三 無敵の人 ③
話が進む以上、相変わらず調子に乗っている真壁はそのままにしておくことにした。僕を踏み台にするのも嘘を飛ばすのも気持ちよさそうで、庁内で特に上司あいてにだんまりを決めこむ口数の少なさがまるで嘘のようだ。普段からこれくらいのコミュニケーション能力を発揮していれば、周りの目も多少は違うだろうにと考えると実に惜しい。もしかするとお堅い雰囲気で業務に従事せざるを得ない公務員より、こちらの方が性に合っているのではないか。よりにもよって就職する際に判断を誤り、まるっきり適性外の職業を選択してしまうとは因果な男だ。女王さまもすっかり乗せられ、僕に講釈までしてくれる。
「風紀を乱しただの、反道徳的とかで犯罪者あつかいよ。一生の半分くらいは塀の中に閉じこめられてたの。まあ乱暴だった部分もあったみたいだけど、でもそんなに長く拘束されるまでのことはしてないわ。別の方向で趣味趣向が少数派の人たちだって、難癖つけられてブタ箱行きだったんだから」
「お詳しいんですね」
真壁が言うと、客のひとりがなぜか自慢げにグラスをあおる。
「そりゃ当たり前だ。女王さまの最終学歴は、あのパリ大学だからな」
教育機関の評価に関心のない僕でも、話しぶりからしておそらくレベルの高い大学であろうことは分かる。隣の真壁が目を見張っているとなればなおさらだ。
「ここのサービスも、留学中に身につけたのよ。何しろ、フランスは発祥の地でしょ。キリスト教徒の方が多いから当然よね。だって鞭打ちなんか、もともと修道士が背中を鞭で打つ荒行が元なんだから。それがだんだん快感になってっちゃったみたいなの」
職業柄、必要とはいえ様々な知識が泉のように湧きでてくる。少なくとも僕などより遙かに博識で、頭の回転も比較にならないほど早い。本物のインテリとは女王さまのようなお方を指すのだろう。しかも真壁とさえ意気投合する懐の広さも持ちあわせている。
「だから、店内で流れている音楽もフランスの作曲家のものが多いんですか?」
「私がフランスに留学してたからって訳じゃないけどね。でも、よく分かったわね」
「先ほどのもマスネの『タイスの瞑想曲』ですね。しかもヨゼフ・スークの名盤だ」
「あら、詳しいのね。話が合いそうだわ」
もっとも、真壁も紆余曲折はあれインテリには違いない。二人はしばらく専門用語を交えつつ、僕を置きざりにしてクラシック音楽を熱っぽく語りあっていたが、話がひと区切りついたところで真壁が懐の財布に手を伸ばした。
「さて、そろそろ失礼します」
「もう帰るの? 無駄話が長くなっちゃってご免なさい。お勘定ね、はい」
女王さまの方はお釣りに加え、お代と受けとった金額をメモ書きした紙をレシート代わりに真壁へ返す。金額は二〇〇〇円。テーブルチャージ代と取れば安いものだ。
「今日はありがとね。また来てね」
「こちらこそ。では、失礼します」
最初に真壁が、続いて僕がメモ帳とボールペンをしまいながら頭を下げて店を出る。最後は周りの客からもにこやかに送りだされ、気分もよかった。何より女王さまが単に話をする限りでは本当に親切なお人柄のうえ、目的外で来店したというのに嫌な顔ひとつせず丁寧に接してくれたのには感謝の一念あるのみだ。火床市役所には、いや市役所だからこそあんなにいい人はいないのではないかと思える。だが捜査を終えた今、真壁には言っておかなければならないことがある。僕は後から追いすがるようにして横に並んだ。
「おい、真壁!」
「何だ? そんなに大きな声を出して」
「何だじゃない、あんな偽名使ってどういうつもりだ! 僕はちゃんと本名を名乗ったんだぞ!」
真壁は反省の様子もなく歩きつづけ、むしろ不思議そうに僕の顔をまじまじと眺める。
「名乗った団体に実体はない。架空も同然だから別に構わないだろう? 事前に申しあわせをしなかったのは悪いが、逆に本名を名乗る必要の方がない。君も偽名でいくものだと思っていた。それに、俺の名前はちゃんと説得力があったじゃないか」
「馬鹿! 女王さまが完全に真壁のことを千々松と間違えてただろ! あれじゃ下手すると侮辱罪になるぞ! 地方公務員法違反になりかねない」
