三 無敵の人 ①
二月二日 木曜日
「広瀬くん、多分ここだよ」
時刻は午後八時。僕と真壁は駅からバスに乗り、停留所を降りてすぐの場所に位置する寂れかけた歓楽街のど真ん中に立っていた。目の前に鎮座しているのが市内でたった一件だけ存在の確認できる、昨日から探しもとめていた類の施設だろう。建物の入口ちかくに置かれた看板には〈SMサロン シャラントン〉とある。それでも不安はあった。
「本当に大丈夫かな。間違いないよね?」
僕がここを目的地であろうと判断する根拠はネットで検索したところ、ひとつだけ抽出されたのが同名の店舗だったという結果が主である。電話帳に名前はあったものの他の風俗店と異なるSM専門店か否かの記載はなく、詳しいサービス内容を記載したホームページがあるわけでもなく、よって顧客対象がS男かそれともM男かも不明のままだった。それらしい横文字を並べればオシャレという地方特有の安易な意図で名付けられたのかも知れないが、〈シャラントン〉という店名にもSMのクラブなりサロンなりに相応しからぬどことなくスマートな響きがある。
「俺がアポを取って確認しておいた。住所からしてもここ以外にあり得ない」
かたや真壁は僕と同じようにネットで検索をかけただけでなく、直に電話で話をしていることもあり自信があるようだ。聞きづたえだけで心配な部分はあるものの、珍しくはっきりこうも口にするからには間違いなかろう。
「とにかく行ってみよう」
たしかに、ここまで来たら前に進むのみだ。まず真壁が、続いて僕が店の扉を潜る。するとその先にはどことなく水商売らしい雰囲気は醸しだしていながら、施設の特徴からすれば不釣りあいなほど大人しい衣装に身を包んだ女性が立っていた。
「いらっしゃい」
声は酒やけなどしておらず、歌えばさぞ綺麗だろうと思われるほど澄んでいる。僕の好みから大きく外れてはいたが、それでも年齢不詳の美人と断言できる容姿の持ち主でもあり、ますますここがSMサロンなのか疑いたくなった。店内の造りがぱっと見ではカウンターに椅子の置かれた普通のバーに近いうえ、ほか四人の客から漂う穏やかな空気もそれに拍車をかける。さらに言えばタイトルこそ出てこないながら、どこかで聞きおぼえのあるクラシック音楽が店内に流れていた。旋律もテンポも穏やかで、この手の業種の店とはなかなか結びつきにくい選曲である。真壁はちらと耳をそばだてつつ頭を下げた。
「お邪魔します。昨日、お電話させていただきました」
「あなたが昨日お電話くれたの。どうぞ、掛けて。他のお客さんもいるけど、いいわね? それにしても声から想像してたのと違うわ」
大して金を落とさない、客とも呼びかねる客だというのにこの女性店主は妙に機嫌がよさそうだ。捜査協力には即日応じ、こうして依頼をした翌日の来訪を承諾してくれたものの、真壁のかけた電話に出た際は非常に気だるそうだったと聞く。店が夜間営業のため起きがけだったとすると、歓迎はされていなかろうと思っていただけに意外だった。
というより、声色から察するに店主はむしろ嬉しそうである。どうやら真壁をいい男として扱っているようだ。普段の言動を目の当たりにしている僕は納得できない。職場ではほとんどぼそぼそとしかものを言わないのに、ここでは一応はっきりと喋っている。その違いが大きいのだろうか、やはり人は第一印象が肝心だと思い知らされた。
「私も、ご一緒させていただきます」
いっぽう僕はといえば、こうした場所に入りなれていないせいかどうしても言葉がたどたどしくなってしまう。そこから緊張しているのを看破されたか、店主から声がかかる。
「あら、この子も。絵に描いたようなオタクみたいだけど、よく見るとこんな綺麗な顔したオタクはいないわね。どんな声で啼くのか、試してみたくなっちゃうわ」
次の瞬間、客一同が一斉に笑った。これで分かった。当初は果たしてSかMか判然としなかったが、いま目の前にいる店主はSの女王さまだ。女王さまがほんの少し覗かせた眼光には、いかにも妖しげな輝きが秘められていた。ともあれそうしてひとまず場が和むと、真壁は自宅の印刷機で急ごしらえに〈火床市仏像愛好会〉と団体名を表記した白地の名刺を差しだす。
「改めてはじめまして。私……」
きのう懸案事項となった、事件の捜査にあたって表向き何と称するか僕の出した案がこれだった。形の上では児童から問い合わせが寄せられ、庁内でも解決を迫られているとはいえ、子ども電話相談室の設置目的に照らしあわせれば警察の真似ごとまでするのは度が過ぎている。ましてや捜査の対象はSMサロンであり、店舗の経営が適法だとしても聞きこみを行う人間が市職員とは、間違っても教育部所属の職員と知られるわけにはいかない。
