四 これあかんやつや ⑦
それにしても地方というのは実に偏狭な性格の持ち主だ。もちろんよそから引っ越してくる人はいるし、過去にまったく縁がなかったのにこの市役所に入庁する職員もいる。それでも多くの人がうまくやっているのは、この地方の文化に溶けこめたからだ。だったら馴染めばいいと言われるだろうが、残念ながら僕や真壁にはそうした適応能力が欠落している。おそらく何かの価値や感覚を形成する時期を、こことはあまりに性格の異なる土地で過ごしてしまった。そしてここの人間は、僕や真壁のような異端者と適当な距離を取って接してはくれない。同じ色に染まれなければ徹底排除の態度を取る。
「ずいぶん気が合うな。広瀬くん、この手の話はもっと早くしておくべきだったようだ」
「僕も、真壁があんなボロ車を運転してきたときに気づくべきだったよ」
「車なんて、単なる移動の手段だからね。多額の金銭を投じるのは馬鹿らしい」
「同感だ」
「それにしても相談室への異動といい、君と同じ部署にしてくれたことといい、昨年度の人事課だけはなかなかいい仕事をしてくれた」
僕が妙な感傷に耽る一方で、真壁は存外に明るい顔で起きあがる。
「そうだね」
言われてみれば外部からクソミソに貶される相談室がそれほど嫌でなかったのは、一緒にいる真壁と似たもの同士だったおかげかも知れない。
「もう少し話をしてもいいかい?」
少しでも真壁の気分がよくなるのなら、何でもするつもりだ。たとえ内容が愚痴でも聞いていてちっとも嫌ではない。僕は強く首を縦に振ってみせた。
「もちろん」
「広瀬くん、君は今の市役所に入って正解だと思うか?」
「当時の判断は間違いじゃなかった。ただ今になって正しかったと言いきれるかどうかは微妙だね」
「地方公務員が想像していたよりつらいのは俺もだ。入るのに勉強した割には大して得をした気分にもなれない」
「金銭面で生活だけは保証されてるけどね」
「飢えて死ぬ心配はないが、だからといってそれで満足できるかは話が別だからね。〝人はパンのみにて生きるにあらず〟。何が厳しいかと訊かれれば、逃げ道がない」
「組合は役立たずだしね」
「やはり君の場合もそうだったか」
「そのうえどこかで失敗したら、即座に情報が伝わる」
「職員の数がたかだか二千ちょっとのせいもあるな」
「いちど挫折したらそれでおしまい」
「生活の安定と引き替えだと言われたらそれまでだが、仮に辞めたとして就職口がない」
「そこが致命的だよね。働かずに生きていけるんだったら、悩まなくていいんだけどなあ……」
僕や真壁は火床市に入庁したはいいものの、そこで幾つかの誤りを犯しいわゆる日陰者となった。これが一般企業なら、転職など名誉を回復する方法も残されている。しかしどの企業も地方公務員を五年も続けた挙げ句にドロップアウトした人間など採用してくれない。考えようによっては、公務員ほどやり直しのきかない職業はないのだ。仮に僕たちのような変わり者に目をかけてくれる企業があったとしても、そこで耐えられる自信はない。だいいち、もはや地方にはまともな一般企業すらないのだから。
僕は窓から眼下に広がる街の風景を眺めた。駅の周りにはビルが立ちならぶも灯りは点々と散らばっているだけ。いかに空きビルが多いかを物語っている。辛うじて見とめられる数少ない看板は和民、サイゼリヤにバーミヤン。
「ここらへん、本当に外で食べるとこないよね。あるけど全国展開してるチェーン店だけで、例外はせいぜい今いるこの店とかごく一握りじゃない? もっとも僕なんかは食べにいく相手なんかいないけどさ」
その先も延々と住宅街が続くばかりで、ようやっと遙か彼方に強い光を発する幾つかの建物はイオンモール、ヤマダ電気にニトリ。別方向の少し手前に見えるのはしまむらだ。これらチェーン店、量販店の類は必要ではあるし、僕もよく利用するけれど、全国どこにでもある店しかない街は実に無個性だ。真壁も同じように窓の外に目をやり溜め息をつく。
