もはや崩壊寸前
「嫌だ」
「…何?」
「離れないで」
体に縋り付くドロイトを見下ろしながら、俺は困惑した。
「どうしたんだよ、一体」
積まれた藁に腰を下ろし、俺達は休んでいた。古びた小屋は吹雪に晒され、ギシギシと音を立てた。
雪の中で起きた俺はドロイトを背負って歩き、休めそうな建物を見つけたのだ。
そしてそこでドロイトを寝かせていた。
で、起きた瞬間にこの調子だ。
「…怖い」
「こ、怖い?」
ドロイトは頷いた。
「死ぬのが怖い」
「…死なないよ。少なくとも今日はな」
元気づける為に、取り敢えず言った。確証は何処にも無かった。
「取り敢えず、暖まるか」
俺は炎の縄を作れることを思い出し、暖炉がないか探した。
「あった、けど」
なんと、暖炉には雪が積もっていた。普通煙突には屋根がついていて、雪は入らないはずなんだが。
「先ずは雪掻きだな。ドロイト、手伝えるか」
ドロイトは小さく頷いた。
ガサガサと音がした。何だ、虫か?
薪を焚べ、火をつけた。暖かい色だ。こんな状況でなければ癒やされた。
「一先ず休んだら、此処を出ようか」
ドロイトはバッと此方を見た。
「…死なない?」
「死なない。大丈夫だ」
ドロイトの顔は酷くやつれていた。目は常に臆病に震え、声はか細かった。不安だ。大丈夫だろうか。
「まぁ、何時までも此処にいるわけにはいかないからな」
俺は藁の上に横たわった。そういう俺も、実は怯えていた。
どうしよう。心を読まれたら、さらに怖がらせてしまうかも知れない。
「ドロイト。俺の心は今どうなってる」
ドロイトは首を振った。
「見えない」
「…え?」
俺は耳を疑った。心が見えない?そんなまさか。
ドロイトは震えていた。
悪魔に何をされたのだろうか。もしや拷問か?俺はわからなかったが、とりあえず今は聞かないほうが良さそうだとなんとなく思った。
「…夜になる前に行きたいんだが、大丈夫か?もしあれなら、おぶっていこうか」
ドロイトは俺を暫く見つめ、「自分で歩く」と呟いた。
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ちょっとだけ、立ちくらみが起こった。ドロイトも同時にくらっと来たらしく、壁に手をついた。
俺は頷き、扉を開けた。
豪雪だ。全く酷い。
吹雪は俺らの体を、容赦なく削りに襲ってきた。俺とドロイトはあまりの寒さに抱き合いながら歩いていった。
「…」
ドロイトは下唇を噛んでいた。
余りに可愛そうだ。早く安全な場所へ行かなければ。
もう少し小屋に居たほうが良かったか。
しかし、あそこには食料も水も何もなかった。ならば早く出ていったほうが良かったのだろう、と自分に必死に言い聞かせた。
風を切る音が聞こえた。
ヒュン、という音だ。
音の方を見たが、何もなかった。幻聴だ、まずい。
この調子で幻覚まで見え始めたら、いよいよおしまいだぞ、と自分を激励した。
畜生、寒い。
あまりにも寒い。
既にドロイトは震えが止まっていなかった。
俺はドロイトを懸命に抱きしめた。
ここで二人、共に亡くなるというのは最悪だ。
しかし、片方だけ亡くなって片方だけ生き残るというのはもっと最悪だ。心が壊れてしまう。
「…あれ」
途端に、雪が消えた。一瞬にして、振らなくなった。
勿論積もってはいるが。
やっと止んだのか。これで少しは暖まると良いのだが。
ヒュン、と音がした。
まただ。
幻聴がこんなに聞こえるとは。
「…灯葉君」
俺はドロイトを見た。真っ青な顔で俺を見つめていた。
「限界か…?」
俺は歯を食い縛った。
ここで終わりなのか。
「違う、足」
足?何を言っているのだ。
俺は自分の足を見た。そして俺も青ざめた。
矢が突き刺さっている。それも義足じゃない方だ。
この矢は幻覚か、いや違う。俺はそれを視認した瞬間、立てなくなってしまった。
激痛によるものだった。
「ああ…?」
「灯葉」
ドロイトは俺に抱きついた。
「待って、逝かないでお願いだから」
ドロイトは涙に頬を濡らしながら、切実に訴えた。
「だ…大丈夫だ、多分。な、安心…」
そこから先は言えなかった。
涙がこみ上げてきたのだ。
その瞬間に理解した。
体は生を諦めたのだ。
「…」
プツンと何かが切れた。
嘘だ。
灯葉君、死んで…?