肩書きを考える際、僕は違法行為に当たらないようその場で調べておいたのだ。今にして思えば、打ちあわせの際に作戦の根拠をひとつ残らず真壁に示しておくべきだった。このあたりの詰めの甘さが仕事のできない所以だが、これ以降も勝手な真似をされてはどんなトラブルが起こるか分かったものではない。僕は該当する法律の文面をスマートフォンの画面に映し、真壁に見せつける。
刑法 第二三一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
地方公務員法 第三二条 職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
「あっ」
真壁はそこで自分の間違いに気づいたのか小さく呟いた。やっぱりどこか抜けている。
「『あっ』じゃない! だいたい千々松だって教育部の職員なんだから、せっかく架空の団体を名乗った意味がなくなるじゃないか」
「正確には千々石だ。千々松じゃない」
「言い訳はいいんだよ。女王さまに意図して誤認させたのは間違いないんだから」
「次から気をつけよう。済んだことは仕方がない」
さっさと開き直るとは、とんでもない男だ。勝手に偽名を使ったことといい、法律がどうこう以前に倫理観が欠如しているのではあるまいか。僕がどう返答するか迷っていると、真壁がいつの間にか難しい顔をしている。
「ところでさっきの話、どう思う?」
真壁は誤りを責められたからといって、話題を変えるのではないようだ。事実、今から何を言ったところで訂正のしようがない。ならばこれ以上の追求は止め、歩きながら今しがたの捜査でも回顧した方がよかろうと判断した。週の後半だけあって通行人は意外に多いものの、ほとんどが連れや同行者と話をしており、何の変哲もない二人の男に気を留める者はいそうになかった。僕はメモ帳を開き、自分で書いた汚い字に目を落とす。
「断言できないとこだけど、たぶん嘘はついてないんじゃないかな。女王さまは犯人じゃないと思う。真壁は疑ってるのか?」
「さっき言ったように、筋道立てて考えれば女王さまがやった可能性は低い。ただ、完全にあの話を信じていいかと訊かれると疑問符がつく。俺たちの捜査に協力したのは無実を広報するためだと言っていたけれど、それは仮に犯人だとしても十分に当てはまる。周囲を煙に巻く手段としても有効だろうからね。その気になればそういう知恵をはたらかせられる人のように見えた」
事件の犯人が何食わぬ顔でテレビや週刊誌の取材を受ける例はある。女王さまが例外である保証はどこにもなく、堂々と第三者を装えるだけの大胆さと頭のよさを備えている人物だと言われればたしかにそのとおりだ。
「それだけ?」
「まだある。あの様子では周りから相当に慕われているようだから、直接は関与していなくても客を庇っている可能性はある。君の疑問も解決したわけだ。料金表にも載っていたように、あの店にはS嬢とM嬢が両方いる。つまり客にもM男とS男の両方がいる。S男なら亀甲縛りに慣れているだけでなく、M男も練習次第で亀甲縛りはできるようになる」
これも分かっている。真壁がうまく訊きだしてくれたおかげで、女王さまもごく自然に答えてくれた。ただ、ここからの考えが僕とは違うようだ。
「あと俺からの質問で、メイド喫茶の話が出ただろう? あれも他業者に注意を逸らす、悪い言い方をすれば罪をなすりつけるためのものだったように聞こえなくもない」
「でも、予定どおり僕たちから質問した結果だよね?」
「それはそうだが、俺からアポがあった時点でこの手の質問が来るのは予想できたはずだ」
問答を想定しておいて、容疑を別の方へ誘導したというわけか。指摘は一理あるが、そこまでいくと穿った見方をしすぎのように思える。同時に真壁の声のボリュームが気になった。歓楽街の中心を抜けたせいか人通りはまばらになっており、あまり大きな声でS男とかM嬢とかいう単語を口に出すと赤の他人からとはいえ誤解を招きかねない。