「モノが全てとは言わないが、こうも店の種類が少ないのは寂しい限りだ。家電にこだわりはないからいいとして、服を買うにしてもどこにでもある店しかない。そこにあった百貨店も二年前に潰れた。もう俺はここ最近はネットで買い物するようにしている」
「だから、わざわざ外出する気にもならない。かといってネット上にもさして個性はないんだよね。通販サイトに上がってる服もどれも似たり寄ったり」
「着てるのはみんな同じような服。聞く音楽も同じような曲。まさに馬鹿の一つ覚えだ」
「そうそう。何が売りなのか、ホントに分からないよね」
「俺もまったく魅力を感じないね。それと、深夜にやっているらしい卑猥なアニメも」
痛いところを突かれた僕は、吹きだしそうになった。うすうす勘づいてはいたものの、たしかに深夜アニメもだいたい似たり寄ったりである。それにどっぷり浸かっている僕も、無個性な人間のひとりなわけだ。もっとも好みのものを卑猥と表現されては気分はよろしくなく、それとなく話を元に戻すことにした。
「何にせよ、選択肢がないんだよね」
「モノの貧困さがあらゆる画一化を生む悪循環だ」
「しかもその無個性な情報源に揃いもそろって囓りついてる」
「街行く人が皆スマートフォンにばかり気を取られているのが何よりの証拠だ」
おまけに、この土地が活気を取りもどす見込みはない。地方はどこも同じだろうが、少子高齢化の波が押しよせてきている。どこへ行ってもジジババばかり。当然、お年寄りに対しても公僕としての務めを果たす義務があるとはいえ、あまりにも比重が大きすぎる。火床市がいずれなくなるのは目に見えていた。他にも規模の小さな村や町があるからいの一番ではないにしても、人口三十万の街も取りたてて見所がなければ遅かれ早かれ消滅する。生き残るのは大都市とそのベッドタウンだけ。
就職の際に将来の展望をもたず、事前の調べも足りなかったとはいえ、一応ゆかりのある土地に戻ってこうなる事態を予測できただろうか。滅びゆく地方と命運を共にしなければならないとは、大げさな言い方をすれば地方公務員は土地に縛りつけられた囚人だ。
「住んでみるまでは分からなかった。こんな街だったとは……」
真壁も同じ考えらしい。顔から察するにまた気落ちしているように見える。
「だからもう無理する必要ないよ。お地蔵さまの件も適当に流せばいいよ」
真壁にさらなる負担をかけまいと労をいたわりつつ、僕は自身に言いきかせるように声をかけた。市長や教育長、巴町の会長など比較的お歳を召した方は人生を謳歌している。職場の同期も、仕事はそこそこ大変でもプライベートでは楽しそうだ。みな様々な形でこの土地に貢献しているだろうから至極まっとうな報酬を得ていると言える。
それに引きかえ、僕たちはどうだろう。ひどい仕打ちを受け、そんな奉仕の心など持てなくなってしまった。事件を解決しようにも、犯人を特定する手立ては現時点で皆無だ。ならば諦めようじゃないか。下手に抵抗するより、気力が舞いもどるまで待てばいい。まじめに仕事をするのはその後だ。真壁がいればそれも可能なように思えたし、この土地に留まる理由もできる。少なくとも僕はそう考えていた。ところが真壁は違うらしく急に声に力を込める。
「逆だな」
「逆?」
「広瀬くん、僕は君を少し買いかぶっていたようだ」
今の今まで萎れていたのに、目の前の相手に対してずいぶんと頼もしい発言だ。僕が黙って目を見張る間にも、真壁はいつになく強い調子でまくし立てる。
「こんな街、こんな腐った役所に尽くすつもりはない。いいかい、俺たちが今いる相談室は役所でもとびきりに待遇がいい部署だ。これでもけっこう気に入っているんだぜ」
