ドロイトの本性と転換点
「ようこそ『ウルの皿』へ」
誰だ。
誰が言った?
ドロイトは振り返った。後ろには誰も居ない。
俺は辺りを見回した。これまた何処にも居ない。
誰も居ない?そんなこと有るはずが
「何処を見ている」
ハッと気づくと、目の前に人間が立っていた。
「おおっ」
俺は驚いて後ろに尻もちをついてしまった。
ドロイトは油断無く杖を構えた。
「誰?」
その人物は軽い防具を身に纏い、長く艷やかな銀髪を腰辺りまで伸ばしており、長い長剣を腰に携えていた。女性だ。
「私は第一番暗殺部隊所属のムージュ」
「暗殺?」
ムージュは頷いた。
「いかにも。暗殺と言っても、対象は革命家等の危険組織のみ。一般人は相手にしていない」
俺は立ち上がった。
「しかし、俺は一般人だぞ」
ムージュは首を振った。
「そうだ。しかしだからこそ、だ」
全く理解できなかった。
「ドロイト、どういうことだ?」
ドロイトは首を傾げた。
「さぁ」
「…とにかく、君達には帰ってもらわなければ困る。これは個人的な物ではない。国にとっての問題なのだ」
ドロイトはわざとらしく困惑の表情を浮べた。
「なにか理由があるの?」
ムージュは目を鋭くした。
「深い詮索はよしていただきたいな」
ゆっくりと、魔波が歪み始めた。こいつは間違いなくやばい奴だ。五感がそう言っている。そもそも暗殺をしている時点でやばい。
「なあドロイト、辞めたほうが良いって。殺されたくないぞ俺」
ムージュは冷笑を浮べた。
「情けない…」
…お前は帰ってほしいのか帰ってほしくないのかどっちなんだ?
ドロイトは無表情で俺の方を見た。
「灯葉君…失望したよ」
「ま、待てって。一旦冷静になれよ。こいつは要するにこれ以上進んだら俺達を殺すって言ってるんだぞ?」
「でも…」
ムージュはぼーっと空を見つめていたが、軈てこちらに視線を戻した。
「で、どうするんだ」
ドロイトはムージュを睨んだ。
「…しょうがない。じゃあ僕もう帰るよ」
ムージュはニヤついた。
「初めからそう言っていれば良いものを」
高圧的な野郎だ。
「兎に角、帰りの馬車は用意してあるから安心してくれ」
そう言ってムージュは指を指した。その先を見ると、なんとも上等な馬車がそこにあった。
「…国の馬車だって隠す気はゼロみたいだね」
「ん、確かにそうかもしれないが…まぁ、贅沢が出来ると思えば良い」
そうして最後に、ムージュは静かに人差し指を唇に当てた。
「今日有ったことは誰にも話すな。さもなくば」
そして、満面の笑みを浮べた。
「では帰ってよろしい」
俺は走って逃げた。
「あー、怖い。ありゃ完全にやばいやつだ。異常な人間だ」
馬車に揺られながら俺はぼやいた。
「当たり前でしょ、人殺しなんだよ」
ぼーっと馬車の天井を見ながら、ドロイトが呟くように言った。
「しかし、勿体ないな。わざわざボロボロになりながら『ウルの皿』に辿り着いたのに。ついた瞬間に帰されるとは」
ドロイトは考えるように額を押さえた。
「これでもう、私の役目も終わりかな」
「…え?」
ドロイトはじっと天井を見つめていた。
「ドロイト」
心が読める若人は、俺に視線を移した。
「この世界で何が起こっているのか、どれくらい知っているんだ」
ドロイトは窓から見える外に視線を移した。
異界の側は天候が滅茶苦茶になっているらしく、今は雪が降っていた。
「全部」
「…何?」
「全部知ってるよ」
ドロイトはゆっくり立ち上がった。
