1945年8月5日 恵須取解放
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
◇◇◇
煙る北の町と遅すぎた悔恨
◇◇◇
1945年8月5日、午後4時00分。樺太庁恵須取郡恵須取町・市街地北端。
砂利を跳ね上げ、唸りを上げて爆走してきた四輪バギーが、製紙工場の巨塔が並ぶ街並みの手前で急ブレーキを軋ませて停止した。
泥飛沫と潮風にまみれた浩平のアバターが跨るバギーの視界。
その瞬間、現代の自室でモニターをシースルーモードで注視する浩平の眼前へ、立て続けにエメラルドグリーンの通知ログが弾け飛んだ。
【新エリア解放通知】
アバター(浩平)の直接進入・座標確認に伴い、
以下のエリアが探索・介入可能領域として新たに解放されました。
・樺太『恵須取郡塔路町』広域(市街地・港湾・山林全域)
・樺太『恵須取郡恵須取町』広域(市街地・港湾・山林全域)
名好から南へ55キロ。
途中、ソ連機に素通りされていた炭鉱の町・塔路を猛スピードで駆け抜け、浩平はようやく樺太西海岸の最大拠点――恵須取町へと足を踏み入れた。
間宮海峡に注ぐ恵須取川の河口に拓けたこの街は、恵須取支庁が置かれ、南の真岡と並び立つ西海岸の政治・経済の中枢であった。王子製紙恵須取工場の巨大なパルププラントが煙を吐き、無尽蔵の石炭を掘り出す炭鉱街として急速に膨張を続け、四万人もの市民が肩を寄せ合って暮らす北限の産業都市。二ヶ月後の十月一日には「市制施行」を控えていたほどの繁栄を誇る街である。
だが――浩平の眼鏡の奥の瞳に映ったのは、活気ある近代都市の姿ではなかった。
「……嘘だろ……」
街のあちこちから、黒煙と紅蓮の炎が吹き上がっていた。
「火消し急げーッ! ポンプ持ってこい!」
「誰か! 梁の下に子供が挟まれてるんだ! 手を貸してくれえッ!」
「お母ちゃん! お母ちゃーんッ!!」
手押しポンプを必死に引く警防団や消防団の怒号、瓦礫の隙間から漏れ聞こえる悲鳴、そして逃げ惑う人々の足音が、真夏の冷涼な風にかき消されていた。
先ほど名好の煙突から朱色のH鋼で撃退するまでの間、敵の爆撃機と攻撃機がこの街の空を我が物顔で蹂躙した時間は、およそ十分強。
たった十分間。しかし、乾燥した夏風と密集した木造家屋にとって、焼夷弾や小型爆弾の直撃は、街を破壊するのに十分すぎる悪夢であった。
駅前通りの商店街、木造の民家群、製紙工場の木造倉庫――数十箇所から火の手が上がり、赤い舌が隣の屋根へと這い移ろうとしていた。
「くそっ……! 俺がもっと早く……もっと早く気付いていれば……!」
浩平はバギーのハンドルを激しく叩きつけた。
システム的なエリア制限に阻まれ、移動手段に頭を悩ませていたあの僅かな間に、現実にこの街へ爆弾が落ち、家が焼かれ、生身の人間が血を流したのだ。
「よくも……よくもやりたい放題やってくれたな、ソ連軍の野郎どもめ……ッ!!」
胸を引き裂くような激しい自責と怒りが、浩平の全身を駆け巡る。
だが、後悔に暮れている暇は一秒たりともなかった。延焼がこれ以上広がれば、四万の市民が住むこの街は、今夜のうちに灰燼に帰してしまう。
「悔やむのは後だ……! まずは火を消す! 幸い、俺の手元には『水』だけは無尽蔵あるんだからなッ!」
◇◇◇
恵みの雨
◇◇◇
浩平は路地裏の物陰へバギーを滑り込ませると、即座に車両とアバターをインベントリへ退避させ、VRモードを抜けた。
HMDを脱ぎ捨て、PCモニターの前に座り直す。
マップが解放された今、恵須取町の全域は浩平のFPV(一人称視点)自由操作カメラの支配下にあった、いわば、床の下にも入り空にも飛べる幽霊視点。
浩平はマウスホイールを一気に転がし、カメラを市街地上空百メートルの俯瞰視点へと跳ね上げた。
見下ろす恵須取の街並み。
屋根に巨大な大穴を開けて火柱を吹き上げる民家。壁の一面が炭化し、隣の長屋へ火が燃え広がりかけている路地。幸い、空襲が止んでからまだ三十分ほどしか経っておらず、柱や梁が焼け落ちて全壊するまでには至っていない。今すぐに水をやれば、確実に鎮火できる。
(だが、どうやって水を落とす……?)
