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君は悪魔の成り損ない  作者: ヨダカ
君と世界の滅亡を
45/53

真実 

灯葉には兄が居た。

名前を稔といい、空想が好きな兄だった。

彼等兄弟は押入れに入って洞窟ごっこをしたり、倒れた大木を船に見立てて海賊ごっこなんかも楽しんだ。健康的な子供だった。

隣の家のおばちゃんと遊んだりもした。

おばちゃんはよくピアノを弾いていた。その音に合わせて、合唱なんかもしたものだ。

この辺りには猿がよく出るので、おばちゃんの家の塀には有刺鉄線がついていた。危ないから、近付かないでねとよく言われたものだ。

時折、ビヨンビヨンと飛び跳ねているものもあった。

親も沢山の愛情を注ぎ、彼等はすくすくと育っていった。

一つ変わっていたのは、彼らには妙なあざがあることだった。

小学生の頃、兄弟共々それを見つけられてしまった。

小学生というのは幼稚で、残酷なものだ。

彼等は虐められた。

しかしその中でも、いやその中だからこそ、兄弟愛を深めて行った。

硬い絆は誰にも壊せやしなかった。

軈て中学に入る。

中学校では、流石に人間性が固まっているのでいじめは起こらなかった。

洞窟ごっこや海賊ごっこは日常から消え、その代わりに兄には小説を書く癖が付き、弟には小説を読む癖がついた。

兄が書いた小説を、弟が読む。

彼等は自分達の成長を楽しんだ。

高校生になった。

兄は弟とは違う学校に入った。勉強ができたのだ。

弟もできることはできるが、兄ほどでは無かった。

そんな兄を、弟は慕った。兄が認められたことが、自分のことのように嬉しかった。彼等はまた成長した。

順風満帆な大学生活を送り、いよいよ社会人。

社会は、流石にきつかった。

彼等は荒波に揉まれ、船が軋みを上げ始めた。しかしへこたれなかった。親からの応援もあったし、何より兄弟が居た。

彼等は互いに繋がり合っている。

平均以上の兄弟愛は、社会の荒波をやわらげた。なんとかではあるが、彼等は荒波に乗っていた。

兄は趣味としてではあるが、小説を書いていた。そのペースは少し落ちていたが、それも心の拠り所になっていた。

一方灯葉からは、読書の趣味が薄くなっていた。時間は仕事に奪われていた。

これだけでも、まぁまぁな人生と言えるだろう。

実際灯葉は満足していた。彼等の人生はまだまだで、未来がたんと残っていた。

しかしある日、心にひびが入る事件が有った。

彼等は暫く実家に帰らず、仕事をこなしていた。

時間ができたため、実家に帰ろうか?という話になり、彼等は久方ぶりに実家に帰ることになった。

そこで事件が起こった。

ピアノを弾いていたおばちゃん…時が経ち、もうお婆さんになってしまったが…彼女が、認知症になってしまったのだ。

初めは難なく会話ができた。たまに名前を間違えるだけで。

しかしそれも徐々に難しくなっていった。

彼女はピアノで、同じ曲をずっと弾くようになった。

題名はわからなかった。

ただ、暗いワルツ調の曲だったことは記憶している。

それを朝から晩まで弾いていた。

悲しくなった。


ある日灯葉はマンションの壁によりかかりながら、自分もそろそろ一軒家を持つべきだろうかと考えていた。

実家が一軒家なのもあってか、マンション暮らしは妙に落ち着かなかった。

悩んでいると、スマホが鳴った。

指紋をスマホに当てて開くと、上部分に一件のメールが見えた。

それを開くと、兄からだった。

『実家に来い』

短い文章だった。

『いいよ。なんで?』

『来たら教える 暇だろ』

『うん、いまはひまだけど。』

『じゃあ来い』

短いやり取りをして、俺は疑問を浮かべながら立ち上がった。


「嘘だ」

「いいや」

灯葉は呆然と立っていた。室内は静謐を極めていた。しかし、殺気立ってもいた。

兄が借金をした。

…なぜ?

母は重い口を開いた。

「宗教だって」

宗教。

そんな馬鹿な。

両親は共々、その宗教を辞めるよう勧めた。借金をさせる宗教なんておかしいだろうというのが両親の言い分だった。そりゃそうだ。宗教とは幸せになるためのものなのだから…

兄は頷いた。何度も頷いた。

次の日、家に人が押しかけてきた。

母は、戸惑いながらも応対した。

「は、はい。何でしょう」

「少しお話があるのです」

その男は言った。人の良さそうな顔をしていた。


机の上に紙を広げ、男はにこやかに笑った。

「最近思うのですがね…」

それからは見事な話しぶりだった。

正直詳しいことは忘れてしまったが、どんどん惹き込まれるような話術で、つい彼の話に釘付けになってしまうのだ。

彼は言った。

神は人間である、と。そもそも、神なんてものは我々の想像上にしか存在しない。それを皆で信じるなんて馬鹿馬鹿しい。

一日中拝んだって何も起きない。

想像の中にしか居ない神なんか捨てて、現実に生きて、呼吸をする生物を神として崇めましょう。

とちんぷんかんぷんなことを男は言った。

一体どういうことです?と聞くと、要するに投資ですよ、と男は言った。

千円くらいで、全然問題ない。しかし奉納する額が高ければ高いほど見返りも大きくなると男は言った。

その神カッコ人間は、奉納された金を使って事業をしてくれるという。

その事業が成功すれば、見返りが貰えるというのだ。

…これが宗教なのか?と思った。宗教らしくない。本当にただの投資のようなものではないか。

何だ、兄は騙されたわけでは無いのか。自分で金を出し、自分で破滅してしまったのか?

