三 無敵の人 ④
二月三日 金曜日
この日、僕たちは定時を過ぎるなり相談室を飛びだした。昨晩にもお地蔵さまがイタズラされたが、肝月課長は溜め息をつくばかりで特別な指示は何もなく、幸か不幸か僕たち独自での捜査時間は確保された。行き先は市役所から駅のおよそ中間に位置する、表からほんの少し入ったビルの一角にあるメイド喫茶〈萌えカフェ〉。
店に入った僕は、久しぶりに胸が躍った。フリルの付いた白いキャップとエプロンに黒のワンピースというオーソドックスな店員のコスチューム、独特の発声法で入店した客を出迎える「お帰りなさいませ」の挨拶。いずれも目にする、耳にするだけでおのずと心に癒やしがもたらされる、何度でも足を運びたくなる親しみを覚える空間だ。
ただ、普段と違うのは真壁が同席している点である。しかも昨日に頑張りすぎた反動か気分が優れないらしく、人目も気にせずテーブルに肘をかけて半ば上半身を預けていた。それでも物珍しさからか、ちらちらと辺りを見まわしている。
「あの人たちは何をやっているんだ?」
一見さんからすれば、奇妙な光景だろう。しきりに隣に座らせようとする者、じっと眺めるだけの者、窓ガラスに写った自身の髪型を何度もチェックする者。みなメガネをかけているか、極端に痩せているか逆に太っているか、僕がその例から外れているか否かは別にして、いずれにせよ特異な容姿の持ち主が多い。真壁が不審がるのは当然だった。
「ああやってメイドさんを愛でてるんだよ。人それぞれだ」
「あれを?」
「どういうこと?」
「俺の目がおかしかったら申し分ないが、あれはそういう対象なのか? あそこにいるのは衣装と肌の色がマッチしてないし」
まず指をさしたのは、あきのちゃんだ。キャバクラとここを掛け持ちしているとまことしやかに囁かれており、そのせいかお水臭が半端でなく強い。肌の色の違和感は、僕の好みから大きく外れる時代錯誤なガングロメイクを指摘しているのだろう。
「それからあそこにいるのは、何だか喧嘩したら力で無理矢理ねじ伏せられそうだ。あの衣装もサイズが合ってないんじゃないか? パツパツで今にも破けそうだ」
次に指をさしたのは、ないむちゃんだ。なるほど女の子にしては身長がそこそこ高いうえかなりの肥満体で、こっちがご奉仕させられそうだという意見は首肯できる。だが弁護させてもらえば、ちょっと前まであそこまでではなかった。むしろ適度にグラマラスだったと記憶している。噂によればある時期ストレスから過食に奔り、おいたわしやあのような御姿になってしまわれたのだという。目もどんよりと淀んでおり力がない。
「あと、あそこにいるのは人間なのか? それともどこかの国のようにマネキンのロボットレストラン形式が試験的に導入されてるのか」
さらにその次に指をさしたのは、りねあちゃんだ。厚化粧と言いたいのだろうが、こればかりはメイド喫茶に付きものである。とはいえお肌のトラブルがあったのか、たしかにメイクはいつもよりは濃い。この日は客だけでなく、どうやらメイドさんも個性が強い日に当たってしまったらしい。それにしても真壁は容姿にうるさい。初体験だからかも知れないが、意外と夢見がちなのだろうか?
