三 無敵の人 ⑦
「ひとまずこれを買ってみようか」
選んだのは、黒い立方体の形をした暗視用の小型ビデオカメラだ。画面に映してみせた写真を真壁は覗きこむ。
「これをどうするんだ?」
「公用車に取りつけるんだよ。今までの状況から考えると、犯人は捕まらないように直に現場を確認してる可能性が高い。近所の住人なら、公用車の有無でその日にイタズラすべきかどうか判断できるからね。だとすると、どこから僕たちを監視してるか探る必要がある。だからといって、現場から目を離したら本末転倒になっちゃう。ビデオカメラに頼るにしても、僕たちが持ってるのはたった一台だ。前方はドライブレコーダーに任せるとして、それでも対応できるのはもう一方向だけ」
「だが俺たちは毎回、違う方角から現場を監視してるんだ。仮に近所に住んでいる犯人が巡回に気づいて警戒したとして、公用車の場所が同じとは限らない。実際、日によって位置は変えている。その小型カメラを右なり左なりに取りつけたところであまり意味はないように思うが」
「もし真壁の言うように、犯人が僕たちと同じかそれに近い高さの目線に立っていれば、動画に何者かは映ってるだろうね。でも、近くにある高い建物から見ているとしたら?」
現場付近の状況は、もう何度も巡回に出ているおかげではっきりと頭に焼きついている。交差点はどの方向も一軒はなれれば二階建ての個人住宅が建っており、そこから少し離れたところにはかなり寂れた高層のマンションもあった。真壁もそれに気づいたようで、宙を見つめて何度か小さく首を縦に振る。
「交差点の近くには街灯もある。こちらの姿が丸見えだ。頭上は盲点だった」
「そう。だからこれを幾つか……そうだね、ドライブレコーダーに暗視機能はないから、前方はこれまでどおりビデオカメラと併用して、一つは真後ろ、他の二つは斜め上に取りつけて周りに誰かいないか確かめるんだ。真夜中ではっきり顔が分からなくても、怪しい人物がどこにいるのかは分かる」
「それさえ掴めれば十分だな。だが、撮影した動画はどうやって見るんだ? 職場のパソコンは、セキュリティの関係でソフトもアプリも勝手に入れられないぜ」
「幸い、僕の家に余ってるノートパソコンがある。それを使おう」
日ごろからアニメブログの更新をしていると、こういうときに便利だ。旅行などに持っていくのに、常に一台はキープしている携帯用を使えばよいのだから。しかし真壁は再び僕のスマートフォンに目をやり、どこか不満げに通販サイトを睨みつける。
「当面は君の案を採用するとしてもだ、これを買うのか? この値段で? 俺たちが?」
気に入らないのはひとつ九〇〇〇円、計二万七〇〇〇円という価格らしい。
「当然だよ。こないだ自腹だって言ってたのは、真壁の方じゃないか」
この時期に予算はおそらく残っていまい。どうにか工面できたとしても決裁が通る保証はなく、それ以前に契約課を通しての正規の手続きで購入するには今からでは遅い。防犯カメラと同様、いくら急いでも一か月はかかる。その間に三月議会が始まってしまう。
「それはそうだが、やけに即物的なこのやり方で効果があがるかどうか」
真壁の歯切れが悪い答えに僕は苛立ち、いつの間にか語気を強めていた。
「二人で割るなら一人あたま一万四五〇〇円で済むんだけど。嫌だったらこれで犯人を捕まえられた暁には手柄は僕ひとりで──」
「分かった。俺も出そう。懲罰人事を下されるよりはましだ」
ようやく踏ん切りがついたようだ。あとは家に帰って注文するだけなのだが、ちょっとした疑問はあった。
「じゃあ決まりだね。でも、マイクロカメラと撮影した動画の扱いはどうなるんだろう?」
「どういうことだ?」
「いや、私費で買ったのを公務に使っていいのか、それで撮影した動画が証拠として認められるのかと思ってさ。僕の方から言いだして何だけど」
僕は決してここにきて怖じ気づいたのではない。購入するカメラが公に知られてはまずいのならSMサロンへの捜査と同様に周囲にはひた隠しにするつもりで、目の前にいる元法務課職員の知識を頼りにあらかじめ扱いを確かめておきたかった。もっとも真壁はつい先ほどまで及び腰だったはずなのに、なぜか一時の饒舌さを取りもどしている。
「安心するといい。その心配はいらない」
「何で?」
「ひとつ例を挙げよう。君、左利きの職員が職場でハサミを使う時に不便を感じて、家から自前のものを持ってきたからといって罰せられた例を聞いたことはあるか?」
「ないよ」
「そう。そのハサミが持ち帰られずに、結果として寄贈される場合もあるだろう。これも同じだ。感謝されこそすれ恨まれる筋合いはない。服務規程にもそのような文言はない」
「寄付や寄贈は財産管理課に届け出ないといけない」
