少し戻った日常
今日は宿に泊まることにした。
「…しかし、俺が悪魔か…」
まさかこんなことになっているとは。
俺は部屋に入り、目深に被った帽子を取った。レベオさんがくれたのだ。変装用にとのことだが、申し訳程度のものだ。
あの後、レベオさんは少しのお金をくれた。ドロイトもお金を持っていたので、取り敢えず暫くは大丈夫そうだった。
クルル、と音がなった。ドロイトからだ。
「お腹すいたか」
ドロイトは起き上がった。サラサラとした長髪が揺れた。何だかドロイトじゃないみたいだ。臆病にもなってしまったし。
「…ちょっと空いた」
またクルクルとなった。
「…本当にちょっとなのか」
ドロイトは俯いた。
「とても空いた」
俺は再び帽子を被った。
「ちゃんと言うんだぞ、そういうことは」
銀貨を握りしめた。金属の感触は冷たく肌に染みた。
「そういえば、食事には詳しかったよな」
街をコソコソ歩きながら俺は言った。
「ちょっとだけ…ねぇ」
何だ、と俺は振り向いた。ドロイトは不安そうに辺りを見回していた。
「手、繋いで」
俺は不安になったが、手を繋いだ。
「怖いのか」
「だって、…暗殺の人、どこに居るのかもわからないし」
言われてハッとした。確かにそうだ。俺は辺りを見回した。人、人、人。
この中に、死神は紛れているかもしれない。
俺も怖くなってしまった。
「だ、大丈夫だ。多分」
道行く人びとが全員、俺達を見ているような気がした。
「この店」
ドロイトは止まった。
「いい店なのか」
ドロイトは思い出、と頷いた。
買ったパンを、帰って机の上に置いた。
「食べようか」
いただきます、と呟き、一口食べた。
…硬。
ギチギチとなんとかパンの皮を歯で突破すると、柔らかい繊維の部分に突入した。外側の部分とは打って変わって、綿菓子のような、それでいてある程度の弾力があるものだった。
「…おいしい」
ドロイトは呟いた。
「良かった」
そのまま無言で食べ進めた。食べ終えた時点で、気がついた。
「そういえば、ドロイトのリュックの中に食料あるんだったな」
ドロイトはまだ食べていた。口いっぱいにパンを頬張り、コクコクと頷いた。
それを飲み込むと、ケホケホと咳き込みだした。
「ああ、ゆっくり食べれば良いものを」
俺は急いでリュックから水筒を取り出しドロイトに渡した。
ドロイトは二口程飲むと、フーっと息をついた。
「危なかった」
「馬鹿か」
ドロイトはくすっと久しぶりに笑った。
思う程久しぶりでもないのだろうが、何だかとても嬉しかった。
「ドロイト」
「何」
「…邪魔だ」
夜、二段ベッドの一段目にドロイトと俺が居た。
「一段目が良いのか」
ドロイトが首を振った。
「怖い」
「怖い…どういう感じなんだ」
ドロイトは俺の胸元あたりを見つめた。
「たまにあるでしょう?シミが人の顔に見えたり、風の音が人の声に聞こえたり」
俺はあるな、と言って頷いた。
「それがずっと聞こえるの」
ずっと。
「子供の泣き声とか、女性の叫び声とかに聞こえて…」
ドロイトは手を握る力を強めた。
「それで、あの光景がふとした瞬間に浮かんできて」
「…わかった、恐怖だとか不信感だとかが倍増して出てくるんだな」
ドロイトは頷いた。
「…そりゃきついな」
どうにかならないものか、と考えた。
「灯葉君、何か話ない?」
え、とちょっと戸惑った後、ケデロさんのことを思いついた。
「…ケデロさんに、会っても大丈夫かな。一応ケデロさんって国の人だろ。…あの人が俺を殺そうとするかな」
ドロイトは俺の胸に額をくっつけた。
「ん…何があるか分かんないからね」
「そうだな。…なあ、いくらなんでも近いぞ。性別が無いとはいえ」
それにドロイトは、どちらかというと女性に近いじゃないか。
「…離れたくない」
俺は妙な気持ちを抑えながら、まあいいや、と思った。
妙な気持ち、というのは性欲だろうか。いや、なにか違うような気がする。
もしくは、もっとこう…なんだ。これは…
…もしや、母性か?