しかし気になる点が有った。

何故、その事業を行う人間のことを神だと言うのだろう。

ただの言葉の綾だろうかと思った。


しかし真実は違った。

最初はあんな感じで普通のように投資をすることが出来るのだが、時間が経つと宗教方向へと途端にチェンジするのだそうだ。

兄はそれにハマってしまったらしい。

家族はそれに気がつくことができなかった。


それからは兄も、普通のように振る舞った。

灯葉に美味しい店の自慢もした。兄はよく手羽先を食べていた。それが好物だった。

どうやら、宗教は辞めたらしい。取り敢えず、再び入るなんてことをしなければ良いが、と灯葉は心配していた。


ある日の夜、取り敢えず兄は借金を返さなければ、と灯葉と親は話していた。

その時、キィー…と音がした。

嫌な音だった。長く、キィー…と鳴り続けている。耳障りだった。

灯葉は音の出処を確認しに外へ出た。 

自転車に乗った、兄がいた。

何だ、と安心しようとしたが、なにやら様子がおかしい。

自転車の前輪はひしゃげ、ふらふらと蛇行運転をしている。そしてよく見ると、兄は頭から血を流していた。

「!?何を…」

灯葉は急いで駆け寄った。否、駆け寄ろうとした。

兄は最後に血だらけの笑顔を見せた。

カッとあまりに眩しい光が夜の世界を覆った。

ぐじゃ、と音がした。

兄は宙をビニール袋の様に舞った。

何回転かしながら、あの有刺鉄線に近付いていった。

駄目だ。声が出かけた。結局出なかった。

有刺鉄線は肉塊となった兄の首に巻き付き、刺さり、締まった。

血が飛び散り、灯葉にかかっていた。

眼の前の状況を理解できなかった。

何が起きたか、理解できぬまま足を動かした。あのピアノがなっていた。ワルツのピアノがなっていた。

止まる気配も無い。

言葉が出なかった。思考すら停止していた。

震えすらしない体で、変わり果てた兄に近付いた。

真っ赤に染まったそれは…

兄は、もう兄では無かった。

思考はあの宗教に染められていたのだ。

それを我々は、良かれと思って取り上げたのだ。

でも、取り上げなかったら兄はあのまま破滅していたに違いない。

話し合いが足りなかったか。

もっと話し合えば、良い解決方法が見つかったのでは。

考えても考えても、眼の前の現実は動かなかった。

灯葉は兄の足に触れた。紫色に変色している。爪は深爪に切られていた。

駄目だ、こんな切り方では。いつか怪我をしてしまう。

そういえば、兄は不器用だったっけ。

「…?」

ふと、我に帰った。

救急車のサイレンが、真後ろに迫っていた。


兄は、殺人を犯していた。

事故の少し前、いつも通り奉納の金を預かりに兄の家に老人がやってきた。子供を連れて。

兄は断った。もう辞めてしまったんだ、と。

老人は激しく詰め寄った。老人は思考を宗教に染められており、この宗教を信じていれば必ず幸せになれると思っていた。

何故ここで辞めるのか。もったいない。

老人にとって、兄は被害者だった。

部外者に、悪心を吹き込まれたのだ。俺が話をつけてやる。

老人は声を荒げた。次の瞬間、刃物が深々と胸に突き刺さった。


気がつくと、兄は殺していた。

二人。

老人と、子供を。


兄は、老人が部外者を巻き込もうとしたことが許せず、心が不安定だったこともあり、何かが切れてしまった。

部外者を巻き込もうとしたことが許せなかった。

しかし結果はどうだ。

兄は部外者を殺した。子供を殺したのだ。

最早理性も心も残っていなかった。余裕もなかった。

社会に疲れたときに愛用する睡眠薬と、溺れるための、アルコールが強い酒を取り出した。


終えると、自転車に乗った。

居場所を求めて。



「…」

教会は沈みゆく夕日に照らされ、神々と光り輝いていた。

鐘が鳴った。

兄は翼を照らす日光にシニカルな笑みを浮かべ、口を開いた。

「…仮の悪魔は完全に目覚めたとき、一番記憶に焼き付いているものを現実に起こす」

老人、否、兄は自分の服を脱ぎ捨てた。胸に、幼い子供の頭が出っ張っていた。

兄は少し俯き、歯を食いしばったように見えた。

「…お前もそうだ。これから、本当の目覚めが訪れる」


…確かに、何かが聞こえる。

これは、そうだ。

お婆さんがピアノでずっと弾いていた…

op34-2。その一音だ。

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