古屯の氷壁で使ったように、建物の真上十メートルにコンテナ大の水塊をそのまま実体化させてドスンと落とせばどうなるか。
三十トンを超える水の塊は、コンクリートすら叩き割る凶器と化す。屋根をぶち抜き、中にいる住民や必死に消火活動をしている消防団員を丸ごと圧殺しかねない。
(ピンポイントで、かつ建造物や人間を押し潰さない方法……。何か……何かあったはずだ……)
浩平の頭脳が、現代の知識の引き出しを猛烈な勢いで引っ掻き回した。
そして、かつて海外の山火事のニュースで目にした、ある巨大な航空機の映像が脳裏に閃いた。
(そうだ……! 超大型空中消火機だッ!!)
旅客機を改造したマクドネル・ダグラスDC-10消火機。
一度に四万三千リットル(約四十三トン)もの消火液を積載し、高度六十メートル付近から一気に散布して、地上を破壊することなく広範囲を豪雨のように覆い尽くすシステム。
あれは、20フィートコンテナ(容積約三十三立方メートル=水約三十三トン)とほぼ同規模の容量だ。
「試してみる価値はある!」
浩平は市街地を外れた海岸の砂浜の上空へカメラを移動させ、テスト配置を試みた。
高度五十メートル、六十メートル、そして百メートル。
「五十メートルだと……ダメだ、落下の勢いが強すぎて水たまりがそのまま叩きつけられる。六十メートルでもまだ衝撃がデカい。だが、高度百メートルまで上げると……空気抵抗で塊が千切れて、見事な土砂降りになるな」
さらに浩平は、工学部出身の勘を働かせた。
「落ちる瞬間に、水塊へ『回転(角速度)』を与えたらどうなる?」
インベントリ内で、三十三トンの水塊に対して「ヨー軸方向へ毎秒十度」のわずかな初期回転速度を付与する。
すると、百メートルの高空から解き放たれた水塊は、遠心力によって外側からパッと霧状に拡散し、落下時の衝撃波を完全に殺しながら、幅三十メートルにわたる「強烈な局所的ゲリラ豪雨」となって地上へ降り注ぐことが判明した。
「いける……! これなら屋根を壊さずに、火元だけを一瞬で水没させられる!」
浩平の指先が、流れるようにゲームのインベントリ内のレシピ(アイテム組み合わせ機能)を組み上げた。
【消火用空中散水レシピ:RAIN_MAKER_V1】
1. 保有20ftコンテナ取得(容積33.1㎥)
2. 清水フル充填(水温15℃/総重量33.1トン)
3. 初期角速度付与(Yaw: 10deg/s)
4. 外装コンテナ解除(純粋な水塊のみ抽出)
5. 指定座標(高度+100m)へ転送・自由落下
「レシピ登録、完了! ……恵須取の火を、一網打尽にしてやるッ!」
浩平はモニター上で、黒煙を上げる火災現場へマウスカーソルを合わせ、次々と左クリックを叩き込んだ。
同時刻。恵須取町・栄町通り。
「水を切れさすな! バケツを回せッ!」
「ダメです分団長! 水圧が足りません! 隣の乾物屋に火が燃え移ります!!」
顔中を煤だらけにした町消防団員たちが、手押しポンプのレバーに全体重をかけていた。
民家の二階の窓から猛烈な火炎が吹き出し、熱風が消防団員の顔を焦がす。もはや全焼を待つしかないと、誰もが絶望に顔を歪めた――その瞬間であった。
ザザザザザザザザッッッ!!!!
突如として、天から叩きつけるような轟音が響いた。
「な……ッ!?」
団員たちが思わず顔を覆った瞬間、真昼の青空から、まるでバケツの底を何千個もひっくり返したような猛烈な土砂降りの雨が、燃え盛る民家の屋根めがけて垂直に降り注いできたのだ。
ジュワアァァァァァァッッ!!!!
