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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
31/42

五 ちょっと通りますよ ①

二月二十四日 金曜日


 昼休み、僕は馴染みの弁当屋〈Foret〉で陳列棚の中を覗きこんでいた。相談室を出るのが遅かったせいもあり、商品はかなり売れてしまったらしく棚は空のスペースが目立つ。

「何にされますか?」

 ただ、悪いことばかりでもない。おかげで他に客はおらず、しかもおそらくはじめてアルバイトの女の子の方から声をかけてくれた。いつもなら昨年末以来どころか、親しくなる絶好のチャンスと見て気の利いた話でもするところだ。しかしそんな余裕はとっくに失われている。

「何か、お腹にいいものある?」

「具合でも悪いんですか?」

「僕じゃないんだけどね。同じ係で、今ちょっと寝込んでる人がいるもんで」

 真壁は今日も何とか出勤しているものの、健康と呼べる状態にはほど遠い。衣服は乱れ、顔は青白く頬も痩けていた。生活サイクルが壊れていては、きのう一日だけ早く帰宅しても疲労を回復するのに不十分なのは明らかだった。出がけに何を買っていくか訊いても、返ってくるのは「任せる」の一言だけ。症状はむしろ悪化しているように思えた。したがって残された商品が少ないといっても、僕ひとりが食べたいものを選ぶだけならともかく、真壁の分もとなるとどうしても迷う。できるだけ身体にいいものを選びたいからだ。

「それは大変ですね……今ちょっと……」

 アルバイトの子は奥の方をちらっと見ると、思いだしたように手を叩いた。

「これなんてどうです?」

 指さしたのは陳列棚の上に掲げられている小さな立て札だった。そこには「トマトリゾット弁当 六〇〇円」とある。

「冷えるとよくないので棚には置いておけませんけど、うちの商品の中では一番お腹に優しいと思いますよ」

 立て札に気づかないとは、僕もずいぶんと注意力が散漫になっている。弁当屋としては珍しいメニューだが、これなら喉の通りも腹持ちもよさそうだ。

「じゃあ、トマトリゾット弁当ふたつで」

 リゾットそのものはすでに出来ているらしく、深さのある容器に入れられてすぐに出てくる。手渡されたビニール袋の中には、商品とプラスチックのスプーン二本が入っていた。僕は続けてレシートにくわえ前に渡されたのと同じ銀はがしのクジを受けとり、それらをビニール袋の中に入れて店を出る。

「いつもありがとうございます」

 そうして少し歩道を進みふと横を向いたとき、この薄汚れた街にあって珍しく磨きあげられたビルのガラス窓に映った僕自身の顔が目に入る。こういうときは大抵、光の具合や陰影もあってふだん見る姿と違うのは分かるのだが、それでも我ながらひどいご面相だった。自分でも気づかないうちに疲れが溜まっているらしく、目の下にはくっきりと隈が刻まれている。とはいえもっとひどい状態の真壁と比べれば、この程度で泣きごとを言ってはいられない。その真壁はどうしているか心配しながら相談室に戻ると、案の定というべきか扉を開いたのに反応してようやっと身体を起こしたところだった。

「広瀬くん、済まない」

 それでいながら僕がビニール袋を机に置くなり自ら手を伸ばし、その中からリゾット弁当とスプーンを取りだして食べはじめる。まるで二、三日飲まず食わずで過ごしていたような勢いである。朝食さえ億劫で食べていなかった可能性が大だ。喉の通りがよく、適度な温かさもありあっという間に完食してしまう。

 僕も真壁ほどではないが、午前中いっぱい仕事に集中していたためお腹が空いている。口にしてみると、なるほど寒い冬にはうってつけだった。トマトの風味が舌に優しく、なおかつ柔らかく火の通った鶏肉は結構な量がある。ゆっくり味わうつもりでも身体がこうした料理を求めているのか、すぐに米一粒も残さずに食べおえてしまった。それから程なくして、後片付けでもしようと何気なく畳んだビニール袋から二枚の紙切れが落ちる。

「これは?」

 真壁が向けた視線の先にはクジがある。もう片方のレシートには目もくれない。

「さっき弁当屋で貰ったんだ。銀はがしだよ」

 僕は机から拾いあげて、忘れないうちに試しておこうと手元に引きよせた。

「真壁、やってみる?」

「いや……」

 予想どおりの興味なさそうな答えを聞き、勘で右から二番目の円を財布に残っていた小銭で擦る。銀の剥がれたあとには、やはり「ハズレ」の三文字が表れた。

「駄目か」

 ちょっとした気分転換も終わったとなれば、あとは仕事を再開するのみだ。僕が外れたクジを捨てようとするも、真壁は腰を上げてそれを奪いとり、まじまじと眺めては急にはっきりとした声で僕の名前を口にする。

