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こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
29/42

四 これあかんやつや ⑥

「分かった、行こう」

 眠りから覚めた真壁を食事に誘うと、首を小さく縦に振る。いつもは勤務時間中でさえ必要以上には一緒に行動しようとせず、休日に遊びに誘ってもすげなく断ってきたというのに、このときはやけに素直なのが痛々しい。いかに精神的に弱っているかが窺える。

「どこがいい?」

 相談室を出て、庁舎の一階を歩きながら訊ねた。定時は二十分ほど前に過ぎており、金曜日だけあって廊下や待合スペースに市民の姿は少ない。むしろ業務を終えて退庁する職員がちらほら見かけられた。僕たちもその流れに混じり、庁舎の出入口を抜ける。

「あんまり遠くないところがいい。駅ちかくのビルにイタリア料理店があったような……」

「そこにしよう」

 真壁にしてみれば少し寄り道するだけで済むうえ、僕などは帰り道の途中だからから都合がいい。昼よりはっきり注文をつけたとはいえ、答えが返ってくるまでに普段とは比較にならないほど時間がかかっている。駅へ向かう間の歩調は相変わらず頼りなく、信号待ちの合間にも懐に手をやり驚いたように呟くのだ。

「しまった、お金持ってないな」

 普段の鬱症状がどの程度のものかは分からないが、所持金にも気づかないとは日頃の真壁からは考えにくい。昼間もスマートフォンを落としたまま、探そうともしなかった。注意力は確実に落ちている。

「今日は僕が出す」

「悪い」

「いちいち謝らなくていいよ」

 いつも偏屈でプライトが高く鼻持ちならない、言動はともかく表情だけはポーカーフェイスを気取っているこの男の、ここまで萎れた姿を目にするのは実に辛かった。駅のコンコースを同じように歩くサラリーマン、お年寄りのみならず、学生、主婦らを見てもこうも打ちのめされた者は他にいない。実際には大なり小なり疲れているとしても、真壁以外はいちおう表に出さないでいられるくらいの体は保っている。道ゆく人からも重病人と思われているらしく、何人かはちらちらとすれ違いざまに目を向けてくる。僕は周囲から隠すように真壁を壁側へ押しやり、やがて寂れたビルの最上階へと昇り店に入った。

「いらっしゃいませ。お二人さまで。禁煙か喫煙か、どちらの席にされますか?」

 ここでは何度か食事をしたことがある。最近も深夜の巡回に出る前に利用したばかり。たしか窓際は、ほとんど個室のような形になっていたはずだ。

「禁煙で。空いていれば個室の方で」

 普通、僕は席の指定などしないのだが、この日ばかりは人目を避けた。まだ六時を少し過ぎたばかりの時間帯だけに、空席は幾つもあった。駅の傍で店自体は繁盛しているとはいえ、他の階はがらんどうも同然の古い建物なのだ。

「こちらへどうぞ」

 案内されるまま通された個室では奥の方に真壁を座らせ、僕は通路ちかくに腰を下ろす。店員がメニューを見せると、「これにする」と小声ですぐにピザのセットメニューを指した。僕も追うようにして同じものに決める。

「じゃあ、これを二つ」

「ビザはただいま少々お時間をいただいておりますがよろしいですか?」

「はい、大丈夫です」

「かしこまりました。お待ちください」

 店員が注文を受けて個室を去ると、真壁はテーブルに突っ伏した。庁舎からここまで歩くのだけでも精一杯だったのは明らかで、一人で帰らせなかったのは正解と言える。僕はしばらくその姿を眺め、改めて症状の深刻さを思い知った。こんな状態から、果たして短期間で回復できるだろうか。もちろんインフルエンザで休んでいた分、身体がもつ限り僕が深夜の巡回に出るつもりではいる。しかしその間、真壁は何もできないだろう。これ以上の負担をかけては容態が悪化し、取りかえしのつかない事態になるかも知れない。