「じゃあ、あの店の関係者を洗ってみるのか?」
「いや、何度も言っているとおりシロの可能性の方が高い。だからしばらくはこの店のことは頭の片隅に置いておく程度に留める」
促すように声を潜めると、意図が伝わったかどうかはともかく真壁も倣うようにトーンを下げてくれた。しかし、やはりというべきか頭の中身はなかなか読めない。
「女王さまの意図は抜きにして、次はメイド喫茶だ」
「本当に行くのか?」
「まずは話を訊いてみないと」
先ほどの店内での受け答えは嘘ではなく、表情も演技ではなかったようだ。女王さまへの疑念を解かずにいながら、あえて行くとはどういうつもりか。顧客情報を漏らしそうにないのは〈シャラントン〉と同じのはずだ。しかも捜査が有効なのは、女王さまのお店に出入りしていたS男がメイド喫茶に奔った場合に限られる。とはいえ深夜の巡回が入っていない、二人そろって動ける貴重な時間を無駄にするよりはましだった。それにこちらは、僕にとっては今日のように緊張する場所ではない。
「明日にでも行ってみる?」
試しに訊いてみると、真壁は二度、三度と頷いた。
「そのつもりだ。明日も定時が過ぎたら捜査開始としよう。ところでメイド喫茶は市内に一件だけなのか?」
「うん。目立たないけど、駅の近くにあるんだ」
「それ以前に君はそこを知ってるのか?」
「まあね」
知っているどころではなく、月に一度は足を運んでいる行きつけの場所だ。だからこそ先ほど女王さまがメイド喫茶の話をした時点でおおかた理解できた。いっぽう真壁はまったく馴染みがないらしく、普通ならメイド喫茶に行けると聞けばそこで楽しもうとするはずなのに、そのような反応は皆無で単に捜査がはかどるのを純粋に好ましく捉えているだけなのだ。考えてみれば真壁について浮いた噂はもちろん、ブライベートどころか休日に誰かが姿を見かけた程度の話すら聞いた記憶がない。
「そうであれば都合がいい。ぜひ案内してくれ」
「分かった。何を訊くかは昼にでも打ち合わせよう」
真壁の要望に応え、僕は大きく頷いてみせる。今日はほとんど真壁ひとりに捜査を任せたようなものだ。明日は楽をさせるべきだろう。それに一般常識に欠けるこの男を、社会勉強に連れだすのも悪くはない。
ひとまず次に何をすべきかは決まったが、大通りに抜けるまでもう少しかかる。狭い車道を走る車などはすでになく、歩道からはますます人が減っていき、闇に包まれる空間が急に増えた。そこへふと人の顔が視界に入り、僕は思わず立ちどまる。
「どうかしたか?」
隣から真壁に声をかけられてもういちど目を凝らすと、そこにあったのは光量の衰えた街灯に薄く照らされて不気味にも闇夜に浮かびあがる市議会議員の立看板だった。街の景観を損ねるだけでなく、人を驚かせるとなるとやはり早期の撤去が望まれる。
「いや、何でもない」
こんなものに怯えるとはそれなりに神経を使ったのか。僕は適当に誤魔化し、やや早足で大通りへ向かう。真壁もその後を追うだけで、さして気にも留めていないらしい。元来、他人にはさして興味のない男だけにおかしな恥をかかずに済んだ。
それから二人そろって間もなくバス停にたどり着く。公務員であるがゆえアルコールの量に関わらず飲酒運転は厳禁であり、どちらも水割りに口をつけてしまったため車には乗れないが、おのおの帰宅する方向と手段が違う。
僕は毎朝の通勤時と同じように、バスを待つ必要があった。ただ、ちらと時刻表を見たところこの路線は本数が少なく、次に来るまでかなり時間がかかる。時計を見てもまだ九時になっておらず、街中だというのにこの有様とは改めて地方の不便さを思いしらされる。夜がまだ寒いのも恨めしい。かたや自動車通勤の真壁は、ここから駅まで歩いていかねばならない。まだ身体を動かせるだけ凌ぎやすそうだったが、寒風に晒されるのは僕と同じだ。そのせいか、顔を見てみると頬と目尻の境目あたりが小さく震えている。
「じゃあ、僕はこのへんで」
今日はお互いのためにいち早く解散すべく声をかけると、真壁は珍しく手を振り、僕の方を向きながら駅へと歩いていった。
「ああ。また明日」




