第33話 夏も終わりが見えてきて、暑さが緩みはじめたみたいです
朝、庭に出ると老庭師のフェルドが花壇の前にいた。
夏向けの苗は先週と変わらず立っているが、葉先に少し疲れた色が出ていた。
盛りのころと比べると、全体的に落ち着いた様子になっている。
「暑さのピークは越えましたな」とフェルドが水やりをしながら言った。
「まだしばらくは続きますが、苗の勢いが落ち着いてきました」
「見ていると分かるものですね」
「毎日確かめていれば分かります。今週あたりから、水の量を少し調整するつもりです」
「植えた後も、ずっと変わり続けているんですね」
「変わらないように見えて、毎日少しずつ変わっています」とフェルドが言い、苗の根元を指で確かめた。
「続けて見ていないと、変化に気づくのが遅れます」
部屋に戻ると、廊下で老執事が帳簿を手に待っていた。
◇
「本日は来客の予定はございません。急ぎの書状もなく、離宮の中は特に問題なく回っております。倉庫の在庫確認を今週中に進める予定です」
「ありがとうございます」
老執事が帳簿を閉じ、廊下の奥へ向かった。
前世で言うなら、何も起きていない日が一番安定しているという感覚は本当だった。
問題がないことを当たり前だと思って放置すると、静かなうちに何かが積み重なる。
今の離宮には、その積み重なりが少なかった。
◇
昼前にルナが廊下を掃除しながら通りかかった。
「今日は風の感じが少し違いますね」
「暑さの質が変わりましたか」
「そんな感じです。夏の盛りのころより、少し軽くなった気がします。廊下を歩いていると分かります」
「毎日歩いていると、気づくものですね」
「気づくようになります」とルナが言い、雑巾を手にしたまま先へ進んだ。
窓の外では、フェルドがまだ花壇の前にいた。
水やりは終わっているようだったが、苗の様子をまだ確かめていた。
◇
夕方近く、庭に出ると花壇の横にフェルドの姿があった。
苗の根元を一本ずつ確かめている。
「秋向けの苗のことも、そろそろ考えておきます」とフェルドが言いながら手を動かした。
「土の準備は早めにしておいた方が、後が楽になります」
「早めの方が楽ですしね」
フェルドが頷き、次の苗に手を向けた。
部屋に戻ると、日中より少し空気が涼しくなっていた。
廊下の端から風が通っていて、夕方になるとここだけが変わる。
夏はまだ続くが、一日の終わりに向かうにつれて少しずつ違ってくる。
しばらくして、ルナがお茶を持ってきた。
「しばらく静かですね」とルナが言い、茶杯を置いた。
「そうですね」
「書状も来ていませんし、来客もありませんし。こういう日が続くといいですね」
「来なくて済むなら、それが一番楽です」
ルナが少し間を置いてから、窓の外を見た。
「夏は少し、離宮を離れてみるのもいいかもしれませんね」
「どこかに行きたいですか」
「涼しいところとか。でも、どこへ行っても荷物の準備がいりますし、移動も大変ですし、結局ここの方が落ち着くだろうなとは思いますね」
ルナが自分で言いながら、少し困ったように笑った。
「言い出しておいてなんですが、私もたぶん出発前から面倒になる気がします」
「そういうことです」
ルナが「ですよね」と言い、少し笑った。
リシェルも小さく笑った。
ルナが笑いを収めてから「まあ、いつかそのうちに、ですね」と続けた。
「そうですね」
ルナが頷きながら、道具をまとめ始めた。
そこへ老執事が書状を持って部屋に入ってきた。
「本宮から届きました。急ぎではないとのことです」
受け取った。短い一文だった。
『別件で少し整えたいことがある。急ぎではないが、時期を見て改めて連絡する』
「返書は必要ですか」
「不要とのことです」と老執事が言い、出ていった。
書状を机の端に置いた。
時期を見て、という部分を一度読んだだけで、それ以上は考えなかった。
「やっぱり、また何か来るんですね」とルナが道具をまとめながら言った。
「急ぎでないなら、それでかまいません」
「でも今日はまだ静かですね」
「今はそれで十分です」
ルナが「ならよかったです」と言い、道具を手に出ていった。
窓の外で、フェルドが花壇の様子を最後にもう一度確かめてから離れていった。
日が傾いて、庭に長い影が伸び始めていた。
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