「広瀬くん」

 単に呼ばれただけでは、どのように反応したらよいか分からない。真壁は調子が悪いと急に空気が読めなくなったり、前後の文脈を飛ばして話をはじめる癖がある。それが何もないときに出るとは、鬱状態もここまで悪化したかと僕はいちど落胆した。

「何か用?」

 しかし続きを促してみると、どうも様子がこれまでと違う。瞳を濁すように覆っていた曇りはいつの間にか取りはらわれ、その下からは知恵の光が冴えざえと顔を覗かせている。鬱状態に苛まれる人間の表情ではない。いったい頭の中で何が起こったというのか。

「ようやく分かった」

 言葉足らずで会話として成り立っていないのだが、自信に満ちあふれたその響きを耳にしてもしやと思った僕は、ためしに訊いてみた。

「真壁、いったい何のことだ?」

「やはり内通者がスケジュールを外部に漏らしていることが、だ」

「いきなりそんな! でも、どうして」

 こうまではっきり言うからにはおそらく根拠がある。根も葉もないハッタリではないだろう。自信の窺える口調から心情的には真壁への期待が高まる一方、あまりにも突飛な発言に頭がついていかない。戸惑うばかりの僕へ真壁からの話は続く。

「昨日、君に話をしていたときからどうも引っかかっていた。いや、もっと早く気づくべきだった。疲れが溜まって無理に考えようとすると気分が悪くて仕方がなかったが、ようやくまともに頭がはたらくようになった。君のおかげだ」

 あんな二十分足らずの話で鬱症状が和らいだのなら喜ばしい限りだ。ただ、やはり内通者がいたとは、それ以前に今になって誰と判明したとはどうしたわけか。

「何か根拠はあるの?」

「ある。少し長くなるけどいいか?」

「うん」

 一も二もなく首を縦に振る。もし納得のいく理屈であれば、事件解決に大きく近づく。まずは根拠を聞かせてもらおうではないか。僕と真壁は空の容器とビニール袋を押しやり、両脇に巡回の資料を積みかさねたまま席に座る。

「説明することはたくさんあるが、まずは犯人がどうやって俺たちにも警察にも見つからずに何度もお地蔵さまにイタズラができたか、そこから話そうか。あの交差点は深夜になると人通りがほとんどなくなる。しかし以前に君が言っていたとおり、事件が起きてから俺たちと静町交番で深夜の巡回をしている。捕まらないようにするには俺たちと警察の両方の目を避けなければならない。これはたしかだ」

「そうだね。内通者がいたとしても交番のパトロールを避ける必要がある。でもそんな方法があるのか?」

「ある。俺自身がその場面を目の当たりにして、君に話をしておきながら気づかなかったのが間抜けだった。恵比寿が盗撮で捕まった夜の話は覚えているかい?」

「聞いた。運が悪かったと思ったけど」

「あれは運が悪かったのとはまったく違う。交番の警察官を使って、意図的に俺と恵比寿を現場から遠ざけるための電話だ。盗撮犯がいるなんていうのは単なる口実さ」

 真壁たちさえいなくなれば現場は無人になり、その間に犯人が悠々とイタズラできるという理屈は僕も何度も巡回に出ているだけによく分かる。しかしまだ話が飛びとびで論拠も不明なままだ。正直いって期待が大きかった分、やはりこの調子かと思うと不安になる。

「待ってくれ。なんでそんなことが分かるんだ? 偶然かも知れないじゃないか」

「偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。俺が交番にいる間に、都合よくお地蔵さまがイタズラされる確率がどれだけあるだろうか。しかもこれまで何度もビデオカメラを回して巡回に何度も出ているのに、あの日に限って通報されるなんて」

「でも、その確率はゼロってわけじゃないだろ? 恵比寿はある種の有名人だ。通報されてもおかしくないよ」

 何しろ恵比寿は地域の行事に自ら出向いて盗撮行為を繰りかえしながら、堂々とブログに画像を掲載していた痴れ者である。通報したのは途中から後をつけていた市民かも知れないと僕は考えていたのだが、真壁は自説にかなりの自信があるようだ。

「絶対にあり得る、あり得ないの話となると言いだしたらきりがない。それでもまったく無関係の第三者による通報としては不自然だ。そもそもあの夜、見落としがなければ、俺は誰かとすれ違った記憶がない」

「見落としがなければね。真壁は疲れてたんだよ。もしもって事がある」

「まあいい。ここは何歩か譲って、あの電話に関してはひとまず偶然だと見なすとしよう。ただ、もう一つの方は別だ」

「もう一つの方って?」

「俺の話を思いだしてくれ。俺が交番にいる間にかかってきた浮浪者風の電話だ」

 たしかあの日の夜、恵比寿を取りおさえている間に交番にかかってきた一本の電話があった。もっとも警察官はすぐに切ってしまったが。

「ああ、あれか。でもあの電話がどうしたっていうんだ?」

「警察官の話によると、あの電話は毎晩のようにかかってくるらしい。認知症の浮浪者と思われる人物からだそうだが、本当に悪意のない電話なんだろうか? 認知症らしき人物がネット上で売買されてるプリペイド携帯なんて持てるだろうか? 買いあたえたのが別の人物だとしても、そんな状態の人間を何かの犯罪に利用しようとするだろうか?」

