06
「そこの、少しいいか?」
「え、私?」
やたらと髪が長い女の子に呼び止められて足を止める。
リボンの色から1年生だということがわかったが、こちらを呼び止めた理由はわからなかった。
ま、焦らなくても本人が説明してくれるだろうと考えて待っておく。
「牛若サヤカだろう?」
「ええ」
「少し付いてきてくれ、お前に合わせたい人間がいる」
あの宮本さんでも敬語を使っていたというのに、大胆な子のようだ。
拒む必要もないから付いて行ったら、その宮本さんがそこにいた。
あれから時間が経っても来ていなかったから終わったものだと考えていたが。
この子が無理やり引き合わせただけだろうか、その可能性は限りなく高そうだった。
「キキ、連れてきたからな、後は自分でやってくれ」
そう残し髪の長い女の子は向こうの方へと歩いていく。
ちなみにここは既に学校ではないため、どうしてあの子が私を知っていたのかはわからないまま。
こちらだって制服は着ていないというのにどうして……。
「なにもないならスーパーに行きたいのだけれど」
この前のプリンは安物の物だが、唐突に食べたくなって外に出てきていた結果がこれだ。
しかもスーパーまで後100メートルもなかったのに、そのせいで食べたい欲が有りえないほどのものになっている。どうせここで話したところで戻ったりはしないのだから無視してもいいのだが……。
「あの……どうしてスーパーに?」
「え? ああ、プリンが食べたくなったのよ」
久しぶりに聞いた声音は少しだけ低いように感じた。
いきなり無理やり興味もない人間を連れてこられたらそれは気になるだろう。
だからそんなのどうでもいい、私の評価なんかいまは重要じゃない。
早くあの甘さでこの口内や脳を癒やすことだ、気にせずに歩きだす。
恐らくあの子は妹なのだろう、思い出してみたらよく顔つきが似ていた。
「私も行きたいです」
「行けばいいじゃない」
今度は誰にも邪魔されることなくスーパにたどり着く。
余計な物はいらないからプリンだけ買って外に出る。
手に入れたら入れたで余計にもどかしさが増したが、帰れば食べられるのだから気にするな。
「あの!」
「あなたまだいたのね。いまの私はこれを食べるために急いでいるの、邪魔しないでくれるかしら」
絶対にあなたの側にいる、なんて嘘だ。
そんなことは不可能だ、心からあるから絶対に無理。
たくさんすてきな人がいるのも影響している、どこに自分と合う人がいるかなんてわからないから。
「絶対に側にいるなんてこれからは気軽に言わないことね、さようなら」
これぐらいは言う権利があるだろう私にも。
振り回される側の気持ちも考えた方がいい。
見た目が優れていたり、優秀だったりしたらなおさらそうだ。
「はぁ……」
プリンを食べたい欲も消えて急いで帰る必要もなくなったからゆっくり帰った。
「クウちゃん、これあげるよ」
「ありがと」
クウナとフウナさんを見ていると凄く落ち着くようになった。
彼女たちのおかげでこの教室でご飯を食べられているのだと言っても過言ではない。
なぜなら誘ってくれていて、こんなのでも一緒に食べているからだ。
「あ、サヤカのそれちょうだい」
「いいわよ、はい」
「あむ――うん、美味しい」
「え……」
間接キスとかそういうことを気にしているのではない。
側にいる笑顔を浮かべたまま固まっているフウナさんのことが気になってしまった。
「ん? あ、蓋に置こうとしてくれていたのか……ごめん」
「気にしなくていいわ、フウナさんが怖いから相手をしてあげなさい」
クウナを取られるぐらいなら相手を殺して自分は生きるを実際にやりそうだ。
もう食べ終わるところだったから教室から逃げ出る。
さすがにあのまま居残る勇気はない、もしかしたらクウナが怒られるかもしれないし。
「そこの」
「私の名前はサヤカよ」
「サヤカ、今日も私と来てくれないか?」
「いいわよ、ちょうど逃げたかったところなの」
仮にその先で宮本さんが待っているのだとしても言いたいことは言えたから構わなかった。
今日選ばれたのはこの前の空き教室、そこの端の床に直接座っている宮本さんが。
「何度も申し訳ない」
「いえ、構わないわよ。それよりあなたは宮本さんの妹さん?」
