op34-2
灯葉の右眼に痛みが走った。否、恐らく走ったのだろう。今更、彼は最早何も感じることはできなかった。
目が裏返り、真っ黒になった。
両目共々変化してしまった。
彼は、色を見ることはできなくなってしまった。世界の形だけが、波線として映っている。
こめかみから有刺鉄線が這い出し、目隠しのように巻き付いた。灯葉の目は有刺鉄線によって強制的に閉じられた。
瞼が閉じても、瞼を透かして世界が見える。なので問題はなかった。
あの曲が聞こえる。今にも消え入りそうなワルツが聞こえる。耳にこびりついて離れず、頭に刻まれて治らない。
呪いの曲だ。最期のときも流れているのだろうか。
彼の背中から翼が生えた。やつれて、萎れて、とても飛べそうにない弱々しい翼だった。
兄は笑った。
「ようこそ、悪魔の世界へ」
灯葉の頭が破裂した。血も脳も飛び出ることはなかった。本物の風船のように、ただ膨らんで、破裂したのだ。それが兄の能力だった。
「…」
気味が悪いゾンビのように、灯葉は手を前に突き出した。頭は既に再生しつつあった。首が異常に長くなっていった。
放たれた有刺鉄線は、兄に届きそうになった。しかし、届くことはなかった。
灯葉の右足が膨らんで、破裂した。義足であるにも関わらず、破裂した。灯葉はバランスを失い、倒れた。
「義足であれば、再生はできないだろう」
灯葉の頭は再生した。物悲しげな口元を兄に向けていた。
「…」
有刺鉄線が飛んだ。また、届く直前にヘタリと地に落ちてしまった。兄は右腕を灯葉に向かって伸ばした。
しかし、兄は灯葉に対して何もできなかった。
兄にある程度の心が戻ってしまったのだ。弟に対しての情が宿ってしまったのだ。
「…灯葉、俺には野望があるんだ」
「…なんだそれ」
「新たな世界を創るんだ」
灯葉は苦々しい顔をした。
「宗教か」
「そうだ」
「…なぜ、何故そんな野望を…」
「簡単だ」
兄はもどかしく笑った。
「この考えが、間違っているはずがないんだから」
「…そんなの誰にもわからないだろう」
それがわかるんだよ、と兄は言った。夕日はもう地平線に消えていた。
「だって…神様だからな…」
弟は下を向いた。
長い沈黙が流れた。が、軈て灯葉が口を開いた。
「……あの地球の話、できないかな」
「…駄目だ」
「こんなの、奇跡だろ。稔、あの世界の話をしたいよ、聞きたいこと沢山あるんだよ」
「黙れよ」
兄、稔は灯葉を睨んでいた。
「俺は人を殺したんだ。この世界でもだ。お前は俺を殺すべきだ」
「なんでだよ」
「そういう考えがあるんだよ」
「…なんなんだよそれ?そんなのもういいから…」
「お前とはもう昔のようにはいられない。俺はもうお前を攻撃しているんだ」
「何でこんなことをするんだよ」
「知らねえよ、とにかくやってるんだよ」
「何がしたいんだよ稔!」
倒れた体を灯葉は起こした。
「さっきから変だよ」
「変じゃねえよ」
灯葉は理解していなかった。
兄は殺人を犯した時点で、自分を見失っているのだ。
自分が相手にしているのはただの殺人犯であると、気づいていないのだ。
兄を未だに善良な一般人だと思い込んで、あの輝かしい平和だったときのように接している。そのザマはまるで夢遊病者のようだった。
兄は力なく口を開いた。
「…俺が、選んだんだ…この道を…」
何を勘違いしているのか、兄はそう言った。そして脳内の留め金を外した。
「俺が、俺が!選んだんだ!」
兄は思いついた。自分を捨て、今まで演じていた老人として生きることにしたのだ。そうすれば躊躇なく灯葉を殺すことができる。
出来損ないにしては、よくやった。兄は灯葉を掴み、上空へ飛び立った。
二度目の空中飛行がよっぽど嫌なのか、灯葉は反撃した。
車?というものの形をしたエネルギーを、兄に目一杯の力でぶつけたのだ。
前々から使っていた力だった。『兄を轢いた車』の記憶を力に変えているのだ。
悲しいことじゃないか。向こうの世界でもこちらの世界でも、同じ体験をするなんて。
兄は潰れた。灯葉は下唇を噛み締めた。当たり前だ。自分のトラウマを自分で再現しているのだ。これ以上の精神的ダメージはないだろう。
結局、灯葉からそれ以上の攻撃はなかった。
彼等は飛翔した。ぐんぐん上空へ飛んでゆき、遂には雲を超えた。兄は泣きながら笑っていた。非常に滑稽だ。
停止し、灯葉を投げ捨てた。何故コアを破壊しないのか、理解しかねる。まだ情が残っているらしい。
灯葉はくたくたになった雑巾のように、地上へ落下していった。
数十秒間落ち続け、地上に到達した。
落ちた先は教会だった。要するに上がって下がったのだ。
灯葉は動くことができていなかった。兄は降りてきた。
兄は暫く灯葉を見つめていた。じーっと見つめて、全く動かなかった。
どうかしたのか。
兄は自分の胸に手を突っ込んだ。
「…やめろ…」
灯葉が呟いた。
「…」
「…いかないでくれ…頼むから…」
「…駄目だ」
「なら、ならせめて…」
灯葉は兄を見た。今にも泣きそうな目をしていた。
「別れの言葉を…」
兄は黙っていた。そして、口を開いた。
「どんな目にあっても許されないよな…」
光が指した。否、刺した。
私は兄を殺した。
「兄弟愛か。涙が出る」
リビアは真顔で呟いた。
ルビーの腹を、リビアの腕が貫いていた。




