第4話 太郎の会
「被害者の右手に注目してみてください」
警部が死体に触れないように覗き込む。
「小さな文字で縦書きで『タロー』と書かれてありますよね。これは、所謂ダイイングメッセージと呼ばれるものです。被害者が殺される直前に最後の力を振り絞って、犯人の名前を残す。よく推理ドラマで見るようなものですよ、警部。この人の知り合いで太郎と名前が付く人がいれば、その人が犯人です」
これは決まったと思ったが、警部の表情は険しかった。
「ダイイングメッセージねぇ。君は推理ドラマの見過ぎじゃないのかね。これは一見、『タロー』と見えなくもないが、字が汚く、倒れる時にたまたま付着してしまった血かもしれない。よく見ろ。ロの文字の右側の一本が足りないじゃないか。こんなものは証拠にもならんよ」
警部がしっしと手で出て行けのポーズをした。のけ者扱いが気に食わないが、もうここに残る理由がなくなったので、刑事に押されながら隣人の部屋から出た。
外には、先ほどの中年の男と見知らぬ男が二人いた。一人は、白髪交じりの恐らく被害者と同じくらいの年齢であろうイケオジ。もう一人は、やや小太りで背の低い中年の男だった。
「ん? あなたたちは」
刑事がメモ帳を取り出し、彼らの名前と職業を訊いた。もちろん、私も訊かれた。私は今は無職だったため、取りあえず「探偵」と答えた。
第一発見者の男は、鱈子といい、タラタラ株式会社の社長をしているそうだ。タラタラ株式会社とは、鱈子に限らず、様々な食料品を取り扱っている有名な会社だ。
イケオジは、舛崎。舛崎ビール株式会社社長をしているという。ここのビールは結構旨い。小太り男は、酒須木。サケンラップ株式会社社長。某ラップ業界の重鎮と違って、切れないことで有名。もはやこのラップを使うことで、日常生活に支障をきたすレベルの切りにくさを誇っている。
「刑事さん、大事なのは下の名前ですよ。皆さん、教えてくれますか」
「太郎です」
「太郎です」
「太郎です」
三人は揃って答えた。
「え?」
「だから、太郎です」
「私も太郎です」
「私も」
「そんな、馬鹿な」
「皆さん、太郎さんなんですね。揃いもそろって、『太郎』とは……。皆さんはどうしてここに?」
唖然としている私をよそに、刑事が問うた。何故かこの刑事には、笑みが浮かんでいた。私の推理が外れたのが嬉しいのだろうか。
「今日は、『太郎の会』の開催日でして、山田社長が皆を集めたんです」
イケオジ舛崎が説明した。
「では、被害者の名前も太郎?」
「ええ」
私の問いに三人はうなずいた。
「それで、その『太郎の会』とは?」刑事が主導権は渡すまいと質問を投げかけた。
「……月1回山田社長と知り合いの太郎を集めて、飲み会をするという会です。特に、仕事の話などはせず、ただ単に太郎繋がりで楽しく飲もうということで開いていました」
「皆さんは、山田社長とどこでお知り合いになられたんですか?」
「えっと……刑事さん、山田ホールディングスという会社はご存知ですか?」
「最近、有名なあの大企業ですね」
「我々はその傘下の企業の社長をしていまして、その繋がりで……」
「俺はまだ入っていませんよ」
タラコ唇鱈子の説明に、イケオジ舛崎が割り込んだ。
山田ホールディングスは聞いたことがある。最近、急成長している会社だ。毎年多くの企業を買収し、発展をしている。確かに、鱈子のタラタラ株式会社や酒須木のサケンラップ株式会社もその傘下にいたような気がする。
「では、舛崎さんはどのような関係で?」
「俺は……山田太郎が小さな企業だったときからの知り合いです」
イケオジ舛崎の歯切れが少し悪くなる。
「刑事さん、いいですか。皆さん、社長さんなのに何故このような辺鄙な場所で集まろうとしていたんでしょう?」
「それは……」
三人は目が一斉に泳いだ。まるで、三人同時に海に落とされたかのように。こんなにもわかりやすい泳ぎ方は初めて見た。その一瞬を刑事は見逃す訳もなかった。
「何か言えないことでも?」
「いやいや、都会だとですね。世間の目、所謂マスコミが騒ぎ立てるでしょう。次の買収はどこだとかね
。あらぬ噂を立たせないために、こうして誰の目にも留めない場所にしているんですよ」
イケオジ舛崎が大袈裟に身振りを取り、少し早口で言った。
「……第一発見者の鱈子さん。あなたが発見したときの様子を詳しく教えてくれませんか」