だからといって肩書きなしではものを訊ねるのに失礼であるうえ、捜査を行う理由さえ説明できなければ相手を納得させられず、まともな回答は得られない。すなわちどうにかして身分を名乗る必要があるのは自明の理だった。当初は探偵を装おうかとも考えたが、色々と調べたところ探偵業を勝手に名乗るのは不可能であることが判明した。
探偵業の業務の適正化に関する法律 第四条 探偵業を営もうとする者は、内閣府令で定めるところにより、営業所ごとに、当該営業所の所在地を管轄する都道府県公安委員会に、届出書を提出しなければならない。(一部抜粋)
よっていみじくも日本国憲法その他法律を遵守しなければならない立場にいる以上、違法行為に及ぶのはまずかろうという結論に達し、結局は真壁の祖父を会長とする仏像愛好会を名乗り、捜査はその祖父の言いつけで行っていると説明することで合意した。私的な集まりである同好会を一時的に結成した体をとれば違法ではない。市職員と名乗らないのも、質問に対して虚偽の回答をしたならともかく、単に言葉が足りないだけである。もっとも真壁の祖父は父方母方ともに亡くなっているらしいから、これを合法と呼べるかどうかは微妙だが、ともあれひとまず打ち合わせどおりに事がはじまるのを確かめ、ほっと息をつく。しかし真壁の出した名刺の氏名欄を見た次の瞬間、僕は噴きだしそうになった。
「私、仏像愛好会の千々石と申します」
何て奴だ! 真壁の奴、自分だけ偽名を名乗るとは! 一瞬にして怒りが湧きあがる。昨日、打ち合わせをしたのは捜査の流れ、質問の内容、肩書きの名称に白地の名刺に縦書きでそれぞれ名前を印刷するという点で、実名を名乗るか偽名にするかまでの取りきめはしていなかったのは認める。ただ常識的に考えて、何の申しあわせもしなければ普通は実名にするだろう。にも関わらず僕を出しぬくとはまったくもってフェアではない。かといって、この期に及んで感情まかせに作戦をぶち壊しもできなかった。
「私も、同じ会の会員の広瀬です」
仕方なく、同じ団体名ではありながら本名を印刷した名刺をカウンターに置く。僕は話に水を差さぬよう、とりわけ怒りを鎮める必要があった。というのも二人とも口下手ではあるものの、こうした施設へ足を運ぶと決めた方がその目的趣旨を把握していることから、主導的に捜査を進めるのは真壁と取り決めをしたためである。
したがって僕に任された役目は質疑応答の記録と、真壁の調子が悪いときに代わって質問役に回るいわば補助役だった。もっとも外面はいいのかそれとも職場を離れると気が休まるのか、今のところ真壁はなかなかに好調なようで流れの中でスムーズに話を切りだす。慣れない環境に身を置いても緊張しない鈍さがプラスに出ているのだろう、立ち居振るまいも堂々としていた。
「さっそく、幾つか訊かせていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、始めてちょうだい。こっちにもお客さんがいるから」
女王さまの方も、客商売をしているだけに話の腰を折るような真似はせず、他の客よりも僕たちの方を優先してくれる。さっさと捜査など終わらせ店舗本来の業務に専念したい意図があるとしても、善意を無駄にするわけにはいかなかった。僕がメモ帳を開いてボールペンを握るのを見やり、真壁が口を開く。
「では単刀直入に。最近、ここからそう遠くない巴町の交差点で、お地蔵さまが何度も亀甲縛りに遭っているのはお聞きかと思います。犯人は誰か、ご存じありませんか?」
「その犯人っていうのは、私も入るの?」
「はい。もしそうなら仰っていただけると助かります。そうでなければ、違うとお答えください」
女王さまはいかにも驚いたような顔で真壁を眺めた。僕も驚いた。さっそくいつものまずい部分が出たかと思った。ここはSMサロンの店内だ。用件からしてこちらはアウェーなのだ。質問内容もデリケートなものであり、やりようによっては客を含め周りすべてを敵に回しかねないのだから、少しは配慮や工夫をしろと注意したくなる。案の定、店内は静まりかえったが、女王さまは不機嫌になるでもなく丁寧に首を横に振った。
「違うわ。私はやってない。誰がやったかも知らない」
「そうですか。ありがとうございます」
真壁は真面目な顔でいる。僕は大きく息を吐き、メモ帳に会話の内容を走り書きした。
「昨日、要件を言われたときから分かってたけど、それにしてもストレートに訊くわね。あれをやったのは断じて私じゃないけど、仮に私だとして正直に答えると思う?」