「まあ、そう言わずにメニューでも見ようよ」
何にせよ、このまま放っておいては何を口走るか分からない。注意を逸らすためにメニューを広げてみせる。しかし調子の悪い日の真壁を僕は甘く見ていた。
「何だこれは、ずいぶん高いな。ボッタクリ……」
「頼むから黙っててくれ。そうじゃなければ声のボリュームを下げてくれ」
友人のいない僕にとって、自室以外では今やここが唯一の憩いの場なのだ。これ以上、真壁を喋らせておくと僕が出入り禁止になりかねない。店がこぢんまりとしているおかげで周囲に丸聞こえだ。すでに辺りに不穏な空気が流れはじめている。僕は声を潜めて真壁に注意を促した。
「真壁、昨日いった店と似たようなもんだよ。ここを普通の飲食店と考えちゃいけない」
「それはそうだが、限度というものがある。料金に見合ったサービスがあるとは……」
「とにかく注文するぞ。ハッピーオムライスセットだ」
僕はやや間を置いてテーブルに置いてあったハンドベルを鳴らす。
「は~い、何になさいますか~。今日はお友達のご主人さまとご一緒なんですね~」
やってきたのは、僕のお気に入りのえなちゃんだ。ちょうど手が空いたタイミングを見はからってベルを鳴らした甲斐があった。真壁ほどは厳しくないにせよ、僕にも好みがある。細身の体型、黒のセミロングという髪型とも相まって、コスチュームが実に映える。歩き方や姿勢、作法もこの店でもっとも教育の行きどといている店員のひとりだ。
「じゃ、ハッピーオムライスふたつ」
「かしこまりましたご主人さま~。ドリンクはいかがなさいますか?」
「二人ともウーロン茶で」
「はーい、では少々お待ちくださいませ」
営業用とはいえ、耳にするだけでキュンキュンできる声だ。厨房へ歩いていくえなちゃんの後姿を眺めていると、真壁は僕の手からメニューを奪いとって不満を述べた。
「ひどいじゃないか、俺はオレンジジュースを頼もうとしたのに」
「うるさいな。いま言ったように飲食がメインじゃないんだよ、ここは」
「期待できるとした無難な飲み物くらいだ。さっきから聞こえるだろう。あの音が」
カウンターの奥にある厨房からは頻繁にチン、チンと電子レンジの音が鳴っている。
「一から十まで調理をしろとは言わないけど、せめてあの音だけでも消してほしい」
「だから、気分が優れないなら大人しくしててくれ。東京、名古屋や大阪なんかの大都市ならともかく、地方ではホントに稀少なんだ。その価値を理解してもらわないと」
「そうなのか。でもここに来てる人は……まあいい」
これだから非常識人は困る。おまけにこの店の利用客に問題があるかのような趣旨の発言までさらりとしてのけた。僕がここに来るのはだいたい土日の昼間であり、今は金曜の夜といっても客層は限られている。暇さえあれば入り浸っているオタクたちは、言葉を交わした記憶こそないもののいずれも見た顔ばかり。突然あらわれた一見の客に自分たちを揶揄されては面白いはずがなく、何人かはそれとなくこちらを睨みつけてくる。たとえ迫力はなくとも突き刺さる視線は痛い。どうにかして気を逸らせようとしていると、程なくして真壁がメニューに興味を移してくれた。
「これは何?」
ページを開いてこちらに指ししめしてくれたのを幸いに、僕も倣って覗きこむ。
「メイド喫茶のサービスだよ。だいたいはこっち目当てで店に来るんだ」
「なるほどね。この店は一律五〇〇円なんだ。黒ひげ危機一発は分かるんだけど、こっちの〝チェキ〟って何?」
「写真のことだよ」
「高すぎる」
それでも否定的な感想が返ってくるのには辟易する。えなちゃんだったら、五〇〇円は安いじゃないか。おまけに真壁に説明していると、何だか物珍しさで来店したお年寄りを相手にしているような感覚に襲われる。こうなったら続けざまに繰りだされる疑問にも、そのつもりでいちいち答えてやるしかない。
「それから、昨日の話にあった膝枕とか耳かきはないのか?」
「そっちは隣のメイドリフレ〈癒しのご奉仕〉の方。経営者は一緒だけど、お店自体は別」
「なぜだ? 別に同じ店だっていいじゃないか」
「この店が貴重なのは、ただ地方にあるからだけじゃないんだよ。ちゃんと法律を守ってるんだ。こっちは飲食業扱いだから、一人のメイドさんと話しこむのは禁止。個室を作るのもダメ。でも一般的にリフレって呼ばれる隣のとこみたいな店は、耳かきとか膝枕とか、場合によっては添い寝やマッサージなんかをやるから、業務の形態上メイドさんと一対一で個室に入ってもいい。もちろん風営法の対象で、隣の店は許可をちゃんと取ってる。言うなれば、しっかり区別をつけてる健全経営店だね」