嫌だ
「命中だなあ」
誰かが走ってきた。
昼の、あのときの山賊だ。半袖で雪の上を歩いている。靴も無い。
なんでここまで…?
「だお前ら…まあどうでもいいか」
山賊が握る段平は、明りで艶めいた。
死ぬ。殺される。
震える手で、杖を取り出した。
山賊は笑った。
何やってんだやって何やってだにゃっ何だてやってだ何やにって
…?
『何か』がいた。
階段だ。階段がくるくると回っていた。
幻覚?きっとそうだ。きっとそうだ。
そうに違いない。階段はゆっくりと近づいてきた。
ゆっくり、こちらの方に傾いていく…
…潰される…?
「い、いや」
次の瞬間、階段は消えた。
その代わり、辺り一面に茨のようなものが張り巡らされていた。
「…え」
また雪が振り始めた。
灯葉が、立っていた。
全身の力が抜けているような、抜け殻のような姿だった。
「…灯葉…!」
少し、眠っていた。
俺は足を確認した。
矢はやはり刺さったままだ。痛い。痛すぎる。
だというのに、魔波の歪みが見られない。どういうことだ。
「げ、幻覚なのか?これが」
あまりにも鮮明すぎる。俺は左目で辺りを見回した。
「な、何かいる…人だ、人がいるよ灯葉君」
俺はドロイトが指差す方を見た。
確かに人が居た。
しかし、魔波は歪んでいない。幻覚だ。
二人同時に同じ幻覚を見るなんてあり得るのか?
「何かがいるのか」
俺は左目で視線を動かした。そして、やっと捉えた。
「居た…」
俺は右手を天へ突き上げた。魔波ではない何かが迸った。
途端に、ぐらうと世界が歪んだ。
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「嘘」
ドロイトは目を擦った。
しかし、いくら目を閉じて、開けても、頬をつねっても、視界は変わらなかった。
「なんで」
俺達はあの小屋から一歩も出ていなかった。扉の前で俺は右手を天に掲げ、立ち尽くしていた。
上空で、何かが俺の繰り出した有刺鉄線により貫かれていた。
「魔物だ」
「私達は外にいたはずじゃ」
そんな馬鹿な。
「こいつの見せた幻覚…なのか?」
一つ目の、カラフルな羽を纏った鳥だった。大きさは人の前腕ほどで、喉に大きな袋が付いていた。
「灯葉君…この鉄の茨はどうなってるの」
ドロイトは有刺鉄線を指差した。
「…気絶しているときに、夢を見たんだ」
一瞬だけ、本当に一瞬だけ思い出した。夢として出てきた。その一瞬は、俺に重大な変化をもたらした。
「それで…ちょっと思い出した」
ドロイトは眉をひそめた。
「何を」
…。
「ちょっとした、トラウマをな」
「良かった、雪は少し止んでいるみたいだ」
少し、だけど。
しかし、さっきの幻覚とは違うことが一つあった。
「あ、明かりだ。灯葉君明かりがあるよ」
ドロイトは必死に指をさした。
左目で見てみても、しっかり魔波は歪んでいる。本物の建物に違いない。
しかし、誰が住んでいるのだろうか。
もし族の住処だったらどうしよう。
「…まあ、そんなことも言ってられないな」
ふとドロイトを見ると、ドロイトは先程に有刺鉄線で貫いた魔物を大事そうに抱いていた。
「そ、それは何を?」
ドロイトはこちらを向いた。
「抱きしめてると、落ち着くから。ちょっと可愛いでしょ」
そう言いながら、ドロイトは抱きしめた。死体を。
体に穴が空いている死体を。
「そ、そうか。わかった。取り敢えず早く休んだほうが良さそうだな、急ごう!」
ドロイトの精神は、もはや崩壊寸前だった。