だからスマートフォンの着信音をわざとあれにしていたのか。思い入れがなければあんな手間はかけない。
「他なら当たり前の残業がほとんどないからな。だったら相談室に残るために、俺は最善を尽くす。立川部長は事件が解決できなかったら異動と脅してきた。逆に言えば事件を解決できたら残れるわけだ」
「でも、約束を守ってくれるだろうか? 結果に関わらず異動させるつもりだったら?」
「立川部長や人事課が何をどうしようが関係ない。少なくとも事件を解決して、俺たちが相談室に残る正当性を突きつけてやる。それができれば異動になっても溜飲は下がる。立川部長は約束も守らない大ホラ吹きだと吹聴してやる」
その通りだ。僕や真壁は組織のあぶれ者だ。上司からのパワハラにしろ、先輩からの不当な扱いにしろ、普通ならどこかから入るはずのフォローを得られなかった。相談室への異動は救済措置と言えなくもないが、変わり者よそ者ゆえに半ば見捨てられたのは事実だ。
だったらこんな潰れかけの組織で出世争いをするなんて下らない。全員が全員そうだとは言わないが、かなりの割合が第一に安定した生活を求めて公務員になったのに、組織内の競争に労を費やすとは本末転倒の極みだ。誰が役付きになったとか、どの課にいけたとかいうのが果たして生きるのに不可欠な話だろうか? それを口にすれば負け惜しみだとか後ろ指をさされるだろうが、本当に価値を見いだせないのだから仕方がない。
「それとも君はこんなクソみたいな組織に媚を売りつづけるのか? 部長連中や議員の犠牲になった可愛そうな職員だとか哀れみを請うのか? 俺は嫌だね。そんなことをしたらますます惨めになるぜ。もちろんこんな組織だから、どうしてもきつい部署は生まれる。そこに行かされることもあるだろう。でも仮にそうなるにしても、やられっぱなしで懲罰人事を受けるのと何かしら抵抗するのとでは違うはずだ。君はどうする?」
迷うまでもなかった。たとえ結果が同じでも、これまで通り火床市役所で働くからにはいま何をしたかで居心地は変わる。仮にもう異動先が決まっていたとしても、それを不当だと胸を張って言える方がいい。
「僕も一緒に相談室に残る。実際どうなるかは分からないけど、手は尽くしてみる」
そしてもしその希望が叶ったら、組織に踊らされた挙げ句に下らない競争に精を出す連中を尻目に、堂々と定時で帰ってアニメブログを書いてやる。無抵抗で貴重な時間を搾取されるなどもってのほかだ。退職もままならない職業に就いてしまい、他に選択肢もなくこんな土地に縛りつけられる以上は、クソみたいな組織でもしがみつきながら利用してやる。真壁は僕がテーブルの上に放りだした両手に掌を重ねてきた。
「だったら話は早い。改めて共闘だ。さっそく解決を考えよう。でも気分が悪くて……変な感じなんだ、昼間の話を思いだすと……」
「だったら今日だけでも休んでてよ。その方が明日から頭もはたらくよ」
真壁がまた頭を抱えだした頃、ちょうど店員が注文の品を運んできた。本当にかなりの時間が経っている。しかしおかげで互いの腹の内を知る貴重な機会を得られた。
「ほら、食べようよ。あっ、お構いなく。そこに置いておいてください」
店員は品物をテーブルに載せると、事情を察してくれたらしく個室を出ていく。僕がピザを食べはじめて少し経ってから、真壁も身体を起こしゆっくりとトレイを手前に引きよせた。それから唐突に話を元に戻す。
「そうそう、君は家に帰ってから何をしてるんだい?」
僕は気まずくなり、スマートフォンのモニターに目を移した。日付は二月二十三日。だが質問通告締切が残り十三日に迫っていることまで注意は回らない。このときばかりは、とにかく真壁が元気を取り戻せるよう祈るのみだった。
「映像評論……かな。ブログもやってるよ」