「ああ、まあそういうところだな。後は頼む」
「ええ」
彼女の横に座って、視線ももちろん彼女の方に向けた。
「ねえ、プリン食べに来ない?」
どうせひとつ食べれば満足する、本当に美味しいと味わってもらえた方がいいだろうと判断してのことだ。もちろん断ってくれても構わない、その場合はチアキにあげたいと考えている。
「……どうせ来てほしいなんて思っていないですよね」
「あなたが来ないのならチアキにあげるからいいわ」
「……戻らないんですか?」
「フウナさんから逃げているところだったら正直助かったの、ありがとう」
まさか直接いくとは思わなかったのだ。
なぜなら側にフウナさんがいたし、既に食べていた……って、そうか、別にあそこで直接食べていなくても間接キスだったことには変わらないと。
「……チアキちゃんから聞きましたか?」
「チアキには連絡を取っていたのね、私としてはあなたが元気ならそれで良かったの。来ないのなら興味を失くしたということで納得できるし、そもそもいつまでも来てもらえるなんて自惚れてもいない。だから自由にしなさい、昨日はつい……ああ言ってしまったけれどね」
プリンが食べたい欲と、とにかくごちゃごちゃした気持ちを吐き出したかった。
それぐらいはと考えた、そこを責められたらもうどうしようもないけれど。
「そろそろ戻るわ」
「待って、ください」
「ええ、座っていればいいの?」
「はい……自分勝手ですが許してください」
「自分勝手なのは私も同じよ、私はあなたたちといることでひとりにならないよう動いていた。計算というわけではなかったけれど、お弁当を作ったり、なるべく要求を呑んでいたのはそういうことよ。ひとりぼっちは嫌じゃない、あなたでもいてくれれば学校生活もただ勉強をやるだけで終わらないようになると思ったのよね、でもそれが負担になっていたということならごめんなさい」
重要なのは彼女のことを嫌いだとは思っていないということ。
だからこそ来たくないということであれば深追いをしたりはしない。
尊重してあげなければならない、そういうところぐらいは年上として。
けれど残ってくれるということなら拒んだりはしないつもりだった。
そう、やはりここは彼女に任せるしかないわけだ。
「……いいですか?」
「ええ、あなたがしたいのなら――ちょ……力が強いわ」
「あ……ごめんなさい」
そんなに必死にしがみつくようにするぐらいなら来ておけば良かったのに。
……今日は頭を撫でてみることにした、それでも力は比較的強いまま。
落ち着いてほしい、そんなに不安がらないでほしい。
私は別に離れるなんて言っていない、あくまで彼女の気持ちを考えて行動していただけ。
「大丈夫よ」
「ほんと……ですか?」
「ええ」
こちらを抱きしめる力を下げてくれればもっといい。
なんだかんだ言っていても必要とされれば心が喜ぶ。
自分が相手より優秀ではなかったり、魅力がないのであればなおさらのこと。
「安易に一緒にいてあげる、なんてことは言えないけれどね、昨日言った言葉が突き刺さってしまうし」
あまり卑屈になりすぎると申し訳ないからここでやめた。
いまはただ少しでも悲しそうな表情を浮かべなくて済むようにしてあげたいのだ。
「それよりあまり遅くに出歩かないようにね、妹さんならなおさらのことよ」
「あの子は妹じゃないです……妹はチアキちゃんより年下なんですよ」
「え、それならあの子は?」
「サヤカさんのところに行っていなかった1週間の間にできた友達です」
「そうなのね」
やはりそこはコミュニケーション能力の違いか。
現状維持で勉強とクウナ&フウナさんといただけの私とは違う。
「それでどうして来ていなかったの?」
「……特に理由はありません」
「そう、私は完全に見限られたものだと思ったけれど。まあいいわ、全てあなたの自由よ。これで終わらせてもいいし、来ても拒みはしないわ、好きにしなさい」
要求を呑んでいるのならこちらの方も自己責任だ。
無理な要求を呑んだりはできないから、私にできることはこういうことを許可しするだけ。
「……終わらせることなんてしません」
「ならいいわ、抱きしめたかったら抱きしめさせてあげるし、膝枕を望むのならしてあげるわ。お弁当だってきちんと食べてくれると言うのなら作ってあげる」