「寄贈手続きの首尾不首尾は庶務の責任。実務上、それをどこまで厳格化するかは規則や規程の運用の問題だ。これが本当か嘘か、賭けてもいい。いくらにしようか?」
期待どおり規則法令を持ちだしながら、都合のよい強引な解釈で押しきるとは業務上の責任を他人に押しつけるのに半ば生きがいを見いだしているようにも感じられる。だとすればなかなかに問題のある人格の持ち主だと言わねばなるまい。もっとも理屈は通っており、僕たちの行為を正当化するにはそれしかなさそうなのも事実だ。
「真壁がそう言うなら、大丈夫だろう。まあ、経費はいったん僕たちで負担するとしても、後でどうにか出来ないか考えてみるよ。たとえば、職員組合にでも訴えでてみるとか」
同時に、安くはない費用も何とか軽減だけでもしたいというのが本音である。その方策も何となく例を挙げて口にしてみたつもりなのだが、真壁の反応は実に辛辣だった。
「馬鹿を言え。あんな無能の集団、一度だって屁の役にも立ったためしがない。考えるだけ無駄だ。広瀬くんがお世話になったことがあるのなら話は別だが」
いつも言葉面だけはそれなりに丁寧な真壁が、ここまで悪しざまに罵るとはどこか癇に障ったらしい。言われてみれば職員組合が何かをしてくれた記憶はない。僕がパワハラを受けたときも何も動かず、職場環境の改善という本来の活動を放棄して何かの行事にうつつを抜かしていた。いちいち訊かれるまでもなく、市役所に負けず劣らず問題のある組織であることは分かっている。我が身に沁みてそれは痛感していた。
「そう気を悪くするなよ」
「いや、こっちも驚かせて済まなかった」
ちょっと宥めただけで機嫌を直したところを見ると、別に僕が怒られたわけではないようだ。ならばと仕事に取りかかろうとしたとき、扉が叩かれる。
「真壁か広瀬、いるか?」
「はい」
僕の返事を聞いて部屋に入ってきたのは、うちの課の白河係長だ。昨年末まではふくよかだったが、入院した室長の仕事を肩代わりしているせいか以前より痩せている。しかも口元を覆う白いマスクが、よけいに病的な印象を醸しだしていた。ただ息まで切らしていたものの、風邪などで体調を崩しているのとはまた違う。どこか慌ただしげな様子だ。
「どうかされたんですか?」
「課長がインフルエンザにかかった」
「えっ、でも朝はちゃんと」
「熱っぽいからいっかい病院へ行くとか昼前に言って、しばらくしたら電話が来た」
室長不在の中、課長まで倒れたというのか。骨折と比べれば復帰は早いとはいえ最悪のタイミングであり、板垣議員のごり押しといい相談室は呪われているとしか思えない。
とはいえインフルエンザの罹患者が現れるのはそのような非科学的事由ではなく、季節柄きわめて自然な現象だった。特にこの市庁舎においては恒例行事といってもよい。ボロ市庁舎のボロ市庁舎たる所以は、とかく施設の劣悪さに尽きる。換気など望むべくもなく、病原菌がひとたび持ちこまれるやあっという間に蔓延する仕組みが出来あがっているのだ。
「そこでだ。今週はじまる巡回はまずうちの課から当番を出す予定だったけど、翌々週と交換してもらいたい。俺まで課長代理の役目が回ってきちゃったし、昼間に職員が減るのはまずい。いま他の職員にこれ以上ムリさせたら大変なことになる」
「はい」
「いいかい、翌々週だよ。決裁できてる?」
促されるまま僕は起案文書を部屋の入り口まで持っていき、予定表の箇所を開いてみせる。白河係長はシャープペンで今週と再来週の箇所に丸をつけ、矢印で結んだ。
「交換するのはこことここ。悪いが、もしその課のスケジュールが合わなければ変更してくれ。面倒だろうが頼む」
「課長からそういったお話があったんですか?」
「四一度の熱でそんな話する余裕ないよ。電話口で息も絶え絶えなんだから。後は任せてくださいと言っておいた。教育総務の村越課長には相談してある」
「分かりました」
「調整が済んだら決裁まわしてくれ。もちろん課長は後閲で。立川部長が急いでる」
話を聞くにかなりの重症である。電話で呼びだせば用が済むところを、緊急事態を伝えるために地下まで降りてきてくれたようだ。僕は決裁板を小脇に抱えたまま頭を下げる。
「わざわざありがとうございます」
このとき白河係長の目が泳いでいたにも関わらず、僕はさして気に止めなかった。おそらくは肝月課長の急病により忙しくなったせいだろうと思いこんでいたのである。そもそもこれから約一週間、どうすべきかを考える方が先決だった。真壁は相変わらず上司の前でだんまりを通しており、仕方なく一人あたふた考えを巡らせる間にも扉が閉められる。
「大事なことだからね。それに相談室の二人にまで倒れられたら本当に困る。必要なとき以外は極力、五階の事務室には出入りしない方がいい。あそこは他の階よりごちゃついてるから気をつけてくれ。じゃ、ここらで失礼」




