぐだって」
「深夜巡回が始まるのが決まって、すぐに対策を練ったんだな」
交番への電話と例の事件が関連している疑惑は、これでますます深まった。僕が二、三日のあいだ、真壁の指示に従って奔走した甲斐もありそうだ。その結果はカメラに収められている。
「それから、頼まれてた写真は撮りおえたよ」
カバンから取りだして渡すと、真壁はひとしきりサムネイルを確認し満足げにノートパソコンに落としこむ。写真を撮影したエリアは市内の一部に限られているが、それでもピンポイントに場所が絞り込まれているわけではない。正直いってかなり骨が折れた。冬場で日が短いのが災いし、金曜午後の残り勤務時間はもちろん土日を使ってもなお作業は終わらず、きょう月曜の昼前までかかったのである。しかも急な指示だったせいで、具体的な根拠までは未だ確認できずにいる。息をつきがてら、モニターに向かう真壁に訊ねた。
「ところで、何でこれが実行犯のいる可能性のある場所なわけ? 時間がないって急かされたからその通りにしたけどさ」
「悪かった。ここまで時間的な余裕ができるとは思わなかったら……。改めて説明するよ」
真壁は僕の持っていたカバンから地図を抜きとり、机の上に広げた。そこにはお地蔵さまを中心とした半径約二・五キロの円と、それと同心円状の一・五キロの円が描かれている。写真撮影したのはこの二つの円のうち、後者の内側だった。
該当する地域は住宅街が大半を占めており、そこを南東方向に引っ張られるような形で東西と南北にそれぞれ三本ずつの一車線道路が、その間を何本もの細い道路が走っている。また住宅街から外れた同心円内の北西から南東よりにかけては、相応に広い国道が通っていた。まず指ししめされたのは、円の中心に位置するお地蔵さまだ。
「現場の交差点は、たしかに公道だ。だから誰でも行き来ができる。したがってお地蔵さまへのイタズラだけを見れば、実行犯がどの範囲の、どの方角から来るのかは分からない。しかし携帯電話で交番に警察官の在所を確認したとなれば話は別だ。なぜなら電話をした時点で警察官が交番にいても、その後に外出する可能性がある。何度も繰りかえしているわけだから、偶然、犯行現場で鉢合わせするかも知れない。もしくは電話とイタズラの関連性を疑われることもあり得る。電話による言わば実行犯の安全確保は、仮に直後に警察官が現場に向かってもそのときにはイタズラを終えられる場所にいて初めて成立する方法だからだ。
つまり実行犯の居場所は、お地蔵さまと交番の間隔より遠い距離ではないと断言できる。具体的な範囲は、以前に君が示してくれた静町交番の管轄区域が基準だ。お地蔵さまはその端のほうにあるから約二・五キロ。時間にして片道五分といったところか。ただ、これでは移動だけに安全を確保できる時間を使ってしまう。乗り物を乗り降りする手間も考えると、移動に使えるのは三分くらいと見ていい。だから実行犯はこのお地蔵さまを中心とした、一・五キロの円の内側にいると考えられる」
これはだいたい分かっていた。事前に詳細まで訊かなかったのは、真壁を全面的に信用していたからである。とはいえ、外回りをしながら気になる点が幾つかあった。その最たるものが、円の内側でも南に位置する歓楽街だけは写真撮影の対象から除外するとの指示だ。今度は僕がそのエリアを指さす。
「でも、何でここは調べなくていいんだ? 一・五キロの円の中に入ってるじゃないか」
「歓楽街は深夜の営業だ。イタズラが平日に限定されているならともかく、金曜日や週末にも実行されている以上、営業時間帯には動けない。よってこの一角は除外していい」
「あと範囲を推定できるのは、あくまで実行犯が電話をかけた時点でその場所にいる場合での話だよね?」
「君は実行犯が必要な時だけそこに行って、普段は別のところにいるかも知れないと言いたいようだが、その可能性はまずない。仮に建物から出て電話をしたとして、お地蔵さまから離れていっては逆効果だ。そんな手間をかけるだけ無駄になる。かといって、わざわざ電話をかけるためだけに円の範囲内で現場ちかくへ移動しているとも考えにくい。見てくれ、現場周辺の大部分が住宅街だ。深夜に人通りが少ない中、何度も浮浪者を装って電話をしていたら嫌でも目立つ。現場付近は通行量がゼロでも、それ以外は夜が遅い家もあるだろうから下手に策を弄すれば無用のリスクを負うハメになる。毎度のように遠くから車かバイクを飛ばして、域内から電話をかけたはいいが交番に警察官がいなかったら無駄足になる。そもそも実際にイタズラをするのは週に一度程度でも、電話をするのはほぼ毎日だ。普段の居場所から移動する手間までかけるのはまず無理だろう。
