二 どうしてこうなった ⑧
二月一日 水曜日
今朝方まで巡回に出ていた僕は、この日ほんらいの勤務時間をぼんやりと過ごしていた。深夜の出動は六回目、うち徹夜明けに近い状態から二時間の睡眠を挟んで通常勤務に入るローテーションは二回目といっても、慣れて楽になった気はまったくしない。むしろ巡回の前日に昼夜逆転の生活をし、そのサイクルを元に戻すべく再び昼夜逆転という日々を繰りかえしているために身体が重い。思うように頭がはたらかず、この日も午前中いっぱいかけて報告書をまとめるのでやっとだった。巡回中は前方を凝視するだけの作業に大部分の時間を費やすとはいえ、さして見知らぬ当番の相手が助手席に乗っていればどうしてもある程度は気を遣う。くわえて貴重な時間を費やしておきながら、昨晩も収穫なしでは嫌でもくたびれる。おかげで昼休みも例の弁当屋まで足を運ぶ力すらなかった。巡回はまだまだ続くというのに、今の時点でこれでは先が思いやられる。
それは午後になっても引きつづき嫌でも感じさせられる。時刻も一時半を回ると、徹夜の最中にも似た妙な神経の高揚感が生まれる。疲労が一線を越えた状態とでも言おうか。僕が表向きはどん底の体調から回復しかけた矢先に真壁が話しかけてくる。
「広瀬くん、ちょっといいか」
「うん?」
思いかえせば、今日はお互い必要最低限の会話しか交わしていなかった。もしかすると、僕の状態を考慮してくれていたのかも知れない。この男も一応は相手を思いやれるだけの気遣いを持ちあわせているのかと感心するも、どうもそれは勘違いらしかった。
「俺たちはこれまで都合十二回、巡回に出ている」
「急に何? そんな分かりきったこと。そりゃあ巡回に出たけれども」
「妙だとは思わないか?」
「だから何が?」
「俺たちが深夜に出張ったのは平日に限ればランダムだ。土日にしても何回かは外している。にも関わらず犯人は先々週の土曜の深夜に、同じく先々週の月曜と先週木曜の未明──これは室長が入院した翌日だが──それぞれ一回ずつ、きれいに巡回の日を避けてイタズラを成功させている。おかしいとは思わないか? ずっと気になっていたんだ」
真壁は事件解決に向けて真剣なようだ。室長のお見舞いから帰る道すがら、黙りこくっていたのはそのせいかも知れない。僕も今週に入ってからではあるが、行われているイタズラが果たして無差別か否か疑問に感じはじめていたところだ。
「言いたいことは分かるよ。犯人が現場ちかくにいて、こっちの挙動を窺ってるかも知れない、って考えだろ」
何しろ、付近にはかなりの率で白いライトバンが停車している。人通りの少ない中ではどうしても目立つ。それにふと思いついた。交差点の一角に、いかにも犯人が隠れていそうな場所があるではないか。
「たとえば、隣の私営駐車場なんてどうだろう。あそこなんか、車を停めるにはうってつけの場所だよ」
「悪いがそれなら俺の方で毎回、覗いておいた。使っているのが向かいの幼稚園に勤務する職員かどうかは分からないが、とにかく夜はいつも車がない。それに看板には月極駐車場とあった。四六時中張っているとしたら、実際にイタズラをするのは数日に一度なのにずいぶんと無駄な出費だ。無断駐車をするにもリスクがある」
「その無駄やリスクを承知で利用してる可能性もあるよね」
僕なりに仮説を出してみたつもりだが、真壁がひっかかるのはそこではないようだ。
「可能性としてはあり得るだろう。ただ仮にそうだとして、なぜこんな馬鹿げたイタズラを繰りかえすのかが引っかかる」
「単なる目立ちたがりじゃないの? 今のご時世、それだけで馬鹿な真似をする奴はいくらでもいる。ネットに動画を上げて再生回数を稼げば広告料も上がる。それで生計を立ててる連中だっているんだ」
