表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら子ども電話相談室  作者: 新宮義騎
25/42

四 これあかんやつや ②

二月十七日 金曜日


「おい、金くれよ金」

 惨めな飲み会を終えた後、週を跨いでもなお僕の気分は晴れなかった。というのも嫌な記憶を紛らわせるどころか、それに拍車をかける光景を目にしてしまったからである。

 場所は市庁舎二階の北側フロア。ちょっとした用で階段の前を通りがかった折、どこからか鳴りひびく喧しい声の方へ寄ってみたところ辿りついたのがそこだった。天井から吊りさげられている看板には〈生活支援課〉とある。これまで縁がなかったうえ近寄ることさえ無意識に拒否していたため詳しい実態が分からなかったが、直に足を運んでみると想像以上の惨状が繰りひろげられていた。

 窓口ではある市民がボロボロの身なりで声ともつかぬ声を呻けば、別の市民は派手に染めた髪を長く伸ばしてはやたらと派手な服でぼんやりと宙を眺め、また別の市民は白のスーツ、金のネックレスといった明らかにそのスジと分かる服装でカウンターに脚を載せふんぞり返る。彼らは職員に向かってそれぞれに要求を口にしていた。

「金がなくてよ、どうにか助けてくれねえか」

「アタシまた仕事クビになっちゃって。毎月、美容院代が三万ちかくかかるから大変なの」

「おい、勝手に保護打ちきって、落とし前つけてくれるんだろうなあ!」

 しかもこの日はそうした連中が溜まっており、カウンターの前だけでは収まりきらずに廊下にまで溢れかえっている。実際には経済的に困窮している市民もいるのだろうが、少なくとも数人はとてもそのようには見えない。さらにはそうした手合いに限って、やたらと大きな態度に出ている。フロアの奥に設けられた個室から漏れ聞こえてくるのも怒鳴り声だ。

「ふざけんじゃねえぞ! このまま飢え死にしろってのか!」

「高級者乗りまわしてる奴には保護くれてやってんのに、なんで俺はダメなんだよ!」

 こんな状況にあって、職員は平然と応対している。当然、業務への慣れはあるだろうからそれ自体に大きな驚きはないが、その職員の姿が異様だった。表に出ている職員は皆それほど歳はいっていないはずなのに、肌はガサガサ、頭には白髪がまじり、目は死んだ魚のように澱んでいる。後ろに見える事務室には雑物が置かれるなど長期不在と推測される席が点在しており、療養休暇取得者が続出していることが窺えた。市政に不可欠な仕事とはいえ、僕はこんなところに行かされようとしているのか。公正な人事配置の結果なら致し方ないにしても、懲罰人事で四月からここへ飛ばされるのかと思うと暗澹たる気持ちになった。さらに言えば傍から眺めるだけでこの有様なのだから、実際に配属されようものなら気が触れてしまうのではないかと考えてしまい、ますます気が滅入る。

 そして、その可能性は日を追うごとに高まりつつあった。あの飲み会があった日とつい昨日の深夜、またしてもお地蔵さまがイタズラされたのである。むろん犯人は捕まっていない。二階から相談室に戻ると、ほんの少しだけ一時の寒さが和らいでいるのが感じられるほど季節は春へと近づいている。もう効率がどうのと言う段階はとうに過ぎており、がむしゃらにでも事件解決の手がかりを掴む必要があった。

 僕はいつものとおりひとりマスクをかけたまま職場のノートパソコンを立ちあげ、公用車の中から前方に向けたビデオカメラで巡回中に録画した動画を再生してみるも、相変わらず他の日の映像をそのまま繰り返し再生しているように見えるほど代わり映えがしない。現場から北に延びる道の脇でイチャついているカップルを除けば、人の姿が現れるのは午前も三時を過ぎたあたりで、それも新聞配達員くらい。続いて自宅から持ちこんだ端末で公用車の外部に取りつけたマイクロカメラの動画を確認しても、やはりほとんど何も捉えていないのだ。街灯に照らされている真後ろは別にして、暗視機能が備わっているとはいっても小型だけに解像度はたかが知れている。せいぜい映っているのはマンションの廊下に灯る照明くらいで、斜め上の方向にある建物の窓はどれも暗いままなのである。マイクロカメラで夜間の住宅街を撮影すればどうなるかなど、ただの公務員に予測しろという方が無理な話だ。ともかく新しい情報はまったく得られていない。

