第73話 普通のJKナデシコの疾走
何かに突き動かされるように家を飛び出した灰島ナデシコは、住宅街をひたすら走っていた。
(何でワタシ……走ってるんだろ?)
目的なんてない。
理由だってない。
そもそも、ナデシコは運動が大の苦手だ。
百メートルも走れば息を切らし、体育の授業ではいつもクラスメイトの後ろをついていくような少女だった。
それなのに――
今は、不思議と足取りが軽い。
息もそれほど苦しくない。
茜色に染まり始めたアスファルトを駆けながら、ナデシコは今日一日の出来事を思い返していた。
トイレで出会った気さくな少女。
グラウンドで出会ったポニーテールの野球少女。
そして、帰り道で出会った金髪碧眼のヤンキー少女。
初対面のはずなのに。
名前すら知らなかったはずなのに。
なぜか、胸の奥がざわついた。
まるで、自分の中にある何かを呼び起こされているような――そんな不思議な感覚。
そして、家に帰ってから見つけた日記。
そこに記されていた、自分ではないもう一人の自分の記憶。
サトコ。
駒。
ジャンヌ。
そして、自分自身――ジェーン。
彼女たちと過ごした青春の日々。
その記憶を綴った日記を読み終えた時、ナデシコは気付いてしまった。
(そうだ……)
もう一度、あの三人に会いたい。
(ワタシは、あの人たちにもう一度会いたいんだ)
だから、走っている。
理由なら、ちゃんとあった。
ただ、それに気付くまでに少し時間が掛かっただけだ。
(だけど、どこに行けば……)
ナデシコは走りながら、必死に記憶を巡らせる。
学校?
それとも、あの三人の家?
そんなもの、知るはずがない。
だが、その時だった。
ひとつの場所が、脳裏に浮かんだ。
(神社……)
ナデシコが意識を取り戻した場所。
大きな樹。
そして、そこにいた三人の少女。
もしかしたら。
あの場所に行けば、何か分かるかもしれない。
あの三人も、同じようにあの場所へ向かっているのではないか。
いや――
そこに行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
自分の失われた一年間。
もう一人の自分。
そして、今日出会った三人。
全てを繋ぐ何かが。
(行ってみよう)
そう決めた瞬間、ナデシコの足取りがさらに速くなる。
もう迷いはなかった。
ただひたすら前を向き、足を動かす。
十分ほど走った、その先。
住宅街の向こうに、大きな木々に囲まれた社が姿を現した。
新学期初日の夕刻近く。
人の気配が薄れ始めた境内は、まるで街中から切り離された別世界のようだった。
ナデシコは階段を駆け上がる。
大きな鳥居を潜り、広い境内を進む。
そして、拝殿で手を合わせた後、その脇を抜けてさらに奥へと向かった。
そこに――
あった。
樹齢千年は優に超えているであろう、巨大な梛の樹。
夕暮れの静寂の中で、その大樹は悠然と聳え立っていた。
圧倒的な存在感。
それなのに、不思議と恐ろしさはない。
むしろ、全てを優しく包み込んでくれるような温かさを感じる。
「すごい……」
思わず、ナデシコの口から感嘆が漏れた。
その時だった。
「あれ? 誰かいる」
背後から、快活な声が聞こえた。
ナデシコが振り返る。
「あっ」
そこに立っていた少女を見て、二人はほぼ同時に声を上げた。
ポニーテールに結んだ栗色の長い髪。
快活そうな笑顔。
学校のグラウンドで自分に向かって飛んできた野球ボールを、見事な動きでキャッチした少女。
彼女だった。
「おっ、他にも誰かいるじゃねぇか」
今度は別の方向から、粗野な声が響く。
振り返ると、そこには金髪ショートヘアの少女が立っていた。
聖ヴァレリア女学院の制服。
日本人離れした金髪碧眼。
そして、手には年季の入った金属バット。
「って、あれ?」
金髪の少女はナデシコを見るなり、目を細める。
ナデシコも息を呑んだ。
間違いない。
帰り道で出会った少女だ。
「お前……」
金髪少女が何かを言いかけた、その時――
「あれぇ? 何でこんなに人がいるの?」
今度は、別の場所から人懐っこい声が響いた。
ショートカットの少女が、ひょこりと姿を現す。
「あっ、キミは……」
その少女も、ナデシコを見た瞬間に驚いた表情を浮かべた。
学校のトイレで出会った少女。
「サトコ」と呼ばれていた少女。
四人の視線が交差する。
誰も、何も言わない。
示し合わせたわけではない。
約束したわけでもない。
それなのに。
同じ場所に。
同じ時間に。
四人が集まった。
その瞬間――
ざわっ!