「だったら余計におかしいとは思わないか? 事件は新聞の地方欄にたった一回、取りあげられただけだ。以後はまったく触れられてもいないのに、イタズラだけが続いている。それに君の言うような、単なる目立ちたがり屋だったら動画くらいとうに公開しているはずだ。俺は試しに年月日にキーワードを入れて検索したが、それらしきものは見当たらなかった。君もやってみるといい」
言われたとおり、僕は手元のスマートフォンから動画検索を試みた。しかし画面上に出てくるのはまったく関係のないタイトルばかり。
「上げるのは、これからだろう」
「公開を遅らせる理由は? 話題にもあがらなくなっている以上、時間が経てば経つほど興味を引くのは難しくなる。それにいくら罰則や罪状が軽くても犯罪は犯罪だ。動画を公開すればアシがつく。だいたい俺たちが深夜の巡回をしているのに気づいたら、普通あんなイタズラはやめる。もし他に目的のない単なる愉快犯なら」
「真壁、何を考えてる? 愉快犯以外に、何か動機があるっていうのか?」
真壁の言わんとすることを理解しかねる僕は、やはり頭がはんぶん眠った状態なのかも知れなかった。しかし次の一言を聞いては、嫌でも目が覚める。
「今のところ、お地蔵さまへの亀甲縛りは単なるイタズラだと思われている。それが議会で問題になって、相談室が動くハメになった。少なくとも俺の考えは以前はそうだった。だが順序が逆だとしたら? つまり議会で問題にするのがイタズラの目的だとしたら?」
たしかに、巡回を実施した前後の日にイタズラがなされたいわゆるニアミスが多い。それが単なる偶然ではなかろうという意見は頷ける。とはいえ現場を取りのがしたという一要素をもって、動機まで特定するのは早急に過ぎるのではないか。反駁の言葉を口にしようとする間にも、真壁の話は続く。
「そこまで驚くことはないだろう? これはうちの市にとってかなり大きな問題なんだぜ。もともと巴小を移転するかしないか、内実はどちらの企業を誘致するかは相当もめていたんだ。前市長が小学校を旧体育施設の跡地に移転しようとしていたのを、今の小原市長が止めた。それを再び覆すためなら相応のことをする奴が出てきてもおかしくない。企業の誘致が絡んでいるんだ、関係者には莫大な利益がもたらされる。勲一等の功績を挙げた暁にはかなりの報酬があると考えて然るべきだ。たとえば小学校を今の場所に留めおくのに厄介な問題を起こして、移転の理由を作るとか……。住宅街でそこそこ目立つお地蔵さまを亀甲縛りにすれば話題になって議員が動いてくれる、そんな狙いがあるとしたら? 結果、思惑どおりに永井議員が騒ぎだした。教育にうるさいともっぱらの評判だったから、まったくのおあつらえ向きの人物が議員にいたわけだ」
それにしても先週あたりから気づいていたことだが、教育長は言うに及ばず室長の前でさえあまり喋らず黙りこくっていたのにこの饒舌さはどうだ。一部の人間とのみ積極的に会話を交わすところを見ると、やはりコミュニケーション能力に欠陥があると言わざるを得ない。もっともこの仮説は一理ある。あのときも何人かの管理職が同様の噂をしていた。
「でも、いったい誰が?」
「人にばかり考えさせないで、君も少しは頭をはたらかせてくれ」
疑問を口にした僕への指摘もそのとおりだ。上司に返事をするだけが仕事ではない。むしろかなりの部分、ものを考えるのを真壁に頼ってしまっている。仮説を検証する価値はあるだろうし、そもそもなぜこんな業務に駆りだされているか把握しておく必要もあった。ノートパソコンで議会事務局のホームページを開き、しばし現職市議の所属会派から議事録まで当たってみれば、なるほど騒ぎの詳細が段々と明らかになってくる。僕自身も事実を整理すべく、印刷用の白紙にシャープペンを走らせて書きだしてみた。
移転賛成
〈民政連合〉 横山、南波、貝塚、水島、小畑
〈元気の友〉 吾妻、望月、吉田
〈家庭の会〉 永井、乾、西条 ※当初は反対
〈興隆の有志〉中村、小山田
〈無所属〉 佐渡川