 巡回を重視すべきと提言した僕だったが、これから先も漠然と同じことを続けて犯人が捕まるとはだんだん思えなくなってくる。ためしに動画の再生はやめてパソコン上で地図を開いてみても、よい考えは何も浮かばない。それどころか僕たちにとって現場の立地が不利な点ばかりが目につく。巡回時に利用させてもらっているコンビニはお地蔵さまの鎮座する住宅街を外側から囲うように点在しており、これではその内側、すなわち現場付近を深夜に歩こうとする人物がいないのも当然と言えた。むろんコンビニがなければ巡回に出る僕たちが困るのだが、犯人逮捕にかなり不利な条件の一つにもなっている。かといって何か別の方法はないかと地図から目を離してみても、他にやりようはないような気がした。真壁が言っていたとおり、捜査にしてもどこかしらの店舗に出向いたところで結果は知れているからだ。

 そうであれば、もういちど内通者の存在を疑ってみる価値があるのではないか。カメラに何も映っていないにも関わらず、測ったように巡回の日を外されるのはそれ以外に理由が見つからない。カレンダーの犯行があった日にちへ印をつけてみると、一月の第三週は月曜の十六日未明、第四週は土曜の二十一日深夜、第五週は木曜の二十五日未明。これと一月中は巡回がおよそ週四回のペースであったことを考えあわせるだけでも不自然だ。ざっくり計算するために実働三週間と見ても、一度もバッティングしない確率は七分の三の三乗で七パーセント程度。偶然にしてはあまりにも低い。そのうえ正確に週一回のペースが保たれており、悪ふざけや出来心にしては妙に規則ただしいのだ。

 ここまで来ると、やはり内通者がいるとしか思えない。そしてそんな手口を使うからには、動機は巴小がらみだろうと推測できる。しかし問題は、その内通者がどうやってスケジュールを把握しているかだ。よその課に応援を頼んでいる以上、方法はともかくとして真壁の指摘どおりいずれかの段階で情報は漏れる。職員が内通者だとすると昼間は勤務時間で残業もいつ発生するか不確かだから、最低でも別に一人は実行犯がいるはず。こちらのスケジュールに応じて時間の融通を利かせる必要があることを考えると、サラリーマンやアルバイトなどの被雇用者も可能性は低い。だとすれば法人経営者や個人事業主か。

 僕は手元のスマートフォンを操作して市内の法人や店舗を探そうとしたが、業種を入力しなければ具体的な件数や住所は出てこない。これはノートパソコンを使っても同じだ。仕方なく立ちあがり、記憶を頼りに部屋の隅に置かれている書類の束を探ってみる。本来は公文書を保存するスペースが、ボロ市庁舎では往々にしてゴミ置き場同然に使用される例がある。案の定、間もなくして二年前と多少は古いながらも個人名と企業名の記載された電話帳がそれぞれ見つかった。企業名の方をパラパラとめくってみると、やはりというかとても追いきれないほど多くの名前が記載されている。店舗換算にして一ページにおよそ二〇〇、それが七〇ページ半あるところからどんぶり勘定で計算するとその数は何と一五〇〇! 存在を把握するだけでも至難の業だ。もちろん雇われ店長である支店は対象外とするにしても、逆に飲食店などどれが雇われ店長なのか判別できない業種もある。

 だいいちこれに記されているのも企業や店舗の名称だけで、誰が代表か、事業主かという肝心な情報はほとんどない。住所は記載があるといっても、個人名の電話帳と突きあわせるのには膨大な時間がかかる。誰がどの職業に就いているかを完全に把握するとなるとまずもって不可能だ。税務部局ならある程度のヒントは得られるだろうが、そこから事件解決に至る現実的な範囲まで犯人を絞りこむのは至難の業だろう。捜査の際、回答に結びつかないアプローチを避けるべきなのは、聞きこみの時点で学習済みだ。市役所で取りあつかう個人情報にも限界がある。

 それ以前に内通者と実行犯の両方が市職員か、逆にどちらとも違う可能性もあった。一口に市職員といっても清掃事務に従事する現業職員なら朝も早く、大して生活リズムを崩さずとも出勤途中にあそこに寄るだけでイタズラを実行できる。週一回のペースを保っているところを見るに、その中でも几帳面な性格の持ち主か。もしくは庁舎の清掃業務を受託している業者なら、建物を出入りするついでに盗聴器を置いていくくらい朝飯前だろう。仮に企業の誘致がらみだとしたら、まったくあり得ない話ではない。駄目だ。疑えば疑うほど誰でも犯行に関与できるように思えてくる。

 僕は、たまりかねて課長に相談することに決めた。上司への報告義務もあるうえ、様々な問題がある今の体制をもしかすると変えてくれるかも知れないからだ。場合によっては僕と真壁だけが巡回に携わる形になるだろうが、犯人が捕まるならそれでもいい。肝月課長をはじめ、立川部長、教育長が本当に事件解決を望んでいるなら承認してくれるはずだ。

