五 ちょっと通りますよ ②
「内通者は恵比寿が巡回に出るのを利用して、盗撮犯がいるとの通報を交番あてに行った。もし最初から恵比寿が当番に入っていたなら、俺たち以外の全員を逐一洗いださなければいけなかっただろう。ところが恵比寿が巡回に出るハメになったのは、はじめ当番だった別の職員がインフルエンザにかかり、出動不能になった土曜日の夕方。つまりこの状況で恵比寿を利用できる人物は、ふだん決裁を供覧している中からさらに絞られる」
「あっ!」
僕は思わず呟いた。そうだった。非常時はさすがに決裁を取るわけにはいかないために、あらかじめ取り決めがされていた。恵比寿に出番が回ってきた際にも、緊急の電話連絡がなされたはずなのだ。
「そうか真壁、元は図書館の誰かが当番に入ることになっていたから、当然、図書館長から肝月課長へ、そこから立川部長、教育長……。深夜までに人員の変更を知っているのはこの四人。でも図書館長が職員の動向を掴める日は限られてるから除外か」
「同じ理由で肝月課長もなしだ。少なくとも肝月課長ひとりの可能性はない」
「どうして? いや、うちの課長を疑いたくないけどさ」
「インフルエンザで休んだ時期があったはずだ。その間にもお地蔵さまはイタズラされていたから、肝月課長が情報を外部に持ち出すのは不可能だ。仮病か何かで誰かに電話で訊いたとしても、特に皆がどこか疑心暗鬼になっているんだ、そんなことをしたら噂になる。内通者は立川部長か、教育長のどちらかだ」
あのとき白河係長は肝月課長を通さずにスケジュールの調整をしていた。ということは、内通者に関してはまさにその通りだ。真壁もはっきりと口には出さないものの、教育長は市長と交際しているから、内通者とはほぼ間違いなくイコール立川部長と推定できる。つまりは僕たちや肝月課長は各課と擦りあわせのうえスケジュールを立てるたび、その結果をご丁寧にも内通者に報告していたことになる。これではばれて当然だ。官公庁のみならず、一般的な組織の仕組みを利用するとはまさに狡猾の一言に尽きる。
それにしてももし職員の誰もが健康体であったなら、こうまでうまく内通者を絞りこめはしなかっただろう。また巡回の回数が少なかったとしたら、こういった異常にも気づかなかったに違いない。僕と真壁が心身の不調をおして深夜に出張った日々は、決して無駄ではなかったのだ。
「そう考えると、庁内にインフルエンザが蔓延するのも場合によっては悪くないね」
「まったくだ。おまけに、それなら火床警察署の本署からパトロールを出していないことを知っているのにも説明がつく。去年の会議の結果は報告されているはずだから」
「でも、これで分かった。実はインフルエンザで倒れる前、僕から課長に言ってみたんだ。これだけ巡回に出ても犯人が見つからないのはおかしい、内通者がいるかも知れないって。そしたら似たような意見の他の課長もいるから、立川部長や教育長に伝えてみるって」
僕が内通者の存在を疑っていると聞き、おそらくは立川部長が何らかの対策を講じた。そこへ急遽、問題職員の恵比寿が巡回に出ると知り、うまい具合に利用したとすれば一連の流れは何ら不自然ではない。
「多分それだ。広瀬くん、何でもっと早く教えてくれなかったんだ? でも確信したよ。もし肝月課長を通じて現場の意見が上申されなかったら、今でも内通者がいるかどうかははっきりしなかったはずだ。もちろん管理職の間でも内通者は疑われていたらしいから、そのうち何かのアクションを起こした可能性はある。ただ、多分に君の一言が図らずも内通者に揺さぶりをかけた形になったんだろう。こうなったからには企業誘致の利権がらみが動機の背景にあるのは確実だ。それにしては随分と迂闊な対応だったな。何せ俺たちの目を眩ますために打った一手で、逆に正体をばらす結果になった。しかし君には礼を言わなければならない。俺にひらめきのヒントをくれた」
真壁は、机の上に無造作に置かれたクジを指さした。そう、内通者の存在を再び疑うきっかけとなったのはこれだった。銀はがしの円が、決裁に押される円い印鑑と重なったのである。愉快犯とつるんで、庁内の人間がこんな手の込んだマネをする理由が他にないのも同意できた。単なるイタズラといっても軽犯罪は適用される。懲戒まではされないにしろ、このタイミングで処罰のリスクを冒してまでそれを始める動機はひとつだった。
そうである以上は金銭も動いているだろう。そもそもいかに相談室が末端組織といえど、僕たちの業務を妨げるこれらの行為は明らかに刑事罰の対象になる。僕が試しにノートパソコンで調べてみると、どうやら公務執行妨害と偽計業務妨害に該当しそうだった。
刑法 第一九七条第一項 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、七年以下の懲役に処する。
刑法 第二三三条 虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五〇万円以下の罰金に処する。
もっとも内通者の絞りこみがまだ不完全だ。立川部長か、それとも教育長かは確定していないというのに真壁が話を進めようとしているのも引っかかる。
「何をそんなに深刻な顔をしている?」
「内通者の特定はしなくていいの?」
「実際にどちらなのかの答えはいずれ出る。今はそれより、内通者の存在と情報漏洩のプロセスが特定できたことの方に意味がある」
「そうだとしても、報告する義務はあるだろ。こんなとんでもない事実を知っていながら、黙ってるのは服務規程違反にもなりかねない」
地方公務員法 第三二条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