突然、大樹の枝葉が大きく揺れた。
「な、何?」
四人が一斉に大樹を見上げる。
風など吹いていない。
それなのに、まるで大樹そのものが目を覚ましたかのように、枝葉が激しくざわめいている。
そして――
薄い茜色の空から、四本の光の柱が降り注いだ。
「きゃあぁぁぁッ!」
眩い光が、それぞれ四人を包み込む。
「な、何これ!?」
「うおっ!?」
「きゃっ!」
「ひゃあああッ!」
光は次第に強くなっていく。
そして――
四人の身体へと吸い込まれるように収束していった。
やがて。
光が完全に消える。
静寂が戻った。
四人は、その場に膝をついていた。
「……ん?」
最初に顔を上げたのは、ナデシコだった。
まるで長い眠りから目覚めたばかりのような、気怠げな表情。
そして、周囲を見回す。
「あら?」
そこにいた三人の顔を見た瞬間――
ナデシコの瞳が大きく見開かれた。
「駒ッ!」
次に、金髪の少女を見る。
「ジャンヌッ!」
そして、ショートカットの少女へ。
「シャルロットッ!」
その瞬間。
三人の表情も一斉に変わった。
「ジェーンさん! ジャンヌさん! シャルロットさん!」
ポニーテールの少女――駒が声を上げる。
金髪少女が続く。
「ジェーンさん! 駒さん! シャルロットさん!」
そしてショートカットの少女も声を上げた。
「ジェーン! 駒ちゃん! ジャンヌさん!」
四人の間に、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。
そして――
「ワタクシたち……」
ナデシコ――いや、ジェーンの瞳に涙が浮かんだ。
「また、ここに帰ってこれたのですわねッ!?」
「ジェーンさん!」
駒が駆け寄る。
「よかったです……!」
ジャンヌも二人の肩へ手を伸ばす。
「また会えたんだ……!」
シャルロットも笑顔を浮かべる。
四人は互いの手を取り合い、再会を喜び合った。
それはまるで――
長い旅を終えた仲間たちが、再び故郷へ帰ってきたかのようだった。
しかし。
やがて駒が、ふと神妙な表情を浮かべる。
「でも……」
三人の顔を見る。
「ここでお別れした後、確かに元の時代に戻ったはずです」
「はい」
ジャンヌが頷いた。
「そして、二度目の処刑に臨みました」
「うん」
シャルロットも静かに続ける。
「これでホントに最後だと思った。でも……」
四人の視線が、大樹へ向けられる。
ナデシコ――ジェーンも、ゆっくりと顔を上げた。
「そうですわね……」
巨大な梛の樹を見上げながら、涼やかな声で呟く。
「きっと、イジワルな神様の気まぐれですわ」
その言葉に――
三人は顔を見合わせた。
そして、笑った。
そんな中。
「そういえば、シャルロット!?」
ジェーンが突然、何かを思い出したように声を上げた。
「え?」
シャルロットが振り返る。
「ワタクシとナデシコさんは性格が全然違いますわ」
ジェーンは、自身の胸に手を当てる。
「駒もジャンヌも宿主と性格が全然違うのに……」
そして、シャルロットを指差す。
「なぜアナタだけは変わらないんですの?」
「ああ、それ?」
シャルロットは、けらけらと笑った。
「最初にこの時代に転生した時も、妹や家族からあんまり不思議がられなかったからね」
そして、自分の胸を軽く叩く。
「覚子とアタシは似た者同士なんだよ」
「そうですの……」
ジェーンは納得したように頷く。
だが――
その時だった。
「……あら?」
ジェーンが、不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
ジャンヌが訊ねる。
「ワタクシ……今日あった出来事を覚えています」
「え?」
三人が目を見開く。
「今日だけではありません。ナデシコさんが物心ついた頃からこれまでの記憶が……ワタクシの中に全部ありますわ!」
「……ッ!」
駒とジャンヌとシャルロットも、自分自身の記憶を確かめるように目を閉じる。
そして――
「私もです」
「ワタシにも」
「アタシも」
三人が顔を上げた。
ナデシコとして生きてきた記憶。
ジェーンとして生きてきた記憶。
その両方が、確かに自分の中に存在している。
「どういうことなんでしょう?」
駒が首を傾げる。
「ただの転生とは違うのでしょうか?」
ジャンヌも考え込む。
「ん~……」
シャルロットが腕を組む。
「つまり……」
少し考えた後。
「融合したってコト?」
「融合……」
ジェーンが呟く。
その言葉が、妙にしっくりくる。
けれど――
誰にも、本当の答えは分からない。
「まあ、その辺のことはおいおい考えるとして」
ジェーンが、ぱん、と手を叩いた。
三人が顔を上げる。
「それよりも、ワタクシたちには今すぐやらなければならないことがありますわ」
その表情から、先ほどまでの戸惑いが消えていた。
「そうですね」
駒が穏やかな笑顔を浮かべる。
「ワタシたちにとって、とても大切なことですからね」
ジャンヌも胸に手を当て、力強く頷く。
「じゃあ、まずはどうする?」
シャルロットが試すような口調で尋ねる。
ジェーンは、にっこりと笑った。
「決まってますわ」
そして――
「参りましょう。『舞姫』に!」
かつて四人が青春を過ごした場所。
そして、アルバイトを通じて世話になった恩人がいる場所。
その名を口にした瞬間、四人は一斉に駆け出した。
「待ってください、ジェーンさん!」
「先に行かないでくださいよ、ジェーンさん!」
「ジェーンは、相変わらず元気だなぁ!」
晴れやかな笑い声を響かせながら、三人もその後を追う。
やがて――
境内から四人の姿が消えた。
再び、静寂が戻る。
誰もいなくなった大樹が、夕暮れの空へと枝を伸ばしている。
その枝の上。
風に揺れる葉の間から――
白い獅子毛が、ふわりと舞った。
それは風に乗り、静かに宙へと消えていく。
まるで――
四人の再会を見届けた、何者かの痕跡のように。