「イミカとリビアの本当の関係も、君が何故この世界に来たのかも、ケデロさんの家族のことも、雷龍が何故フルセルに引き寄せられてきたのかも、あの騎士が嘘をついていることも」
ドロイトは熱に浮かされているように、夢に操られているように、ぼーっと空中の一点のみを見つめていた。
「…推理小説って、あるでしょう」
俺は頷いた。
「複雑なトリック、奮い立つようなぐちゃぐちゃの人間関係、意外な真犯人に、ミステリアスな探偵が次々に放つ含みのある言葉」
ドロイトは不意に俺に視線を移した。
「でもね、心が読めちゃったら全部台無しになるんだ」
何かが起こる。俺の直感がそう言っていた。
「私は人生を楽しめなかった…お父さんもそうだった。お父さんはきっと、私に心を見てほしくなかったんだ…」
「でも、人間の心ほど面白いものは無い」
「特に、君」
ドロイトは笑みを帯びた。
「君はなにかを隠している。忘れちゃったのかな?とても嫌なもの。それから逃げている。隠れている」
「何が言いたい」
ドロイトはその場にしゃがみ込み、俺に顔を近づけた。今まで見たこともないほど、妖艶な表情だった。目は妖しくギラつき、顔には密のような甘い表情が溶け込んでいる。
「思い出させてあげたい」
「思い出したとき、思い出せたとき」
ドロイトは打ち震えた。
「どれだけ絶望してくれるのかなあって…!」
俺は心の底から怯えた。怖い。こいつが怖い。恐ろしい。
「何なんだお前は、急にどうした!」
ドロイトは悲しそうな顔をした。
「残念、コンビ解消?」
俺は動けなかった。蛇に睨まれた蛙のようだ。
「私ねえ…何故か人を騙すのは本当に苦手なんだ」
「…まあ、そもそも俺はお前に無理矢理連れてこられただけだからな。騙すも何も無い」
「そう。だからね、本心を隠すのはもう辞めることにしたんだ」
「何?」
「私、もう死ぬよ」
雷のような衝撃が、俺の心を打った。何?どういうことだ?展開が速すぎてついていけん。
「な、なんで」
「私、自分がこれ以上居ても無駄だと思うんだ」
「はあ?」
「心のやり取りに、進む物語に私が居ても意味がない…もはや私は必要がない」
俺は揺れる馬車の中なんとか立ち上がった。
「何なんだ。何だって突然妙なことを言うんだ」
ドロイトは窓を見つめた。
「あの騎士…暗殺部隊の。ムージュさんだっけ?」
俺は頷いた。
「あの人が、私達をわざわざ帰してくれると思う?」
「何」
手が冷えた。指先、足先の神経から感覚が無くなっていく。
「あの人、私達を殺す気なんだよ」
「馬鹿な」
「普通、暗殺部隊というのは存在ごと隠されるべきもの。それをわざわざ私達に伝えて、国に帰らせてくれるなんておかしいよ」
心臓が高鳴っているのを感じる。何が始まる。何かが始まる。
「外を見てご覧。どんどん雪が多くなってきてる」
降り頻る雪はカーテンのように外を覆い、スノードームの世界にいるかのような錯覚を引き起こした。
次の瞬間、視界が弾け飛んだ。
体が転がり、止まった。
「…え」
なんだ。何が起こった。
馬車は積み重なったただの木材へと変わり果て、緑色の炎に巣食われていた。この炎は…
馬なんて見る影もない。というか居ない。最初から馬なんて居なかったのだろうか。
俺は夢のような銀世界に放り出されていた。何処までも美しく広がっている。
しかし痛みだけは鋭く尖り、今起こっていることの悲惨さをひしひしと伝えていた。
俺は顔を上げた。
「ドロイト」
ドロイトは、歩き続けていた。蜃気楼か、幻覚に魅せられたか。
俺が見ていると、ドロイトはこちらを振り向いた。
「あのさ、来ないで」
…何故?何故こんなことを?