 時計は午後五時より少し前を指している。おそらくはもう電話の来ない終業間際であることを確認し、部屋の扉を跨ぎ廊下へと足を踏みだす。久しぶりに一人で考えごとをしたせいか、階段を昇りきって五階へ着いた頃にはなぜか身体が非常に重くなっていた。ボロ市庁舎は暖気が全て上昇する仕組みになっているようで、階が上がるほど暑さが増す。背中には汗が滲むほどだ。密閉された室内の不快感を味わいながら生涯学習課の前まで来ると、肝月課長は特に他の誰かと話をするでもなくノートパソコンのキーを叩いていた。

「課長、いまお時間よろしいでしょうか」

 近づいて声をかけると、肝月課長はすぐに手を止めてくれる。すっかりインフルエンザからも回復したようだ。僕の顔から何かを察してくれたらしい。

「どうぞ。話は長くなりますか?」

「少し」

「ではこちらにかけて」

 席を薦められ、慌てて自分でパイプ椅子を広げる。辺り一帯は質の悪い暖房から吐きだされた熱気が滞留しているらしく、冬独特の乾いた空気とも相まってますます不快感が増す。だからといって他に場所はない。

「実は、課長」

 僕はそのまま事件についての意見を小声で述べ、真壁も以前から同じ疑問をもっていた旨も申し添えた。肝月課長の反応は悪くなかった。僕と微妙に距離を置きながらも、同じように声を潜めて頷いていくれる。

「実は私も、不自然だとは思っていたところなのですよ。それに部長も同じお考えなのです。教育総務の村越課長も」

 誰だってそうだ。あんなに巡回を重ねながら犯人にいいように逃げられたら、内通者の存在を疑う。ならば早いと言おうとしたところで、課長は眉間に皺を寄せる。

「ですが、深夜の巡回をやめるのは難しいでしょう。何しろ、これは板垣議員の一声で始まったことですから」

 狂っている。僕は口には出さず、腹の中で呟いた。途中で成果が上がるかどうか怪しい疑いが生じたのに、議員の力が働いているという理由で職員に多大な負担のかかる降って湧いたような業務を継続しなければならない。これこそがお役所の腐った部分であり、市町村に限らず都道府県、国で常態化しているきわめて非効率的な行政事務の執行形態である。繰りかえしになるが、市議会議員が市民の代表であるという理屈は正しい。しかし議会の決定を経ないなどといった、本来の権限を逸脱した行政への介入もまた適切ではない。

「そもそも、この体制を変えようがありません。お二人に任せるとしたら相談室の業務を停止するか、他の係に代行させることになります。それでは部長も納得しないでしょう。あくまで名目上は子どもから寄せられた問い合わせへの対応なのですから」

 板垣議員の要求を受けいれた立川部長には、計画を見直す義務くらいあるはずだ。いくらお役所仕事でも、再検討すらしないのは目的と手段のはき違えも甚だしい。もしかすると立川部長は、もはや事件の解決など諦めているのかも知れなかった。成果が上がるか否かに関わらず、巡回を継続するというポーズさえ保っておけば板垣議員の機嫌を取ることはでき、部長だけは自身の立場を守れる可能性があるからだ。ただ、それでは僕たちは見捨てられたも同然だ。そもそも、今しがた肝月課長の口にした建前は崩れている。

「しかし、もう他の問い合わせは全て保留にするようにとの指示が出ています。なりふり構っていられません。相談室の職員ふたりだけで巡回に出るべきです」

 僕たちだけで動くのであれば、情報は漏れない。心身の疲労が溜まるのは、生活リズムを頻繁に変えざるを得ないのが原因の一つにある。昼夜逆転の生活を一貫して通せば今よりは楽になるはずだ。もっとも僕や真壁と肝月課長が意思疎通を図る時間はどうするかという問題が発生するばかりでなく、いつ巡回に出たか誰にも知らせないというのも不可能だが、決裁で情報が漏れつづける恐れのある現状よりは幾らかましになる。肝月課長も何かしら考えがあるらしく、ひとまずは首を縦に振ってくれる。

「広瀬さんの希望が通るかどうかはともかく、私からも部長や教育長にお話はしてみましょう」

 ぜひお願いします、と言いたかったが、なぜだか口や舌が思うように動かない。それどころか身体全体が急速に熱を帯びつつあるのが分かる。額には汗が滲み、怪我をしたときとは別の類の関節痛が肘や膝に走った。先ほどから感じていた暑さは、庁舎の暖房によるものではなかった。多少の風邪なら我慢できるものの、これは限度を超えている。身体の不調を訴えようとしたところで突然の目眩に襲われ、僕は覚った。これはかなりの確率でインフルエンザだ。平衡感覚を失い、倒れかけるのを机に手をかけどうにか堪える。

「広瀬さん」

 どうやら異常は肝月課長の目にも分かるほど重篤なようだ。もう限界だ。現場の意見は伝えた。僕はひりつく喉から声を振りしぼる。

「すみません。課長、今日はここで帰らせていただけませんか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