メイド喫茶の常連客といえど、必ずしもここまでの知識は持ちあわせてはいまい。我ながら完璧に回答したつもりだったが、真壁は痛いところを突いてくる。
「それは健全経営と言えるのか? 個室まで作っているのに? 俺にはとてもそうは思えない」
調子が悪くても、頭の冴えは完全には失われていない。法的にグレーなのは事実であり、以前から気になってもいた。
「区別してる時点で健全だよ。飲食業とリフレを一緒くたにしてる店も多いんだから」
そう反論はしてみたものの、たしかに双方の業務を区別しているからといってそれぞれが適法に運営されているとは限らない。女王さまの耳にした噂が正しければ、日本にごまんとある他のメイドリフレ同様、隣の〈癒やしのご奉仕〉でも個人間の金銭授受によるいかがわしい行為が行われていることになる。果たして実際どうなのかと首を捻ってみるも、真壁の次の一言でそんな疑問はいったん吹きとんでしまう。
「じゃあ、その……マッサージ店の方に行くべきだったんじゃないのか?」
「あっ」
そういう発想自体が僕にはなかった。ここへ足を運ぶ以上はメイド喫茶を利用するのが当たり前であって、リフレを利用しようとは考えてもいなかった。僕個人がそのような女の子との接し方を由としない矜持を持っているからかも知れない。固定観念とは恐ろしい。指摘されてみればまったくもってその通り。もっとも僕の失態に気づいたのか、真壁がにわかに背筋を伸ばす。眠っていた神経がいくらか覚醒したのは怪我の功名と言うべきか。
「『あっ』じゃない。ここは君が詳しいというから任せておいたのに」
「質問は一緒に考えたじゃないか」
「俺は直接、そういうところで働いている人に訊くのを前提にしていたんだ。この店に行きつけている君が、てっきりそこまでの段取りをしてくれるだろうと思いこんでいた。よもや今日の捜査を遊びと混同しているんじゃないだろうね」
「まさか」
「だったらここにいても仕方がない。向こうの店に行くぞ」
「待った。もう注文しちゃったんだから、いま帰ったら金の無駄か無銭飲食になる」
「だとしたらどうやって捜査するんだ?」
またしても、仕事のできない人間特有の詰めの甘さが出た。かくなる上はリフレに行くのが筋だが、心情的にそれは憚られた。あちらで捜査を行うとなると、それぞれ個室に入らされる可能性が高い。つまりは質問相手と一対一の状況を強いられるわけで、入店が本来の目的と異なる点を指摘されるなどのトラブルが発生した場合、身の安全を確保するのが難しくなる。要は怖かった。それよりは出来る限りこの場で用を済ませたい。
「ここもリフレも同じ経営者だ。全員じゃないけど、何人かは掛け持ちしてるって噂だ」
「それが誰かは分からないのか?」
「調べたことはあるんだけど、ダメだね。こっちはホームページでメイドさんの紹介があるけど、リフレの方はさっぱりだ。僕は誰が働いてるかぜんぜん知らないし、だいいちあっちの店に入ったって特定の個人は指名できないみたい」
どこそこのメイド喫茶の誰がリフレや何かと兼業している──そんな情報が手に入るのは大都市圏だけだ。あくまで僕たちがいるのは地方都市だということを忘れてはいけない。ネット上の掲示板で情報を共有しようという書き込みすら相当に数が少ないのだ。
「そういうことなら出直しだ。昨日みたいに、経営者を特定して協力を得るしかない」
「いや、実態が分かれば出直しなんかしなくてもいいだろ? こっちのメイドさんはだいたい知ってるんだから。ほら、打ち合わせは終わりだ」
真壁が呆れたのか軽くため息をついたとき、えなちゃんが注文の品を運びにきてくれた。話の腰を折るのにちょうどいいタイミングだ。
「大変お待たせいたしました~」
こちらの会話はまったく聞かれていないらしく、いつものようにテーブルの上へオムライスとウーロン茶が置かれる。
「オムライスには何と書かれますか?」
「僕の方は『LOVE』で。真壁はどうする?」
真壁は外面を繕うので一杯のためか、今しがたの打ち合わせから頭が切りかわっていないのか、えなちゃんが何故にケチャップを片手に返答を待っているか分からないようだ。あー、とかうー、とか返答に迷っている。僕はたまりかねて横から口出しした。
「『初来店』とでも書いてあげて」
「かしこまりました~」