警察官の在所の有無がイタズラを実行するか否かの判断材料になるから、はじめからカムフラージュのための電話と決め打ちはできないわけだし、下手に見送ろうものなら絶好のタイミングを逃すことになる。だから域内のいずれかのポイントが、普段から実行犯がいる場所と見なして間違いない。お地蔵さまにあのような無体なマネをする着想もSMサロンに出入りした経験があってのものだ。となれば、無職ではあり得ない。何らかの手段で収入を得ていて、そこまで厳しく時間に拘束されない人物に限られる」
たしかにそうだ。犯人といえども、おそらくは生活がある。単発の犯行ならともかく、何度も繰りかえすからには負担を最低限に抑えようとするのが自然だ。しかも雇われの身分ではなく、時間にある程度の融通が利く、店舗や施設の経営者である可能性が高い。僕が以前に電話帳を引っ張って目の当たりにした市内全域の一五〇〇という数字は絶望的だが、真壁がエリアを大幅に絞ってくれたおかげで全てに真正面から向きあう必要はなくなった。おまけに対象は大部分が住宅街だ。駅周辺と比べれば店舗の密度も低い。
「それについては分かったよ」
もっとも懸念材料は他にもあるのだが、真壁はそんな気も知らない様子で快調にマウスを動かし、キーボードを叩く。いちど挿入したSDカードをカメラに戻すや、一つひとつ写真の画像を目視しては手元の住宅地図と照らしあわせてファイル名に番号をつけていく。
「やっぱり住宅地図は正確なんだな」
僕の撮った写真、つまり真壁の見ている画像はおおかたどれも似たり寄ったり。一戸建ての家が立ちならぶ住宅街のほかは閑散と点在する住宅や店舗が大部分で、残りは森に林、ときに放置された田畑、車線のない道路。地方のどこにでもある風景である。幾つかの例外は指定された範囲の北から東に伸びる広い国道二一六号線沿いだけで、そこはまあまあの数の商店が並んでいた。特に念入りに写真を撮ってくるよう指示を受けた箇所だ。
「店舗の位置は掴めた。ひとまずは十分だ」
「でも看板も出していない、電話帳にも番号を載せていない自営業者は?」
僕はこれを心配していた。全ての商店の類が、情報を開示しているとは限らない。しかし真壁は溜め息をつくばかり。
「君、自分何を言っているか分かっているのか?」
「えっ?」
「電話帳に番号も載せず、看板も出さなければ仕事は来ない。自営業者は俺たちと違って、自分で仕事を取らなければ金は入ってこないんだぜ。存在をひた隠しにしてどうする」
公務員の悪いクセだ。黙っていても仕事が入ってくる組織の方が少ない。
「そうか。ただ、必ずしも一般人を相手にする業種とは限らないんじゃないか?」
「これは仮に看板などを出していても同じだが、小規模の自営業者では自由に時間を作るのは難しいと思う。仕事を休んでイタズラが出来るとしても、それこそ実行犯にも生活がある。どんな業種でも二か月のあいだ仕事を放りだしていたら、もういちど軌道に乗せるのにも時間がかかる。もしかしたら信用をなくして再開できないかも知れない──仮に共犯者から分け前が貰えるとしても、今の仕事を潰したら本末転倒だ。ほとんど実施の直前に示された巡回スケジュールに沿って、なおかつ仕事を潰さない程度にイタズラを継続するには人を使う程度の規模は最低でも必要になる」
「言われてみればたしかに……」
「そういうわけだ。君に写真を撮ってもらったのも、地図にない店や施設がないかどうかを調べるためだ。おかげで、やはり住宅地図のとおりだったのが分かったよ。ここまで来ればあともう一押し。広瀬くん、少し手間だがこれらを種類ごとに分けてみてくれ」
とはいえ、まだ会社や店舗の類は幾つもある。真壁が地図につけた番号も、それなりの数があった。半径一・五キロの円内およそ七平方キロは市の全域約二二五平方キロの三パーセント強に過ぎず、住宅街が比較的ひろい面積を占めるとはいえまあまあ太い国道沿いのエリアも含んでいる。その域内に点在する店舗等の数は、歓楽街を除いてなお市全体の約四パーセントに当たる六二。僕の方で再度、確認したが重複や見落としはない。