「これが私の目的だよ。もうやるべきことはやった。確かに私は真実を知っている。でも、もうヒントは与えたよ。これからは自分だけで頑張ってね」
違う。そんなことではない。俺が言いたいのは
「…違うなドロイト」
俺は純白の雪に手をつき、地面を紅白色に染めながら立ち上がった。
「君は本当に俺を絶望させたいのか」
ドロイトは困惑の表情を浮べた。
「そう言ったでしょう。何が言いたいの」
降る雪は背中に積もった。余りにも冷たく、俺を刺した。
「ケデロさんと話していたとき…シェブナ街の話が出てきたな」
ドロイトは目を見開き、踵を返した。こちらに向かって歩いてきたのだ。
俺は眼をじっと見つめたまま口を開いた。
「君はシェブナ街で虐殺が起こったと聞いて、吐いていたな。馬車酔いなどと言っていたが、そうであれば吐く前から気持ち悪そうにしてるものだ」
ドロイトは近づいてきた。雪を踏み締め、足跡を残しながら。
「やめろ」
「お前は衝撃を受けたんだ。シェブナ街のことはお前も知っていたのかな。あぁそうだ。心を当てる芸をしていたんだったな?シェブナ街でもその芸はしていたのか」
ドロイトは杖を取り出した。
「何が言いたい!」
「まだ引き返せる」
ドロイトは歩みを止めた。
「…お前は絶望なんて、好きじゃないんだ」
ドロイトは肩に乗る雪を払わず、ただ突っ立っていた。
「俺にとっては、お前もまた物語の主人公なんだ」
俺は力尽き、膝をついてしまった。
「もう…」
頭を支えられず、俺は項垂れた。
「だから…」
「頼むからもう辞めてくれよ…」
結局、それが本音だった。
もう死んでほしくなかった。
俺は何も救えていない。シェブナ街の住人も…そして…後は誰だっけ。そうだ、そういえば。
元の世界でも、地球でも救えなかった人が居たような…
…。
灯葉君は倒れた。
私はまだ決断を下せずにいた。
灯葉君の言葉のせいだ。揺るぎない決意が、音を立てて崩れていく。
…でも、もう。
雪にまみれた私の体は、疲れ切っていた。
空から真っ黒な風船が、降りてきた。
一面の銀世界で、それは正しく異端だった。
「遅いよ」
パンと割れると、紙吹雪がパラパラと雪に混じって、散った。赤、青、黄色…
大量の紙吹雪は人の姿を形成し、軈て目、鼻、口が出来た。
そこに居たのは、一人の老人だった。
「悪いな。命令なもんで」
老人はゆっくり歩み寄ってきた。
「命令じゃなくてもやっていたでしょう」
震える声と体をなんとか抑えながら、私は言った。
「さあな」
私は両手を広げた。
「さあ、お願い」
「殺して」
老人は目を細めた。
「嬢ちゃん。馬車の中での会話でなあ…どれだけ絶望してくれるとかなんとか言っていたろう」
私は眉をひそめた。
「それがどうかしたの」
「駄目だな。冗談でそんなこと言っちゃあ」
老人は歩みを早めた。
「本当の絶望ってな、もう見たくも聞きたくもないって思えるようなものなんだなあ」
「はあ…?」
「で、それが気に食わないんでな」
老人の掌に緑色の炎が宿った。
「教えてやるよ」
「何を…」
次の瞬間、老人は私の胸を殴った。
それと同時に、凄まじい熱さが体内から湧き上がってくる。
「ああ…!」
立っていられず、崩れ落ちた。
痛い。
熱い。槍で刺されたような痛みが胸を襲った。
雪は無情に身体に降り積もった。
「………!」
「熱いか」
「…」
「シェブナ街の奴らも、そうやって死んでいった」
「………!!!」
まさか。
こいつが?
この炎で?
「だがな、安心しろよ」
「お前は死なない」
「…」
「その代わり」
「お前の魂を半分焼き尽くす」
老人は快活に笑った。
「どうなると思う?」
怯え続けるようになるんだよ。
全てにな。
言い終えると老人はみるみる膨れ上がり、笑いながら破裂した。
垂れ幕が下がっていった。
それは瞼だった。
異世界に無理矢理送られ。
炎の魔女に見放され。
悪魔に虐殺を起こされ。
二人揃って殺されかけて…
しかしそれでも尚、雪は陽の光を浴び、光っていた。
不屈の男、灯葉が。
一人の悪魔の成り損ないが、今目を覚ましたのだから。