僕は再びノートパソコンに目をやる。これも懸念材料だった。私財を投じてまでこんなにも忠実に職務を遂行してきたのに、ひとつの法令違反が全てを台無しにはしまいか。
「論外だ。俺たちが報告する相手はまず肝月課長だが、そこから先の誰かの判断によっては内通者に直接、詰問される可能性がある。もしくは俺たちの捜査が真相に近づいていると覚られる恐れがある。そうなればイタズラそのものが止まり、事件解決不可能の結果を残して逃げられかねない。ここはいわゆる超法規的判断で事件解決まで俺たちが独断で動くべきだ。だいいち、何もかも全て上司に報告しろという命令をいつ受けた? したがって法令違反にはならない。異論があるなら該当法令を提示してくれたまえ」
連絡・報告・相談といった仕事の基本を命令外と捉えるのはほとんど詭弁だが、屁理屈なりに筋は通っている。もと法務課所属だけあって自信満々といった口調だ。昨日の、組織のために尽くすつもりはないとの意思がどれほど固いかが窺える。ここまで来れたのはひとえに真壁のおかげだった。僕がそれを妨げる資格はどこにもない。
「分かったよ。でもたしかに厄介だな。元の罪状が重かったら警察も動いてくれるんだろうけど、こんな軽犯罪だから端から相手にされてないんだよなあ。本来なら捜査に本腰いれてくれてもよさそうなんだけど」
「そう、警察に頼らず現場を押さえて私人として現行犯逮捕するしかない」
「問題はいつ実行犯が現れるか」
そこで真壁は手元の決裁を少し検めると、何かを思いついたように僕の前に指ししめした。もう決裁を回すだけになった三月のスケジュール表だ。質問通告締切の前日までたった一日しか休息日のないきわめてタイトなスケジュールである。
「これを利用する。もう調整が済んで回すだけの決裁だ。三月に入ってから六日連続で巡回が予定されている。その翌日が三月議会の質問通告締切の前日だが、もしイタズラが行われるとすればここだろう。というより議会前に事件未解決をアピールするためのイタズラが行われる公算が大だ。スケジュール上ではこの日に巡回は行われないはずだが、そこに俺と広瀬くんが待ち伏せる」
「駄目だったら?」
「捕まるまでスケジュールが空いた日に出張るしかない。体力が持つまで続ける」
かなりの荒技、賭けに近い。しかも相当に分が悪かった。仮に質問通告締切の前日まで真壁を休ませるとしても、果たして僕がその先どこまで耐えられるかどうかが不透明だ。だいいち、実行犯を実際に逮捕できるのかという疑問がある。法的な正誤云々ではなく、物理的にできるか否かという問題だ。防犯カメラの映像からして背格好はどれも同じに見える。したがって実行犯は一人と考えてよく、僕たち二人がかりなら単純な力関係だけなら可能なように思えた。ただ、他にも障害がありそうではある。真壁もどうやら腹の中は同じらしく、少し宙を眺めるような素振りを見せたあと忌々しそうに口を開く。
「それでもまだ課題がある。現場は交差点だ。実行犯が果たしてどこから来るかを予測しなければならない」
「防犯カメラの映像があるじゃないか……でも駄目か、あれは下向きで誰もいないときは地面ばっかり映ってる。くそっ、カメラの位置と角度さえまともならこんな苦労しなくて済むのに。でも待てよ、僕たちが私費で購入した小型カメラを使うのはどうだろう?」
「あれは何日も屋外で放置できる代物じゃない。たとえば明日から近くに置いておくとして、何らかのトラブルで紛失したとしたら代わりが必要だ。俺はこの期に及んで金に糸目をつけるつもりはないが、調達するのに時間がかかる。注文して届くのを待っている間に、質問通告締切が来てしまう。そもそも現場の周りはどこも私有地だ」
「誰かに取りはずされる可能性もあるってことか。万が一、僕たちの仕業だとばれたらそれこそ問題になるな」
僕たちにとって不利な現場の状況が、今さらながらに恨めしい。お地蔵さまを覆う上屋の屋根の形さえ違っていれば、どの方角から犯人が来るかだけでも分かったものを。
「そう。だから実行犯を捕まえるためには、当然ながらその場に居あわせる必要がある。だが現場は本来、人通りがない場所だ。俺たちが堂々と待ち伏せていては気づかれてしまう。いちかばちかで予定にない巡回を敢行されれば捕まる恐れがあるのは向こうも承知のはずだから──俺たちの背格好くらいは知らされているだろう──もし姿を見られたらまず警戒される」
「どうすればいい?」
「交差点に張りつくのではなく、実行犯の後をつけて隙を突く。何しろ現行犯で逮捕しなければならない。しかもチャンスは一度きりだ。現状のように、俺たちがスケジュール通りに動くものと相手が思いこんでいるからこそ通用する作戦だからね。これを逃したら、もう事件解決は不可能と考えていい。ミスは許されない」
「でも、それをどうやって絞りこむか……」
現場は悪いことに交差点だ。つまり犯人の来る方角は四方向。確率にして四分の一だ。勘を当てにするのは危険だった。外れたらそれこそ次はない。まったくもって分からず呟いてみたものの、いっぽうで意外にも真壁の顔から悲観的な色はさほど窺えなかった。
「ある程度の目星はつけられそうだ。出来うる限り確率を上げる程度のものでしかないが。しかしひとまず休憩させてくれないか?」
言われて時計を見てみれば、もう一時半を過ぎている。真壁が手元に引きよせた缶コーヒーは、昨日からそこに置かれていたものだから当然、中は空だ。僅かばかり残っていたところで、冬の乾いた空気に残滓も蒸発してしまっている。僕は何を言うまでもなく、小銭を手に相談室を出て自販機へと向かった。