移転反対
〈憲政会〉 車田、佐藤、鈴木、本庄、西、高橋、増田、浜岡、重本、板垣、石黒
〈維新神風〉 渡辺、桜井、辻
「最初は移転賛成が〈民政連合〉〈元気の友〉〈興隆の有志〉と無所属の佐渡川議員で十一人。対して反対が〈憲政会〉〈維新神風〉〈家庭の会〉で十七人。ある程度割れてはいたけど、一応は市長と同じ意見の反対派が優勢だった。ところが三人会派の〈家庭の会〉が事件を受けて意見を翻したせいでこんなに騒いでるんだ。だから今は賛成十四に反対十四? あれっ、おかしいぞ。これじゃ同数だ。だったら何で」
僕がホームページと議事録を見比べていると、真壁がインターネットで検索をはじめ、すぐにノートパソコンのモニターを向けてきた。ウインドウには「六法全書」とある。
「違う。〈憲政会〉の石黒議員は議長だから、議決権はない。今は賛成十四に反対十三だ」
地方自治法 第一一六条一項 (前略)議会の議事は、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
「自治体は基本、議員総数を偶数に設定して、議決権をもつ議員は奇数になるようにしている。棄権や欠員でも出ない限り意見が決まるのはこのためだ。しかし重要事項だからだろうが、会派が意見表明してくれているおかげではっきりしたな。ここまで両者の数が切迫しているとなると、いよいよイタズラに関与している議員が紛れていそうだ」
「まあね。でも同じ会派でも、意見が違うときもあると思うけど」
「会派内で議決が割れることはあり得ない。もし会派内の他の議員と意見を異にするなら、別会派を作らなければならない。もしそうなったら、この前提は崩れるが」
おそらく管理職となると事情は違うのだろうが、市職員だからといって単純に議会の制度や規則、議員の動きに聡いわけではない。忙しい職場では日々の業務に追われるあまりそこまで頭が回らないだろうし、むしろ僕のように勤務時間外は仕事などすっぱり忘れてしまいたい職員は逆に疎くなる。その点、真壁の前所属先が法務課で助かった。心身の健康が万全でなくてもこうした知識が出てくるあたり、腐っても鯛とでも言おうか、過去には学歴から期待されたキャリアの残滓が窺える。
「そうだとしても、永井議員の性格を利用してるのは議員とは限らないんじゃないの?」
「もちろん。ただ、こういうところに事件解決の糸口があるかも知れない」
「それに、愉快犯の仕業じゃないとも言えないよね?」
「今の時点では何とも言えない。ただし、今のうちに幾らか動いておく必要がある」
「何で? もう少し巡回を続けた後でも遅くないじゃないか」
「理由は二つある。まず一つに、今の時期は当初からひとまず巡回を終えて捜査を行う予定だった。覚えているだろう? 本来ならここで室長から何らかの指示が出るはずだったんだ。ところがその室長が入院してしまった以上、俺たちを指揮する人間はいない」
途中で室長が退院するとしても、現時点で当てにはできない。その室長に期待していた言わば頭脳の役割を、僕たち自身が負わざるを得ないということか。肝月課長に今より多くの業務を担う余裕がないのは前に述べたとおりだ。
「もう一つは、体力面の問題だ。君、今の調子はどうだい?」
「どうって、そりゃきついよ」
「今週末は休めた俺も正直、快調とは言いがたい。この先も巡回を続ければ、体力面ではもっと厳しくなる。今月末を迎える頃には、ものを考える余力もなくなっているかも知れない。だから余力がある今のうちに動いておいた方がいい」
僕は部屋の隅に置いてある教育長からの差しいれに目をやった。当初は一ダース丸ごと揃っていたビンのうち、残っているのは二本だけでそれももうじきなくなる。良策を早めに打つというのは妥当な意見だ。悠長に構えている僕が甘いとも言える。
「分かった。でも、何をどう調べようか?」