立ち込める凄まじい白煙と水蒸気。
ほんの五秒前まで猛威を振るっていた紅蓮の炎が、空からの滝のような水煙に飲み込まれ、一瞬にして音を立てて鎮火した。
降り注いだ雨水は生温かい蒸気へと変わり、煤けた道路を川のように洗い流していく。
「消……消えた……!?」
手押しポンプの柄を握ったまま、分団長が口をあんぐりと開けた。
空を見上げても、雲一つない。オホーツクの澄み切った青空がどこまでも広がっている。
それなのに、燃え盛っていたこの一角だけに、ピンポイントで豪雨が降り注ぎ、火を完全に呑み込んで消し去ったのだ。
「分団長! あそこもだ! 向こうの倉庫の火も消えたぞッ!」
団員が叫び、指差す。
見渡せば、製紙工場の角でも、駅前の通りでも、空から局所的な水柱のような雨がザアッと降り注ぐたびに、立ち上っていた黒煙が次々と純白の水蒸気へと塗り替えられていた。
「さっき……南の空で、赤い火の槍がソ連の飛行機を皆殺しにしたのを見たぞ……」
「今度は……青空から水が降ってきた……」
「神様だ……。恵須取の神様が、俺たちを助けてくれたんだ……!」
路上にへたり込んだ住民たちが、濡れた顔を拭いもせず、青空に向かって手を合わせ、涙を流して拝み始めた。
科学では説明のつかない奇跡の連鎖が、焦熱地獄に呑まれかけていた北の街を、瞬く間に救い出していったのだ。
昭和二十年の市井の人々にとって、それは紛れもなく「神仏の御業」であり、「祈りが通じた奇跡」に他ならなかった。
――だが、現実は異なる。
『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』
――アーサー・C・クラーク(「クラークの三法則」より)
PCモニターの前で、濡れたアスファルトに額を擦り付けて合掌する恵須取の群衆を俯瞰カメラで見つめながら、浩平は自嘲気味に息を吐き出した。
「神様、ね……。拝まれる筋合いなんて、これっぽっちもありゃしないよ」
浩平は神でもなければ、全知全能の魔法使いでもない。
彼が行使している力は、オカルトでも奇跡でもなく、厳然たる「科学技術」の産物であった。ただその技術体系が、1945年の人間はもちろん、2027年を生きる現代人類の科学水準をも遥か彼方に置き去りにした「超高次文明の物理法則」に基づいているという、ただそれだけのことだった。
浩平が接続し、自らの手で改変を試みているこの1945年の世界。
それは単なるPCゲームのデータ空間などではない。
現代の人類がまだその存在を証明することすら叶わない、もっと高次な知的存在――星々の狭間を渡り、時空を俯瞰する上位知性が観測のために切り取り、接続してみせた「パラレルワールド(並行世界)の箱庭」であった。
浩平がコンソールから実行した消火シークエンスも、敵機を粉砕した極超音速の迎撃も、すべては彼らによって確立された技術の行使に過ぎない。
四次元ポケットのように振る舞うインベントリは、高次座標系を折りたたんで質量を保管する「亜空間テレポート技術」。
高空から投下された水塊に回転を与え、落下時の衝撃波を霧散させたのも、局所的な「重力場操作」という極めて論理的な物理の結果であった。
そして、浩平がゲーム内ショップから無尽蔵に買い求めている食糧、医薬品、建築資材、車両に至るまで――それらもまた、無から湧き出た魔法の産物などではない。
高次の知的存在が、並行して存在する無数の「現代地球のパラレルワールド」から、その時空の歪みを利用して実体として転送・調達してきた現物であった。
十条造兵廠に現れた備蓄米も、名好の診療所を埋め尽くしたペニシリンも、別の世界の誰かが生産し、倉庫に保管していた確かな物質なのだ。
画面右上に表示されている「ゼニ」というゲーム内通貨。
それすらも、上位知性が浩平という一人のサンプルの思考パターン、倫理観、そして「資源が限られた極限状況でいかなる局所的最適解を導き出すか」を観測するために設けた、実験用の評価インターフェースに過ぎなかった。