「なあ真壁、もうここからは僕に任せて、代わりに休んでいなよ」

 真壁はコートを羽織ったまま、何も答えなかった。

「相談室に異動してきたいきさつは、肝月課長だって知ってるだろ。だったら事情を話せば分かってくれる。その方がいい。休んだって文句を言う奴はいないよ」

 僕がもういちど声をかけると、ようやく小さく呟く。蹲っているせいもあって、返事はくぐもって聞きとりにくい。

「だがその間、お地蔵さまの件はどうするんだ?」

「真壁が出られなきゃ、うちの課から相談室に人を出すとか上も何とか対応してくれるはずだよ。それに昼間、真壁が言ってただろ? 内通者はいないだろうって。だったら巡回に出るのは誰だって同じだ」

「じゃあ、見つからなかったら?」

「そのときはしょうがない」

「懲罰人事を受けいれるのか? 生活支援課に行かされて平気でいられると思うのか?」

 真壁に言われるや否や、生活支援課の光景が自ずと頭に浮かぶ。乱れた髪、ボロボロの肌、生気のない目、職員はみなくたびれ果て、年度当初こそ頭数も揃っていたはずが途中から脱落者が出たせいで事務室は櫛の歯が抜けたように空席が目立っていた。ただ、あんなところにも職員はいる。異動そのものはまったく違法ではないのだ。

「僕たちがここまでやったって評価してもらうしかない。それに生活支援課をそんなに悪く言うなよ。どの市町村にもなきゃいけない部署だし、本当に生活保護が必要な人が大半なんだ。そりゃ心身の不調で転出する人は多いけど、その分だけ転入者は毎年いる。採用されるなり配属される新人だってぜんぜん珍しくない」

「耐えられる自信はあるか? 普通の異動とは違うんだぜ。どうせロクな地区は持たされない。明らかに治安の悪いエリアとか、頭のおかしな有名人がいるところを宛がわれるに決まっている」

「だったら、頑張れるとこまでやって、どうしても無理なら療休でもとればいい」

 僕は何も気休めを口にしたわけではない。現実に残された数少ない選択肢のひとつだ。だいたい地方公務員は異動の辞令を受けたら、どこに行かされても文句は言えない身分である。立川部長もそれとなく脅しを口にはしたが、巧妙にも具体的な明言を避けたうえに僕たちとの接触すらおそらく意図的に()っている。しかし真壁が横倒しにこちらへ向けた顔は納得していなかった。

「本当に療休なんて貰えると思っているのか? それでどうにかなると思っているのか?」

「診断書があれば何とかなるんじゃないか?」

「仮に療休をとったとしてだ、その後はどうなる? 君には救いの手が差しのべられるかも知れないが、俺は駄目だ。懲罰人事の次は分限免職あたりでもちらつかせてくるよ」

 そんな馬鹿な。僕はどうにか助けられて、真壁だけに救済措置がとられない理由でもあるというのだろうか。

「何を根拠にそんなこと言うんだ?」

 真壁は少し黙ったあと、口を開いた。

「俺が前の課でどうだったか、聞いているだろう?」

 風の噂で耳にした。法務課で、先輩職員から低劣な扱いを受けたという。

「ああ。でも何でだ?」

「俺が誰のお仲間でもないからだよ。中学も高校も、大学も誰とも被らない。職員に誰も周りの知り合いがいない」

 いくら地方公務員の学歴が以前より上がっているといっても真壁クラスとなるとやはり珍しく、採用されて間もない頃は飲み会で当然のように話題にのぼった。同期以外でもここまでの学歴の持ち主はごく少数のためか、庁内全体でもかなり噂になっていたと聞く。ただ、どういう経緯でここに入庁したかは知らない。

「ところで、何で大学院はやめちゃったの?」

「単純に合わなかった。学部の頃は面白そうだと思ったんだけど」

「でも、こっちに来た理由は?」

「親はずっと火床市(こっち)にいるけど、俺は進学のために中学から親戚の家に居候していてね。大学以降は一人暮らしだったから、この際、小学校まで住んでいたことだし、親元に戻ろうとしたんだ。まあ、すぐに爺さんが亡くなって、空いた家を使わせてもらうようになったから、今はまた一人暮らしなんだけど」