言われたとおりにメモ書きしてみたところ、内訳はコンビニが一八、飲食店が八、病院が大小含めて七、新聞販売店にコインランドリー、学習塾が四、スポーツジムと携帯ショップ、スーパーマーケットが三、パン屋と和菓子屋、弁当屋が二つずつにドラッグストアが一。ちなみに三つある保育園に、一つずつある小中学校と幼稚園、老人ホームがあらかじめ除外されているのは理解できた。いずれも深夜に時間の自由が利く職業ではない。幼稚園に至っては深夜に無人となることを現場で目視している。
「なあ、そうは言ってもここからどうやって候補を絞りこむんだ?」
「実行犯のいる可能性のある場所を探る」
それでも懸念事項はまだある。実行犯の場所の特定が、果たして僕たちが待ち伏せるポイントの選定に繋がるのか。
「でもこの辺り、細い道がたくさん通ってる。どこを通るかなんて分からないじゃないか」
だが真壁は、またしても呆れたといった風にモニターの画像を指ししめた。
「広瀬くん、君に写真を頼んだのは、実行犯が使いそうな道路が他にないかどうかの確認も兼ねていたんだよ。たしかに気まぐれに現場へ行くなら道は何通りもあるだろうが、実行犯はいちはやく現場に到着しなきゃいけないんだぜ。迂回なんかして無駄に時間をかけるようなマネをすれば、それこそ交番のパトロールに出くわしかねない。それに君の撮ってきた写真を見てみるといい」
建物の様子を見るに、道路に振られている番号は画像ファイルのそれと一致している。
「他に信号がある道路があるのに、深夜、車線はおろか点滅信号さえない狭い道路をわざわざ通るだろうか? 俺なら通らないね。それなりの速度は出さざるを得ないはずだから、いくら深夜でも万が一、交差点で事故を起こしたら大惨事になる恐れがある。一車線道路よりもずっと高い可能性でだ。そこへ行くと現場の四方はすべて二つ先の交差点に信号がある。片側一本ずつとはいえ車線もある」
たしかにそうだ。実行犯が最短のルートを通るのは確実だろう。しかも現場へ向かうのに交通上の安全を確保する必要があるから、信号機の設置された交差点を経由すると考えてよい。所在地の特定は、十分に犯人逮捕の手がかりになり得る。僕が唸りながら地図を眺める間にも、話は続く。真壁はいつの間にかノートパソコンを開いていた。どうやら店舗の業務形態をそれぞれ確認しているようだ。
「では、一つひとつ見ていこうか。まずコインランドリーは基本的に人がいないはずだから無視していい。ドコモにau、ソフトバンクと大手三つが揃っている携帯ショップは閉店が夜七時半と早い。そのあと業務があるとしても、逆に朝も遅くはないから毎日深夜までの無理は利かないはず。次にマルト、エコスにヨークベニマルなどのやはり大手のスーパーマーケットは閉店が夜十時。こちらは開店が朝六時台と早いけど、正規の店長は夜七時前後に退社するからやはり深夜に動いては無理が出る。どちらの業種とも店長といえど雇われの身だということを考えると、ドラッグストアのカワチ薬品もこれと同じだな。もう一度言うが、内通者の指示に従って動けるのは時間に自由が利く人物のはずなんだ。つまりこれらも除外できる」
いくらダメ公務員でも、組織に属する人間は昇進するにつれ時間の自由がなくなるという世の原則は理解している。民間の雇われ店長ともなれば、どれほど忙しいかは想像がつく。ただしある意味、組織の外の人間ならどうか。疑問に思い僕は口を差しはさんだ。
「じゃあコンビニならどうだろう? ここにあるのはセブンイレブン、ファミリーマートにローソンとメジャーなところが揃ってるけど、レジに並ぶのはアルバイトだ。オーナーはある程度、動けるんじゃなかろうか」
「そこもおそらくは難しい。いま色々と調べながら話しているが、オーナーといってもさっき言った雇われ店長とさして違いがない。そもそもコンビニは、フランチャイズ契約を結んでいる本部からの指示に従って動いているようなんだ。君もコンビニに配送のトラックが停まっているのを見たことはないか? あれに間に合わせるための連絡とか雑用があるから、下手なサラリーマンより身動きが取れない。勤務は朝の七時半から夜の十時だそうだ。自由になるのはその他諸々すべて含めておよそ九時間。自宅が離れていれば通勤時間もそこから削られる。おそらくは普段からSMサロンに通う余裕はないはずだ。のこのこ深夜に起きだして、交番への電話や犯行現場への往復などしていたら睡眠時間は四、五時間程度だろう。イタズラにかかわずらっている暇なんかないと思うね」
「するとそこも除外か」
考えは外れたものの、候補が絞られたことは純粋に喜びたい。真壁は僕の顔を一瞥し、納得したのを確認してからまたマウスを動かして一度、二度とクリックする。