浩平はその壮大な仕掛けの全容を、感覚のどこかで察知していた。
だからこそ、画面の向こうで人々が涙を流して自分を「神」と崇める姿に、背筋が凍るような居心地の悪さと、エンジニア特有の醒めた視線を抱かずにはいられなかった。
「俺はただ、連中が寄越した理解不能なシステムAPIを叩いて、マクロを組んで動かしてるだけの、しがない末端ユーザーに過ぎない。……奇跡の救世主なんかじゃないんだ」
神格化など、まっぴらごめんだった。
そんな甘美な全能感に酔いしれた瞬間、思考は鈍り、判断を誤る。
自分はただ、目の前の理不尽な死をロジックで叩き潰し、救えるはずの命を確実に拾い上げるだけの、泥臭いシステム屋であり続けねばならない。
「……ま、神様扱いされてる方が、余計な詮索をされずに物資を受け取ってもらえるなら、今はそれでいいか」
浩平はキーボードから手を離し、冷え切った缶コーヒーを喉に流し込んだ。
神の奇跡と讃えられた水滴が、恵須取の焼け跡を静かに冷ましていくのを確かめると、彼は迷うことなく次のタスク――本州上空、そして原爆の影が迫る西日本へと、意識を切り替えた。
◇◇◇
名好町診療所の奇跡
◇◇◇
午後4時15分。樺太庁名好郡名好町・公立名好診療所。
木造平屋建ての診療所の引き戸が、ガラガラと激しい音を立てて開け放たれた。
「先生! 負傷者をお連れしました! 処置をお願いします!」
軍服の袖を捲り上げた佐久間軍曹が、背中に負傷した男性を背負い、その横でちひろが、足を撃たれて青ざめた老人を肩を貸すようにして支えていた。
先ほど内恵道路の森を抜けた後、ちひろが道端で救い上げた三名の負傷者たちであった。
診療所の待合室と廊下は、すでに地獄絵図と化していた。
床には筵が敷かれ、名好市街地でソ連機の機銃掃射を浴びた十数名の町民が、血だまりの中で呻き声を上げている。
初老の院長医師が、血まみれの白衣のまま駆け寄ってきた。
「す、すまないが……もう包帯も、消毒薬も底を突いたんだ! 薬品庫には赤チンとわずかなガーゼしか残っておらん! これ以上連れてこられても、手当てのしようが……!」
医師の悲痛な叫びを、ちひろの凛とした声が遮った。
「先生、薬ならあります! ここへ運び込みます!」
ちひろは白煙を上げる廊下を抜け、診療所の受付前の広い土間へと進み出た。
懐から取り出したのは、浩平から授けられた『新型物資引換手形』。
誠一郎から事前に厳しく叩き込まれていた「爆撃負傷者用救急セット百人分」の品目を、鉛筆で淀みなく書き殴る。
裏面の認証コードを書き終えた瞬間――。
ズババババババッッ!!!!
青白い閃光が診療所の薄暗い土間を満たした。
光が収束した刹那、土間から待合室の壁際にかけて、天井に届かんばかりの巨大なダンボール箱と紙箱の山が、地響きを立てて出現した。
「な……な、何じゃあこれはッ!?」
院長が腰を抜かし、看護婦たちが悲鳴を上げて壁にへばりついた。
ちひろは躊躇することなく、一番手前の箱の封をバリリと引き裂いた。
医療用滅菌ガーゼ(1000枚入): 10箱(計10万枚)
医療用さらし(10反入): 10箱(計100反/約1.2km)
消毒用エタノール一斗缶(18L): 5缶(計90L)
トラマドール錠(25mg/1000錠入): 1箱(計1,000錠)
ゲンタマイシン軟膏(100本入): 5箱(計500本)
ジクロフェナク錠(25mg/1000錠入): 1箱(計1,000錠)
ペニシリン錠(1000mg/1000錠入): 3箱(計3,000錠)
現代の日本の最新の滅菌資材と特効薬の山。
ちひろは呆然と立ち尽くす院長の手へ、浩平が用意した一枚のプリント用紙――『外傷救急診療の手引き(A4版)』を押し込んだ。
「先生! これは『天の監視者様』から授かった、未来の医薬品です!
使い分けや患者さんの症状の見立ては、すべてこの紙に書かれています!
ペニシリンは化膿を止め、この軟膏は傷口の菌を殺します! 強い痛みにはトラマドールを飲ませてください!