「で、入ってみたらよそ者扱いか……」

「まったく基準不明確なお仲間うちで連む能力と、人の揚げ足取りをする目ざとさだけは一級品だ。おかげで周りからは『お勉強が出来ただけの使えない奴』呼ばわりさ」

 その手ひどい仕打ちというのも、歪んだ学歴コンプレックスの為せる業だろう。法務課に配属されるのは、基本的に高い人事評価が下された人物だ。そこに高学歴のよそ者が入ってきたとなれば、心穏やかでいられなくなる者も出てくる。普段の澄ましかえった無表情に媚を売らない態度が災いし、ますます孤立したであろうことは容易に想像がつく。

 もちろん、だからといって何かのミスをいちいちあげつらってよい理由にはならない。それこそ醜い嫉妬からくる陰湿なイジメだ。だいいち僕の見るところ、落ちこぼれの烙印を押されるほど真壁は業務処理能力に問題を抱えてはいない。

「でも、誰かとコミュニケーションを取れるような話はなかったのか? 大学院に進むくらいだから専攻の話とか。真壁の出身大学だったら興味も持ってくれるんじゃないの?」

「人と話をするのはもともと苦手だ。なのにコミュニケーションを取れるふりをするのも疲れて仕方がない。無理だと思って途中から止めた」

「なるほどね」

「それに勉強していた、というより大学院で勉強しようとしていたのは民俗学だ。市役所に入ったところで何の役にも立たない。元から実生活に役立てるつもりもなかった。そこへいくと他の職員は、本当に仕事で役に立つことしか勉強していないんだな。政策形成専攻だの、法学部、経済学部の出身ばかりで話の通じる相手がいない。自分がいかに変わり者か、嫌というほど思いしらされたよ」

「だったら、趣味の話なんかは振られなかったの?」

「趣味?」

 真壁は眉間に皺を寄せた。不機嫌さを表に出しているが、いつものような皮肉めいた感情は窺えない。

「クラシックの音楽評論くらいさ。ちょっとだけブログを書いている。評価してくれる人も少しはいる。もっとも最近は手をつけられる状態にないが」

 だから女王さまとの会話があんなに弾んだのか。考えてみれば、普段から批評などしていなければ演者の名前までああもすぐには出てこない。同時に町内会長からお地蔵さまに関する問い合わせが来たとき、あんな専門的な知識を諳んじられたのにも合点がいった。あらかじめ頭の中に入れておかなければ、人は情報をとっさに口から出すことはできない。

「でも、その話ができる相手がどこにいる?」

 僕が黙って感心する間も、真壁は相変わらず不満げだ。

「俺は別に都市部の方が上だと言うつもりはないが、どうもこの土地の文化に馴染めなくてね。最近のニュースで若者の車離れと言われているが実際はどうだ。そんな話は嘘に思えるほど金の使い道はみんな揃って車ばかり。ロクに稼ぎのないような連中ですら徒党を組んで暴走族だ。どこでも幅を利かせるのは声の大きい奴だけ。汚い言い方をすればヤンキー文化だ。当たり前のようによそ者は歓迎されない。巷で標榜してる多様な生き方なんてのは建前だけで、実際はほとんど認められない見事なまでの村社会だ。まったくもって前世紀の遺物みたいなところだよ、ここは」

 驚いた。真壁の考えていることは、ほとんど僕と同じじゃないか。この市役所へ入庁するまでの経緯もかなり似ている。

「悪い。愚痴っぽくなって」

 真壁は眉尻を下げ申し訳なさそうな顔をするがとんでもない。気づいたときには、僕はいつの間にか口を開いていた。

「いや、まったく同感だ。実を言うと僕は親が転勤族でね、ここにいたのは小学校の途中までだったんだ。中学は仙台、高校は神戸、大学は名古屋とバラバラ。その大学で専攻したのも国文学で、役所に入って何の役にも立たないのは真壁と一緒だよ。ここの市役所に入ったのも父親がようやく落ち着いて偶然ここに戻ってきたから、僕もついてきただけなんだ。だから共通の話なんかも少ないし、どうにも暮らしづらくて……一人暮らしをしてるのも、親が住んでるのが消防団とか町内会の集まりにうるさい田舎の方だからなんだ」

 当然ながら中学や高校、大学が共通する職員はいない。だから僕がパワハラを受けても誰も助けてくれなかった。そいつが高校、大学ともに地元の最大派閥に属していたせいもある。大学の専攻はもちろん、たとえお年寄りからある程度好かれようと何の助けにもならない。

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