真壁はえなちゃんがメッセージを書いているのを見、ようやくメイド喫茶の趣向を理解しはじめたらしい。僕の顔をまじまじと眺めて呟く。
「広瀬くん、キミ、意外とコミュニケーション能力あるね」
「やかましい」
たぶん褒められているのだろうが、相手が相手だけに嬉しくない。くわえて気に入らないのはえなちゃんの文字だ。ひらがなでいっぱいに「はつらいてん」と書かれた隅に、小さくハートマークが添えられている。ここでも真壁はいい男扱いされているようで、黙っているとふたり仲よく話でもはじめかねない雰囲気だ。これ以上、口惜しい目に遭わぬよう、同時にミスを挽回すべく捜査に入る必要があった。僕はさっと懐から名刺を出す。
「ちょっと今、話してもいいかな?」
印字されている名前や肩書きはもちろん、白地の紙からフォントまできのう使ったものと同じである。行きつけの店でこうした嘘をつくのは忍びなく、捜査の足跡を辿られる恐れもあり不安だった。とはいえ面が割れている場所で偽名を名乗るわけにはいかず、別の肩書きを冠しては何かの拍子に双方の捜査を知られた場合によけい怪しまれる。この場は真壁の方は単なる同行者ということにして、用が済んだら興味がなくなり解散したと言いつくろおうと腹をくくった。
「長いお喋りは駄目なんですけど……えっ、これ何ですか」
実際、その効果はてきめんで、はじめは戸惑っていたえなちゃんも〈仏像愛好会〉の文字を見るなり目を丸くする。営業用の声ではなく、意外に鋭く低い地声を聞くに本当に驚いているようだ。
「まあ、僕が入っている有志の団体なんだけどさ」
「ご主人さま、こんな趣味があったんですね。でも前に寺ガールとか流行りましたし、タレントさんの中にもお好きな方はいらっしゃいますから」
すぐさま元の営業用の声に戻り、相槌を打つ。仏像マニアのタレントも、言われてみればなるほどたまにメディアに出ている。こうして堂々としていると案外怪しまれないものだ。この調子なら行けると思い話を切りだす。
「今日は、これについて訊きにきたんだ。市内で、お地蔵さまがイタズラされている事件は知っているね?」
まずSMサロンに行ったのは僕たちと名言せず、むしろ別の人物であるかのように聞こえるよう言葉を選びつつ、昨日と同じく事件解決に向けて捜査を行っている偽りの事情は説明できた。だがそこで待ったがかかる。
「すみません、もう行かなければいけませんので……。ではご主人さま、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」
「あっ、ちょっ、ちょっと」
「広瀬くん、たしかに長くなりそうだ。それよりどんな味つけでも本来あったかい料理は冷えるといけない。かなり早目の夕食だが空腹気味なのは確かだ」
諭された僕はひとまずそこで諦めた。込みいった事情を可能な限りかいつまんでも、質問に入れないのなら仕方ない。続きをいつ話そうかと辺りを窺いつつ、テーブルの対面を向くと真壁はさっそく食事に入っている。しかしスプーンを口に運んだ直後から反応は芳しくなかった。
「これのチキンライスの部分、やっぱり電子レンジだな。表面じゃなくて奥の方が熱い。せめてもうちょっと撹拌しとけばいいのに……」
また始まった。真壁はおそらく二度とここへは来ないだろうから、いちいち注意するのは止めてこの手の発言は放置することに決めた。巻き添えで他の客から反感を買わないよう距離を取り、オムライスに手をつける僕の耳に店のBGMが聞こえてくる。どれも例の頭数だけ揃えたアイドルグループの楽曲だ。この店は好きだが、選曲だけはいただけない。全く興味のない僕さえ、様々なメディアで嫌でも目にする。それらの何と画一的で無個性なことか。街中で耳にする機会が減ったといっても、その理由は決して喜ばしくはない。
窓の外を眺めてみても、駅前にも関わらず眼下に広がるのは共同住宅やビルの窓から漏れる光ばかりなのだ。昼間でも店のバリエーションに欠けるのが目につくが、夜になると今度は寂しさが際立つ。中には街灯や車のライトに外壁だけが照らされ、窓に灯りのない無人の建物も散見される。様々な種類の店舗が急速な勢いで潰れているのだ。
そんな風にぼんやりと考えごとをしていると、ふと店内にハンドベルの音が鳴りひびいた。振りかえってみれば、いつの間にかえなちゃんがステージに立っている。
「本日お越しのご主人さま、イベントのお時間でーす。よろしければご参加ください」