もし使い方が分からなければ……帝都の東京帝国大学附属病院か、呉海軍病院の急病受付宛て※に電報を打ってください! どちらの病院の先生方も、すでにこのお薬を使って何百人、何千人もの命を救っておられます!」
「と、東大病院と……呉海軍病院だと……!?」
※補足:本当は広島陸軍病院は一番詳しいが、現在病院組織と患者は呉へ避難中の為対応不可
院長は震える手で手引き用紙を見つめ、次いで純白の包装に包まれたペニシリンの錠剤を手に取った。
医学を志した者なら、一目で分かる。これはインチキの偽薬などではない。科学の奇跡の結晶であった。
「……おい、突っ立ってる暇はないぞ!」
院長の目に、医師としての魂の炎が再燃した。
「ガーゼを開けろ! エタノールで傷口を洗え! 銃創の深い者からこの『ペニシリン』を飲ませるんだ! 一人も死なせるなッ!!」
「はいッ!!」
看護婦たちが涙を拭い、純白のガーゼを抱えて負傷者たちのもとへ駆け出していった。
◇◇◇
だが、ちひろの「仕事」はそれだけに留まらなかった。
「院長さん、佐久間軍曹さん、裏の広場を開けてください!」
ちひろは診療所の裏手にある、普段は馬車やトラックを停める広大な空き地へと走った。
名好町の人口は約一万六千人。この後、ソ連襲撃の混乱や孤立によって食糧と燃料が断たれれば、病気や飢えで倒れる者が必ず出る。
ちひろは手形へ、誠一郎から指示されていた「名好町一週間分」の補給物資を書き入れた。
ドォォォォォンッッ!!!!
裏広場が眩い雷光に包まれた。
現れたのは、見上げるような食糧と燃料の山脈であった。
精米: 50トン(業務用20kg×2,500袋)
上白糖: 25トン(業務用20kg×1,250袋)
B100バイオディーゼル軽油: 5,000L(ドラム缶25本)
ホワイトガソリン: 5,000L(ドラム缶25本)
山のように積まれた純白の米袋と、緑と銀に輝く真新しいドラム缶の威容。
そのあまりの規模に、裏口から顔を出した診療所院長が泡を食って飛び出してきた。
「お、奥方様……ッ! これほどの物資、一介の町医者が預かれる規模を遥かに超えております! 直ちに町の警察署長や町長、警備隊の将校を呼ばねば……!」
恐縮して腰を抜かす院長に対し、傍らに立つ佐久間軍曹が一歩前に進み出た。
軍曹は背筋を伸ばし、歴戦の古参兵の威厳を込めて一喝した。
「院長殿! 案ずるには及ばん!」
軍曹は胸ポケットから、第125連隊長・小林大佐の印が押された通行証を突きつけて見せた。
「この物資は、陸軍第88師団司令部――師団長・峯木十一郎中将閣下、および歩兵第125連隊・小林大佐の公認のもと、天の監視者殿より下賜されたものである!
我らには一刻の猶予もなく、西海岸の要衝・恵須取へ急行せねばならん軍務がある!
町長や警察への引き渡しと分配は、貴殿の手で滞りなく進められよ! 何か不審を唱える者がおらば、『豊原の第88師団司令部に直接確認せよ』と申し渡すがよいッ!」
「は、ははぁっ……! 承知仕りました!!」
軍の最高首脳の名を突きつけられ、所長は深々と最敬礼を返した。
軍務に不慣れなちひろの立場を完璧に守り抜く、佐久間軍曹の頼もしすぎる援護射撃であった。
◇◇◇
恵須取への再発進
◇◇◇
すべての物資の引き渡しを終え、診療所の玄関先で額の汗を拭ったちひろの胸元で、タブレットがピロリン……♪と澄んだ電子音を響かせた。
浩平からの新着メッセージであった。
『ちひろへ
現在、塔路町、恵須取町全域の安全は確保された。上空の敵機はすべて無力化した。
現時点で恵須取町への移動は可能だが、以下数点を気を付けてほしい。
恵須取町にはソ連機の爆撃を許してしまい、多数の火災が発生したが、現在は全部消火済みだ。
負傷者も出ると見ている。
ちひろは、事前に教えた医薬品のリストから、現地の救急治療に要する医薬品や物資を
随時引換手形で与えてやってほしい。
私は一旦本州の様子(前橋・広島方面)を確認するが、連絡してもらえばすぐに戻れる。
――監視者 浩平』
ちひろは画面の文字を指先でなぞり、小さく息を呑んだ。
「恵須取も……火災は全部消してくださったんだ……。でも、やっぱり怪我をした人たちが……」
ちひろは顔を上げ、車の点検していた佐久間軍曹へ駆け寄った。
「佐久間軍曹さん! 監視者様から連絡が入りました!
