第37話 正式に来たそうなので、持っていくものだけ先に分けておきます
朝、庭に出ると老庭師のフェルドが花壇の前に立っていた。
しゃがんでいない。ただ立って、花壇全体を眺めていた。
「どうですか」
「落ち着きましたね」とフェルドが言い、苗の一本に目を向けた。
「葉の色が安定してきました。この色になれば、多少の雨や風があっても大きく崩れにくいです」
「根づいた、ということですね」
「最初に土の状態を整えておいたので、あとは季節に任せる段階です。ここまで来れば、こちらが毎日手を入れなくてよいです」
フェルドがまた苗全体に目を向けるのを見てから、部屋へ戻った。
◇
老執事が帳簿を手に待っていた。
「評価の提出が終わりまして、今は少し余裕がございます。帳簿も台帳も揃っています。急に確認が入っても、すぐに出せる状態です」
「それで十分です」
前世で言うなら、書類棚がいつも整理されていて、どの引き出しを開けても目当てのものがすぐ出てくる職場だった。
そういう環境は滅多にない。今の離宮は、それになっている。
しばらくして廊下で声がした。
「フェルマン様がお見えです」
「どうぞ」
王城会計部門の上席文官フェルマンが部屋に入り、椅子の前で立ち止まった。
今回は書類を多めに持っている。
「失礼します」と座り、書類を一枚テーブルに置いた。
「正式な通知をお持ちしました。秋の国行事に際し、王族側への参集命令が出ました。リシェル様もその対象に含まれています」
「正式に来たんですね」
「はい。今年の秋の行事は、王宮を中心に季節行事と来客対応が重なる時期です。各宮の王族が顔を揃える形が必要となりまして、今年は例年より早めに参集がかかりました」
「規模が大きいということですか」
「例年より全体の規模が大きく、他の宮では対外対応の整理が追いついていないところがあります。そのため、早めに人を揃えたいということになりました」
書類を手に取り、全体に目を通した。
「何日の参集になりますか」
「おおむね3日から5日の見込みです。正式な日程は追ってご連絡します」
「持参品の制限はありますか」
「通常の参集に準ずる形で構いません。ただし、離宮で処理を続ける書類がある場合は、担当者への引き渡しが必要になります」
「事前に提出して済ませられるものはありますか」
「書面でのご提出であれば、一部は事前対応が可能です」
「わかりました」と言い、老執事の方を向いた。
老執事はすでに手元の帳簿を開いていた。
「持っていくもの、離宮に置いていくもの、事前に出しておけるものを分けましょう。今から確認できますか」
「はい、準備がございます」
「ルナも呼んでください」
フェルマンは書類を手に持ったまま、部屋の様子を見ていた。
◇
ルナが来て、三人で書類を広げた。
持参が必要なものを先に出す。
正式書面と印章が入った携行用の革袋、王宮への挨拶状の控え、参集期間中に処理が止まらないよう事前に出しておける承認書が2点。
老執事が帳簿の該当ページを開きながら一つひとつを机に並べた。
「こちらは現地で受け取りが必要なもの、こちらは引き渡せば済むもの、こちらは事前提出で処理できます」
「では事前提出の2点は今日中に出します。引き渡し分は相手の名前を書いておいてください」
「承知しました」と老執事が書き込みを始めた。
ルナが衣装箱の前にしゃがんで、中を確認し始めた。
「王宮への参集でしたら、正式な場が複数あると思います。礼装は最低2着は必要ですし、宝石類も場ごとに合わせるものが要ります。胸飾りと耳飾りと、髪飾りも何種類か……」と言いながら指折り数えている。
「はいはい」
「はいはいではなく、王女がいらっしゃる場ですよ。向こうで粗末な格好をされたら、こちらが困ります」とルナが振り向いて言った。
「アルヴェイン家の装飾品の箱も出しておきますね。秋向けの石があります」
ルナが嬉しそうにしているのは分かった。
こういう支度の場面を、ルナは本来好きなのだと思う。
箱が増えていくのは少し面倒だった。
「最低限にまとめてください」
「最低限にまとめた上で、これだけ要るということです」とルナが言い、また衣装箱に向き直った。
「小物は向こうで必要になるものは向こうで借りれば済みます」
「リシェル様」と老執事が静かに口を開いた。
「私どもの主である王女殿下に、粗末な格好をさせるわけにはまいりません。それは私どもの矜持の問題でもございます」
少し間があった。
「…分かりました」
老執事が頷き、ルナが衣装箱の方へ向き直った。
フェルマンが書類を手に持ったまま、小さく咳払いをした。
「殿下は、いつも変わっておられますね」
「よく言われます」とリシェルが言い、書類に目を戻した。
フェルマンが少し考えてから続けた。
「参集予定者の確認が、現在も二転三転しているところがあります。誰がどの来客に付くかが直前まで決まらず、書面が現場に追いついていない状態です」
「申し送りも薄いんですね」
「その場の受け答えはできているのですが、後ろに回す記録が間に合っておらず、担当が変わるたびに同じ確認が発生しています。現場が先に疲れる形になっています」
整えていない場所では、波が来るたびに同じところから崩れる。
「参集すること自体は承知しました」とリシェルが言った。
「ただし、向こうに入ってから全部を引き受けるつもりはありません。必要な範囲だけを済ませます」
フェルマンが頷いた。
「それで問題ございません」
「手が足りなくなっているところに、こちらが入り込む必要はないです。離宮の仕事は離宮で回ります」
「承知しました」とフェルマンが書類をまとめ、立ち上がった。
「日程が決まり次第、改めてご連絡します」
「お願いします」
◇
フェルマンが出てから、ルナが荷物の束を横に置きながら言った。
「本当に行くことになったんですね」
「仕方ないです」
「でも、もう何を持っていくか決まってますね」
「持っていくものより、持っていかないものを決めた方が早いです」とリシェルが言い、残りの書類に目を戻した。
「こちらが崩れないようにしておけば、それで十分です」
ルナが少し間を置いて、「そうですね」と言って後ろへ下がった。
老執事が事前提出の書類を封筒に入れながら言った。
「帳簿はそのままにしておきます。戻られたときにすぐ確認できるよう、今の形を崩さずに置いておきます」
「お願いします」
窓の外でフェルドが花壇の前に立っていた。
苗に手を伸ばすでもなく、ただ全体を見ている。
「ここまで根づけば、少し離れても大丈夫です」と以前言っていた。
今日の苗はその通りの色をしていた。
参集命令は正式に来た。
でも離宮の書類は揃っている。帳簿は整っている。
老執事もルナも、すでに動いている。
王宮からの波は来たが、離宮は大丈夫だ。
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