「犯罪に巻き込まれた可能性もあるけど、そうとも限らないってことか……。でも交番には何度もその電話がかかってきたんだよね? 盗撮犯の通報と同じ人物だったら、声に聞きおぼえがあるんじゃないだろうか? だいたい通報の電話はあれ一回きりだし」

「君はずいぶん鈍いな……。そもそもお地蔵さまへのイタズラは単独犯ではあり得ないはずだぜ。実行犯は一人でも、情報提供をする人間が必要になる。そして俺たちのスケジュールを外部の人間が直接、把握するのはまず不可能」

「前にも言ってたね」

「つまり、可能なのは庁内の人間に限られる。そんな人間が深夜まで毎日のように交番にイタズラ電話をかけ、おまけに何度も外を出歩くのはかなりの無理がある。昼夜を問わずに動きまわるのがどんなに大変かは、俺たちが身をもって体感したはずだ」

 それらの作業を一人で続けるのは体力的に厳しい。実際、車内で座っているだけでも一週間で心身ともにかなり消耗した。期間が長引けば疲労は蓄積する。真壁に至っては一か月で鬱症状が悪化した。僕も健康な状態とは言いがたい。となれば共犯者が必要になるのは以前にも確認したし、僕も同じ考えでいる。毎晩のように交番へ電話をかけ、直にお地蔵さまへイタズラする実行犯が別にいるという仮説は筋が通っていた。

「分かった。でも何のために?」

「決まっている。あの日の通報だけはおそらく情報提供者、つまりは内通者が俺たちを現場から遠ざけるために、それ以外の電話は交番勤務している警察官の所在を確認するため実行犯がかけた。言うなれば犯人たちはそれぞれ別の目的で交番へ電話をかけていたんだ。前に俺がした話を思いだしてくれ。あの交番は夜だと一人勤務になる」

「えっ、どういうこと? 別の目的って言ったって、片方は僕たちをお地蔵さまのところから……なるほど、そうか! 交番に電話すれば、そこに警察官がいるかいないかを確認できる。通報かパトロールで交番を空けていれば電話には出られないし、逆にいるのなら外に出張ってることはあり得ない。現場で鉢合わせする可能性はゼロってわけだ!」

 深夜になると住宅街は人通りがほとんどなくなる地方ならではの特性だけでなく、公務員の人員不足につけこむとはますます巧妙だと言わざるを得ない。もしここが大都市部ならまず成立しない手口だ。

「その通りだ。交番の電話だから不在時は本署に転送されるだろうが、仮にいないと分かれば即座に電話を切ってその日のイタズラは諦めればいい。これなら交番のパトロールは確実にやり過ごせる。火床警察署の本署からは人員を動員していないうえに、県警は管轄区域全域を回っているからもともと遭遇する可能性はなきに等しい。電話がほとんど毎日のようにかかってくるのも、お地蔵さまへのイタズラとの関連を疑われないようにするためだろう。電話をイタズラする日にだけにしてしまうと、さすがに警察も怪しむからね。あとはいつ頃から浮浪者風の電話がかかってきたかを確認する必要があるが……」

 真壁がそこまで言ったところで、僕はあることを思いだした。以前にそれらしい用件で、この庁舎に来客がなかったか。そのとき、交番に電話がどうとか言っていなかったか。

「真壁、それなら僕に任せてよ」

「どうかしたか?」

「僕の記憶が間違ってなければ、たぶん福祉総務課に警察が訊きにきてた。福祉部門で把握してる行方不明の市民はいないかとか……」

 真壁は、ぱっと目を見開いて右の拳で左の掌を打つ。本当に久しぶりの冴えた反応だ。

「あり得るな。だが周囲に怪しまれないように頼む。お地蔵さまの件とは関連を覚られないように言い訳を作っておいた方がいい」

「何で?」

「俺たちの周りに、情報を漏らした内通者──おそらく主犯のひとり──がいるからさ。よく考えればすぐに分かったはずなんだ」

 そうは言われても、真壁が誰を指そうとしているのか見当がつかない。僕も実際、こうまで犯人に逃げられているのに不自然さを感じ、実行犯と手を組んでいる内通者の存在を一度は疑った。でもそれが身近にいるだなんて! 気になって仕方がなくなり、身を乗りだして真壁を急かした。

「でもその内通者って、誰なんだ?」

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