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君は悪魔の成り損ない  作者: ヨダカ
悪魔の目覚め
30/53

首に纏わる鉄いばら

管理人とやらは、一つ一つの絵を歩いて説明してくれた。

「この絵は少女を歪めて創られたものです。周りに人形だとかが散らばっているでしょう。乳歯も転がっています」

俺は寒気を抑えられなかった。

「ま、待ってくれ。俺達は絵を見に来たんじゃ無いんです」

管理人は不思議そうな顔をした。

「では何故」

「自分自身の記憶を、思い出しに来たんです」

管理人はふむ、と唸り、胸ポケットに手を忍ばせた。

「少し、観ましょうか」

取り出されたものは、黄金色の縁が周りに飾られた虫眼鏡だった。それを俺の胸に当てた。

「ほう、んー…」

徐々に、管理人の顔が赤くなっていった。

「す、凄い。何という凄惨な」

管理人は虫眼鏡を元の位置にしまった。

「案内しましょう。ついてきてください。但し、自己責任でね」

何やら不穏な事を言って、管理人は向こうの方へ歩いていった。ドロイトは不安気にこちらを見た。

俺は頷いた。

「もう腹はくくっている」

俺は管理人についていった。


「この絵をご覧下さい」

薄暗い密室が描かれた絵だった。窓ガラスからささやかな日光が注がれ、一点を染めていた。

「なんです、これは」

「…そちらの女性の方は、少し待っていてください。何もせずに」

管理人はこちらを見た。 

「それでは、私に捕まってください」

俺は管理人の肩を掴んだ。管理人は手を伸ばし、この絵に触れた。


「…ここは」

薄暗い室内に窓ガラス。この光景はまさか。

「先程見た絵画の中です」

管理人は部屋の中央に立った。

「これから貴方は酷い目にあいます」

「ど、どういうことだ」

管理人は再び虫眼鏡を取り出した。

「この空間は何もかもが滅茶苦茶になっていて、時間も外の世界とは違うし、何より想像と現実の境目が曖昧なのです。ここでの一時間が、外の世界での一瞬です」

管理人は万年筆をポケットから取り出した。

「ここで貴方は、記憶を再現することになる」

俺は何がなんだかわからなかった。

「絵の中って…どういうことです」

管理人は目を瞑った。

「…昔、この美術館は一人の魔術師が創りました」

知っている。ドロイトから聞いた話だ。

「魔術師は人々を殺し、絵にしました」

酷い話だ。

「…天罰が下ったのでしょう。ある日魔術師は誤って自分ごと空間を歪めてしまいました」

「何」

「彼はその後、死ねない体となり、また美術館から出ることも出来ませんでした」

「…」

「そう。私です。私が、この美術館の創造者。この部屋は私がまだ未熟だった頃に誤って創ってしまった『禅の部屋』です」

お前が、と俺は呟いた。

「…さあ、思い出すのです。記憶を」

何処からともなく、ピアノが現れた。視界を外した隙に、そこにあった。

「手伝ってあげましょう」

管理人はピアノに手を伸ばした。

指をそっと鍵盤に当て、一音を弾いた。

暗い、重い一音だった。これは…

雷が落ちたような気がした。そうだこれは。思い出した、今思い出した。一瞬だけ、思い出せた。なんてことだ、何だこれは。余りにも酷すぎる。俺はこんなものを思い出そうとしていたのか。駄目だ抵抗するな受け入れろ、記憶を受け入れなければならない。これを忘れることは許されない。俺の目から止めどなく涙が溢れ出してきた。あまりの衝撃に崩れ落ちた。日光は冷ややかに俺を照らし、管理人はゆっくりと歩き去って行った。

俺は無我夢中で手を伸ばした。なにかに手を伸ばした。掌は空を切った。

どん、と重い衝撃が身体中を貫いた。吹っ飛んだ。

吹っ飛んだ先に、何かがある。あれだ。

有刺鉄線だ。

空中で少しだけもがいた。

止まらず、俺の首にそれは纏わりついた。

刺さる。

切れた。

少しずつ入ってくる。

血を吹き出す。絡まった。

くるりと回った。

そして、締まった。


管理人が絵から出てきた。

「あれ、行って戻って来ただけ?…灯葉君は…?」

管理人は絵の方を振り向いた。

「そうですね、後三秒程でしょうか」

私は絵からちょっと離れた。何か、嫌な雰囲気があった。

「三秒…まあいいや、直ぐに帰ってきてくれるなら」

管理人は首を振った。

「いいえ、百年程です。こちらの三秒は、あちらの百年です」


どうすれば良い。早くここから出なければ。

首を絞める有刺鉄線は、俺には全く操作が出来なかった。

暴れれば暴れるほどゆっくり刺さっていき、息ができなくなっていった。

死ぬ。死んでしまう。

俺は狂ったように足をばたつかせた。

とれない。

逃げ出せない。

そうわかると、俺は動くことを辞めた。

暴れることよりも、あの記憶をゆっくり整理することのほうが大事なのではないか。そう思ったのだ。

実際三十年経った頃、俺は最早痛みを感じなくなっていた。


それの胸は、紅色に光っていた。

禍々しい光を放ちながら、優雅に回っているのだ。

それは、ゆっくりと地面に落ちた。

まるで再び産まれたかのような、そんな神秘的な光景だった。

それは暫く、ゆっくり這いずった。余りの苦しさにとっくに自我を失い、彼はこうして這いずり回っているのだ。

軈てピタリと止まった。

しかし直ぐに、這いずりを始めた。

それから十年経った。

やっと、それは起き上がった。思い出したのだ。全ての記憶を。

ここから出なければ…


絵が、破れた。中から男が出てきた。

「うわっ!」

ドロイトは腰を抜かしてしまった。

「だ、誰…?何?」

その男は首を傾げた。

「ドロイト、俺は変わったか」

首元にはポツポツと穴が空いていた。

目は完全に光を失い、表情はなくなってしまった。

髭や髪はみだらに伸び、胸あたりが紅色に光っていた。禍々しい光。嫌な光だ。だけど、妙に惹きつけられる。

「彼は、完全な悪魔となったのです

管理人が口を開いた。

管理人は笑っていた。興奮している。

「右手の、あの傷。呪晶だ。何故あの傷が呪晶と呼ばれているか、わかりますか」

私は管理人を見つめていた。彼は震えていた。

「あの傷を持ってこの世界に来た人間は、皆例外なく、悪魔へと変貌したからですよ!」

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