少し間を置き、タラコ唇鱈子に刑事が話しかけた。
「はい。集合時間が18時でしたので、18時10分前にここに来ました。そしたら、鍵がかかっていたので、おかしいなと思って、合鍵でドアを開けたんです。そしたら、中に社長が倒れているのを見て……」
「ちょっと待ってください。あなたは合鍵を何故持っていたですか?」私が疑問を投げかける。
「山田社長は酒好きでして、いつも私たちが来る前に酔っ払うんですよ。それで、中に入れないこともあったので、一番最初に来る私が合鍵を持っているというわけです」
「他に合鍵を持っている人は?」
「いません」
部屋の鍵は閉ざされている以前に、ここは6階。窓から下に降りることも不可能。ベランダも無いため、隣の部屋に移ることもできない。唯一この玄関が出入りできる。それが、閉まっていたということは、この事件は密室。推理小説でいう「密室殺人」ということだ。
密室殺人というのは不可能である。必ずトリックを用い、密室に見せかけている不完全な密室状態になっている。現実的では無い。ただ、合鍵を持っているのなら話は別だ。山田太郎を殺害した後に、玄関から普通に出て、合鍵で鍵を掛ければいいだけのこと。これは猿でもわかることだ。
ならば、犯人は自然とタラコ唇鱈子太郎。推理するまでもない事件だった。
「それでは、鱈子さん。署までご同行願います。色々と伺いたいことがありますので……」
「え、ちょっと待ってください! 私は殺していません。第一、証拠がないじゃないですか。合鍵を持っていただけで犯人扱いはひどいじゃないですか!」
「証拠は……部屋の中や凶器の割れたガラスの破片に付着している指紋がそのうち出るでしょう。それが出たら、言い逃れは出来ませんよ。早いうちに自白したほうが身のためですよ、鱈子さん」
「ちょっと待ってください、刑事さん」
「今度はなんだ?」
鱈子の背中に手をやろうとした刑事が、怪訝そうな顔で私を見る。
「鱈子さんが来たときの様子は私も見ました。鱈子さんはリビングに入ってもいなかったですよ。鱈子さんの悲鳴が聞こえて、私が部屋の外に出たのが17時50分頃。鱈子さんの証言が正しければ、この1分にも満たない時間で犯行に及ぶことはできない。それと、私が部屋に入ったときに、脈を測ったのですが、手足がすでに冷えていました。このことから、死亡してから時間が経過していたと考えられますよね。もし、部屋に鱈子さんの指紋が一つも無かったら、鱈子さんの証言は正しく、17時50分にここに到着し、犯人ではないということが証明できます。どうですか、刑事さん」
「……確かに。ちなみに、その1時間前は何をされていましたか」
「17時30分頃まで、会社の取引先とオンライン会議をしていました。そこから急いでここに来ました。もし疑うなら、取引先の人の連絡先を教えましょうか」
「では……」
刑事はメモ帳を取り出し、連絡先をメモした。検視の結果が出るまで、詳しい死亡推定時刻は出ないが、私の読み通りなら、鱈子は犯行時刻にアリバイがあるということになる。
では、犯人は誰なのか。ただ、誰がやろうとこの密室を破ることはできない。何かトリックを見つけない限り……。ここは普通のアパートの普通の玄関ドア。特にこれといった細工ができるようなものではない。
一旦、密室の謎について考えることはやめよう。
では、犯人は誰なのか。
残る容疑者は二人。イケオジ舛崎と小太り酒須木。この二人は、鱈子の後に来た。大体、18時20分くらいだろうか。もしくは、第三者が真犯人という可能性もある。この場を密室にするトリックさえあれば、誰でも犯行は可能になるからだ。
「ちなみに、集合時間は何時ですか?」
「……18時です。私はちょっと会議が長引きまして」小太り酒須木が答えた。
「いつまで?」
「16時30分からのオンライン会議が18時にようやく終わって、そこから車で急いで来ました。あ、ちゃんと証拠はありますよ」
小太り酒須木は自身のスマホを取り出し、取引先の連絡先を刑事に見せた。
「俺は、17時15分頃からジムに行って、気づいたら18時に……。俺としたことが、時計を見ていなかったために……。もし、疑うならジムの防犯カメラでも見てください。俺が映っていますよ」
イケオジ舛崎は生活もイケオジだった。




