第72話 普通のJKナデシコの日常⑧
ナデシコは震える指で、次のページをめくる。
そして――
「えっ!?」
すぐに目を大きく見開いた。
そこに記されていた日付は――タイムリミットの前日。
おそらく、このノートに書かれた最後の記録。
その冒頭には。
『ナデシコさんへ』
そう書かれていた。
「……ワタシへ?」
ナデシコは、息を呑んだ。
早まる鼓動を必死に抑えながら、続きを読む。
『アナタがこれを読んでいる頃、ワタクシはもうこの時代にはいないはずですわ』
その一文を読んだだけで、胸が締め付けられた。
『ワタクシは、不思議な縁に導かれてアナタの体に転生しました』
『突然、違う時代の違う国へとやって来たワタクシは戸惑い、苦悩しましたわ』
『それでも、優しいご両親や周囲の方々の支えがあって、ここで生きてゆくと決心致しました』
『そして、ワタクシが前世で果たせなかった青春を謳歌しようと、いろいろなものに挑戦致しましたわ』
『かけがえのない友人を得て、バンドというひとつのグループとして活動した日々は、間違い無く青春そのものでした』
『それはワタクシにとって、儚い夢のような出来事で、かけがえのない宝物でした』
ナデシコの目が、少しずつ潤んでいく。
『ですが、夢はいつか醒めるもの……』
『ワタクシは、あるべき場所へと帰ります』
そして。
『最後に、ナデシコさんにお伝えしたいことがあります』
『決して、ご自身を否定しないでください』
『ナデシコさんは、一人ではありませんわ』
『ご両親。ご学友』
『恐れずに歩み寄ってください』
『ご自身が思っている以上に、アナタは愛されておりますのよ』
『どうか、それを忘れないでくださいまし』
その言葉を読んだ瞬間。
ナデシコの頬を、一筋の涙が伝った。
『それから……これはワタクシのワガママなのですが、ワタクシたちの作った曲を是非聴いてくださいませ』
『その上で、ワタクシのギターを弾いてくださったなら幸いです』
『ありがとう』
『さようなら』
『もう一人のワタクシ……』
最後の文字まで読み終えた。
それでも、ナデシコはしばらく動けなかった。
ぽたり。
頬から落ちた涙が、ノートの紙を濡らす。
「あれ……?」
ナデシコは慌てて目元を拭った。
「何で……ワタシ……」
記憶などない。
この一年間を過ごしたのは、自分ではない。
日記に書かれていることだって、まるで絵空事のような話だ。
なのに。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
どうして、こんなにも胸が苦しいのだろう。
そして――
どうして、こんなにも愛おしいのだろう。
「……もう一人の、ワタシ」
ナデシコは、そっとノートを閉じた。
涙を拭いながら、ゆっくりと部屋を見回す。
自分の部屋。
けれど、今はもう以前とは違って見えた。
この一年間を過ごした誰かの痕跡が、そこかしこに残っている。
机。
ベッド。
壁。
そして――
ギタースタンドに立て掛けられた、一本のエレキギター。
「……曲」
ナデシコは呟いた。
もう一人の自分が最後に残した言葉。
ワタクシたちの作った曲を聴いてほしい。
その上で、ギターを弾いてほしい。
「曲が残ってるとしたら……」
ナデシコはベッドの上に投げ出したままになっていたスマートフォンを手に取った。
電源を入れる。
そして音楽アプリを起動した。
これまで、ほとんど触ったことのないアプリだった。
いくつかの音源が並んでいる。
その中に――
「あ……」
見知らぬMP3ファイルがあった。
ファイル名を見つめる。
「Seem a……Fleating Dream?」
少しだけ首を傾げる。
綴りも、意味も、よく分からない。
けれど。
なぜか、それが自分たちの曲なのだと分かった。
「……これ」
ナデシコは再生ボタンを押した。
瞬間。
部屋の中に、音が流れ始めた。
「……!」
ギター。
ドラム。
ベース。
そして、歌声。
決して完璧な演奏ではない。
音には粗がある。
録音状態も良いとは言えない。
プロの作品と比べれば、完成度は到底及ばないだろう。
だけど――
そんなことはどうでもよかった。
音のひとつひとつから、演奏者たちの必死さが伝わってくる。
音を合わせようとして。
失敗して。
それでも笑って。
また演奏して。
何度も何度も繰り返して。
そして、ようやく一つの曲にした。
そんな姿が、目に浮かぶようだった。
「……」
ナデシコはスマートフォンを握り締めたまま、呆然と音楽を聴いていた。
胸の奥が熱くなる。
涙が、また頬を伝う。
だけど今度は、悲しい涙ではなかった。
知らなかった。
こんな世界があるなんて。
知らなかった。
自分にも、こんなものが残されていたなんて。
そして――
知らなかった。
自分の中に、こんな感情があったなんて。
「これが……」
曲が盛り上がっていく。
演奏する音が重なっていく。
まるで、何かを掴もうとしているように。
まるで、どこまでも走り続けようとしているように。
ナデシコの胸の奥で、今まで感じたことのない衝動が膨れ上がっていく。
そして――
「これが……青春ッ!?」
ナデシコは、勢いよく立ち上がった。
スマートフォンを握り締めたまま、部屋の扉へと駆け出す。
何をするつもりなのか。
どこへ行くのか。
自分でも分からない。
ただ一つだけ。
今、このままじっとしていることだけはできなかった。
もう一人の自分が残したもの。
その一年間を。
その青春を。
自分自身の目で確かめたい。
ナデシコは、勢いよく部屋を飛び出した。