「お願いします、サヤカさんといたいんです」
「ええ」
入り口の方を見ながらぼうっとしていた。
未だにぎゅっと抱きしめられていて、全体的に彼女の温かさや柔らかさがわかる。
こちらは抱きしめこそしないものの彼女の頭を撫でていて。
「あ……予鈴ですね」
「ええ、そろそろ戻りましょうか」
彼女が望めばいつまでも一緒にいてあげるつもりだ、焦る必要はない。
「待って……最後にさやかさんからもしてください」
「これでいいの?」
「あ……はい、これで頑張れます、放課後にまた来ますね」
フウナさんもクウナといる時は常にこういう感じなのだろうか。
側にいるのだとしても授業中で離れたりするとあからさまに寂しそうな表情を浮かべる。
あくまで普通そうに見えるけれど、その内側は複雑さで占めているのかもしれない。
「ふふ、見てたよ」
「え?」
教室に戻った途端ににやにやと笑みを浮かべているフウナさんが。
「あれだけ行ってなかったのは抱きしめた時の満足度を高めるためでしょ? 私もやるからわかる!」
「え、いえ……え」
「大丈夫だって、馬鹿にしたりとかしないよ。私もね、クウちゃんを抱きしめたくて仕方がないんだからね、女の子を好きになっている同じ仲間だっ」
そういうわけではないのだけれど。
宮本さんが望むのならということでしただけで。
けれどフウナさんは聞いてくれなかった、勝手に盛り上がってしまっているだけだった。
現在時刻21時半。
「あなたはなにがしたいんですか?」
呼び寄せた彼女には冷たい表情と声音でそう言われてしまった。
「ごめん……」
「サヤカさんが優しいからなんとかなっただけなんですよ?」
「うん……私もそう思うよ」
買っておいた飲み物を渡してベンチに座る。
本当に特に理由はなかったのだ。
特に彼女――チアキちゃんに頼んでなにかをしてもらいたかったわけでもない。
距離を置いていたのは少しだけわからなくなってしまったから。
「サヤカさんは甘すぎです、どうしてこのような自分勝手な方に構うんでしょうか」
だけど今日、あの教室で話し合ったことでわかった。
やはり私にはサヤカさんが必要なのだということを。
他の子といる時とは全く違う、心地良さ、安心感、満足感、幸福感、その他色々。
迷った自分が馬鹿だと言いたくなるぐらいだ。
「私、今度こそ真面目にサヤカさんを振り向かせてみせる」
「そういえば頼まれたんですよね、教えてほしいと」
「うん」
「……ずっと一緒にいる私にではなくあなたに頼んだのは……」
1年間ずっと追い続けて、それでも全く最近まで上手くいかなかった自分。
親戚であるのならずっと昔からずっといるだろうし、ものすごい歯がゆい時間を過ごしたことだろう。
「ごめんチアキちゃん、それでも譲れない」
「謝らないでください、振り向かせられなければそもそも意味のない話です」
「だから頑張るよ、誰にも取られないように」
一緒にいて楽しいと思ってもらえるように。
それでいつかはサヤカさんの方からああいうことをしてくれるようになったらいいなと考えている。
手を繋いだり、抱きしめたり、キスとかそういうことも。
「……サヤカさんがあなたを望むのなら仕方がありません、私はあなたではないのですから」
「うん。でさ、普通に仲良くはしたいんだけど」
「あなたはサヤカさんとまともに仲良くできていないですよね? なのに他の子と仲良くしている余裕なんてないと思いますが?」
「厳しいなあ……」
その通りだからどうしようもない。
それでも私に頼んでくれたんだ、教えてほしいと。
プリンだってくれた、いつでも来なさいとも言ってくれた。
それだけで私のと違って本当のことだと思えた、信じて追い続けて良かったと思えたのだ。
「私と仲良くしたいのであればサヤカさんとある程度仲良くしてからにしてください。それぐらいはできますよね? それともあの明るい笑顔なども全て嘘だったんですか?」
「違うよ! 私は絶対にサヤカさんと仲良くするんだから!」
「はい、頑張ってください。帰りたいので送ってください」
「うん、行こっか」
やばいやばい、中学生であるこの子の方が年上に見える。
負けないようにではなく、純粋に向き合いたいという気持ちを優先していこうと決めたのだった。