「いいえ。ただ昨日もお電話でお話ししましたとおり、この調査は祖父の意向もありますから、お地蔵さまがあのようなことをされた以上、関連があると思われる場所にお伺いするのはもちろん、肝心の質問をしなければ調査をしたなどと報告できませんので」
真壁の理屈はもっともである。特に僕たちにとって聞きもらしの有無は死活問題だ。女王さまの表情をちらと窺ったところでも、何かを繕っているようには見えない。むろん実際に犯人であるか否かはこれだけで判断できないにせよ、この質問など痛くも痒くもないといった様子だ。しかしそのやりとりを傍で耳にする客は必ずしもそうではないらしい。いちばん奥で飲んでいたスキンヘッドの男が、急に相好を険しく変え横槍を入れてきた。
「おい兄ちゃん、だからうちの女王さまが怪しいってのか?」
席は離れているとはいえ風貌が風貌だけに迫力があり、僕は反射的に身構えた。そうして店内の空気がみるみるうちに張りつめるも、次には客がみな一瞬にして凍りつく。
「お黙り!」
「でも……」
「黙れって言ってんだよブタ野郎!」
先ほど僕を軽くからかったときとは比較にならないほど恐ろしげなドスの利いた声が、カウンターの向こうから飛んできた。スキンヘッドは酔いが醒めたような顔をして押しだまる。他の客がどうかは別にして、少なくともこのスキンヘッドはM男だ。怯えながらも瞳の奥からは愉悦の光が滲みでている。間違いない。
「ごめんね。千々石さんの話は一理あるわ。聞きたいことはそれだけ?」
女王さまは申し訳なさそうに小さく頭を下げる。僕は再びボールペンを走らせた。
「いえ、まだ幾つか。私が今日ここにお邪魔したのは、インターネットで検索したところ該当したのがこの一件だけだからですが、市内に同業の方はいるのでしょうか?」
「いるともいないとも言えないわね」
「と、言いますと」
「最近はこうした店舗経営じゃなく、デリバリーヘルス、いわゆるデリヘル形態で営業するところが増えてるの。大都市部は違うかも知れないけど、このあたりは人口が減ってるから利用客も同じように少なくなっていっちゃう。そうなると普通は部屋を確保するための家賃まで払ってたらやっていけないのよ。SでもMでも専門の子を揃えるのは手間だし、おまけに嗜好を絞ったお店はあんまりカラーを前面に出すと、変に敷居が高いように見られちゃって初めての人が入りにくいのよね。だったら女の子を所定の場所に行かせて、うちみたいなサービスはオプションにしようってわけ。だから似たようなサービスを提供するとこは他にもあるけど、専門店としての競合相手はゼロってところかしら」
「しかし、ここは繁盛しているようですが」
ぱっと見、建物は築三十年は経っている。内装も新しくはない。そのうえ今日は誰もプレイをしていないのに客がいる。
「俺が説明してもいいかい?」
今度は髭と髪をぼうぼうに伸ばした、四十半ばくらいの男が陽気そうに口を開いた。今しがたの女王さまの剣幕を目の当たりにして、発言の前に許可を得ようというのだ。女王さまもこの申し出に対しては大人しい。
「いいわよ」
「兄ちゃんの目の前にいるのは間違いなく県内一、いや、たぶん関東一の女王さまだ。店がこの場所にあるのも、俺たちみたいな客がちゃんと来るからだ。家賃が少しくらい高くたって、表通りのバス停から近い場所を確保しておけるんだな。おまけに県内はもちろん、県外からわざわざ宿を取って来る奴だっている。それくらい女王さまは凄えんだぜ。俺がこの店に来てもう十年になるけど、景気の悪い話はちっとも聞かねえ。県内の他の店やデリヘルで済ませてるのは、俺から言わせれば金がないか、風情がない連中だよ。実際ここへ来たら病みつきになる。自室やホテルじゃ味わえないもんだってあるし、こうやって仲間と話だってできるのによ」
何がどうすごいのか朧気には理解できるものの、細部までは想像がつかない。ともかく今のご高説に誤りがなければ、目の前にいる女王さまは業界では相当な腕の持ち主であるがゆえに亜種の業者から客を奪われてはいないことになる。
「ありがとうございます」
真壁が髭の客に礼を言うと、女王さまも少し恥ずかしそうに小さく首を縦に振った。
「自分で言うのも何だから、私からもありがとうと言っておくわ。まあ、今みたいな感じで長く店をやらせてもらってるの。ただ、ちょっと今の質問で思い出したんだけど、うちと少し似たようなことを始めたところがあるって聞いたわね」
「どこですか?」
「メイド喫茶よ」




