第3話 犯人は太郎
「うわぁぁぁあ」
突然、男の野太い悲鳴が聞こえてきた。
一体、何事だろうか。
まず考えられるのは、ゴキブリが出たということだ。この世の動物の中で最も人間に嫌われていると言っても過言ではない生き物である。あの黒い悪魔は、人類のあらゆる対策をかいくぐり、彼らのホームに現れる。現代では、ゴキブリというワードでさえも敬遠され、Gというコードネームで彼等を呼んでいる人もいるらしい。私はあまり苦手ではないが、家に出ると不快である。ただ、Gが出たからと言って、ここまで騒ぐだろうか。大の大人が、これほど叫ぶとは考えにくい。
では、次に何が考えられるか。
強盗という可能性だ。隣人のフリをして、私に襲いかかる。金目のものを奪うために、わざと悲鳴をあげていたのかもしれない。はたまた……。
ドアが強く叩かれた音がする。
「すみません。誰か、いませんかっ!」
これは大事なのかもしれないということだ。
隣人に助けを求める場合というのは、非常に稀だ。
「誰かっ」
私は仕方なく、ドアを開けた。
そこには、中年の小柄な男がいた。黒いスーツに赤いネクタイ。銀色の時計を左腕に身につけている。顔は、微妙……。タラコ唇をしている。
「どうしましたか」
「と、隣で、人がっ……」
「ほう?」
「どうしましょう、どうしたらいいですかねっ?!」
取り乱している。落ち着きがない。
「取りあえず、一旦落ち着きましょう。好きなものを思い浮かべるんです。例えば……」
「そんな場合じゃない!」
大声で私に怒鳴った。
「とにかく、見てください。あれを!」
落ち着きのない男に促され、隣の玄関から中を覗いた。
部屋の構造的には、私の部屋と同じだった。玄関とリビングの間に少し通路があり、左右にトイレのドア、オープンクローゼットが配置してあった。
奥のリビングに人の足のようなものが見える。
なるほど、これは由々しき事態だ。
「では、警察を呼びましょう」
「あぁ、私が電話を」
ようやく落ち着いてきた男がスマホを取り出し、警察に電話を掛けた。
私はビニール袋を自分の部屋から持ってきて、足に巻き隣人の部屋に入った。
廊下は特に異常なし。
リビングには、二人掛けのワイン色のソファが二つ。丸い机を挟んで置いてあった。この部屋は、少し煙草臭かった。右手前に大型のワインセラーがあり、その近くに白髪交じりの男がうつ伏せで倒れていた(その白髪は少し赤く色づいていたが)。うつ伏せでも身長が高いことはわかった。ワインセラーは二段に分かれており、上の段の扉が開いたままになっていた。頭部に血溜まりができており、男の周りにはガラスの破片が飛び散っていた。後頭部から頭頂部のあたりを強く強打したようだ。その他に目立ったものはなく、強いて言うなら、左奥の隅に背の高い観葉植物が佇んでいたくらいだった。
一応、この男の首筋に指を当てたが、もう脈は止まっていた。体はまだ暖かかったが、手の先が冷え切っていた。
「ちょっと、君! そこで何をしているのかね」
玄関のほうから少し低めの男の声が聞こえてきた。
振り向くと、そこにはベージュ色のトレンチコートを着たスーツの中年の男が立っていた。後ろには、紺色のスーツを着た若い男もいた。
これは、よく刑事ドラマなどで見る光景ではないか。そうなると恐らく、トレンチコート中年男は警部で紺色スーツ男は、その部下の刑事といったところだろう。警察の到着は意外に早かった。
「我々は警察だ」
警察手帳を見せながら、警部たちはリビングに上がった。後ろから鑑識と思わしき人たちがぞろぞろと入ってくる。私たちをよそ目に、作業を始める。
「私は怪しい者ではありません。ただの隣人です」
「人参?」
「隣人」
「ああ」
どうやら警部は耳が遠いらしい。多分。
「隣人でも勝手に現場に入るのは困ります。早く出ていってください」
後ろの刑事が出るように促した。
「これはぁ、殺人だな」と警部。
「後頭部を鈍器で一撃というところでしょうね」と刑事。
「多分、凶器は灰皿だと思いますよ、警部」と私。
「ああ、この煙草の臭いからしてその可能性が高いな」と警部。
「被害者のスーツに灰らしき粉がかかっていますね」と刑事。
「この時代に灰皿とは、珍しいですね」と私。
「って、早く出て行け! なに馴染もうとしてるんですか」
刑事が追い出そうと、背中を押してくる。
ここで、どうするか。
選択肢として、そのまま出るという行為は一般的だろう。素人が現場を荒らすことはよくない。だが、私にはすでに犯人がわかっている。この推理を披露してから、出ても問題ないだろう。
「警部。犯人はわかりましたよ」
「なにっ。して、それは誰かね? そもそもこの方と知り合いなのか?」
「いえ、この人がどなたが存じませんが、犯人の名前は判明しました」
この部屋にいる全員がこちらを向いている。私は重々しく犯人の名前を告げた。
「それは、太郎です」