恵須取町の上空の敵は全滅し、街の火事もすべて監視者様が消し止めてくださったそうです! ですが……現地には空襲で傷ついた人たちがたくさん待っています!」
「おお、恵須取も無事でしたか……!」
佐久間軍曹の強面の顔が、安堵に緩んだ。
「よし、ならば一刻も早く向かわねばなりませんな! だが奥様、その前に――」
軍曹は裏広場に積まれたドラム缶の山を指差し、不敵に笑った。
「折角、監視者様が極上のガソリンを恵んでくださったのです。あの内恵道路の峠越えで、我が愛車の腹もすっかり減っておりましてな!」
佐久間軍曹はドラム缶の脇に置かれていた手動式サイフォンポンプ(給油ポンプ)を手に取ると、ガソリン缶の注入口へ勢いよく差し込んだ。
蛇腹のポンプを力強くシュポシュポと握り込む。
澄んだ琥珀色のハイオクガソリンが透明なホースを満たし、くろがね四起の燃料タンクへと勢いよく吸い込まれていった。
「うむ……! 満タンだ! 埃一つない極上の油だぞ、これなら恵須取まで全開でぶっ飛ばせる!」
軍曹は給油口のキャップをガチリと締め、運転席のドアを威勢よく開けた。
「奥様、お乗りください! 名好の町は救われました。次は西海岸の同胞たちを救いに行きましょう!」
「はいッ!」
ちひろは頷き、ポシェットの中の束になった引換手形をそっと確かめると、助手席へと飛び乗った。
ブルルルルンッ! ガルルルルル……ッ!!
現代の精製されたホワイトガソリンを得たくろがね四起のエンジンが、先ほどまでとは見違えるような軽快な咆哮を上げた。
砂利を蹴り飛ばし、軍用車は名好の街を後に、夕暮れの近づく海岸道路――恵須取へと向けて猛烈なダッシュを開始した。
澄み切ったオホーツクの風が、ちひろの髪を撫でていく。
その瞳には、恐怖を乗り越え、兄と浩平の信じる道を真っ直ぐに進もうとする、強い光が宿っていた。
【現在のクレジット残額:3,912,718,130ゼニ 】
【ゲーム内で関わった人数:約674,000人 [new]恵須取消火&救助活動で+1000人】
お待たせしました
残念ながら今回はグルメの話はでなかった
本州視点に戻りたくても空襲後の処理を書かないとひど過ぎるので…
今回は世界観への重大なネタバレも含まれています
実は最終的には、別作「地球管理者」の世界観にも繋がるようになります
ただ物語自体の合流はないので、ほんの少しのサプライズ程度の物と思ってください
【本作のチートを支える「並行世界」のタネ明かし】
本作で浩平が行使している「現代物資の無尽蔵な調達」ですが、実は『STEINS;GATE』などでもおなじみの「アトラクターフィールド(世界線収束理論)」の概念をベースにしています。
量子力学的な多世界解釈において、宇宙は無数の「可能性の枝」へ分岐していますが、大局的な結果が変わらない枝は、誰にも観測されないまま再び一本の太い幹へと合流・吸収されていきます。
高次元の知的存在は、まさにこの「合流する直前の剰余宇宙」に目をつけました。
誰の視界にも触れず、確定的な観測もされていない「世界の裏側の死角」から物質をそっと拝借しているのです。
たとえば、A宇宙とB宇宙のコンビニ倉庫に、まったく同じお弁当が100個ずつ積まれていたとします。
A宇宙はB宇宙とほぼ同一の歴史を辿るため、数マイクロ秒後にB宇宙へ吸収・統合される運命にあります。高次知性体はその統合の直前、段ボールの底で「誰にも見られていないお弁当を1個だけ」拝借するわけです。
ところで、直後にその世界線ごと収束先の宇宙へ統合・上書きされてしまえば、事後的な因果律の上では「最初から何も減っていなかった」ことになります。誰の日常も壊さず、泥棒にもならず、歴史の改変コストもゼロという、高次文明ならではの極めてスマートな資源回収ロジックです。
その変化はA宇宙の誰にも観測(確定)されなかったため、統合された先の世界では「最初から何事もなかった」ことになります。因果律の破綻もタイムパラドックスも起きない、神々の完全犯罪ですね。
……もちろん、お弁当を抜かれた側の宇宙には「わずかな質量の損失」が発生するはずですが、その辻褄を上位存在のバックエンド側でどう相殺・補填しているのかは、現在作者も鋭意考察中です(笑)。




