第66話 普通のJKナデシコの日常②
ナデシコは胸の奥のもやもやを抱えたまま、教室へと足を踏み入れた。
席に着いて間もなく、教室前方の扉が開く。
生徒たちの雑談が自然と収まった。
入ってきたのは、小柄な若い女性教師だった。
大きな眼鏡。
肩まで伸びた髪。
どこか小動物のような雰囲気を持つ人物である。
教師は教壇へ立つと、黒板に大きく名前を書いた。
『那波 侑』
そして振り返り、ぺこりと頭を下げる。
「二年一組を担当することになりました、那波侑です。これから一年間、よろしくお願いします」
生徒たちから拍手が起きる。
ナデシコも慌てて拍手に加わった。
「一年の時も同じクラスだった方も何人かいらっしゃいますね。引き続きよろしくお願い――」
そこまで言った時だった。
那波の視線が教室後方で止まる。
そして、
「……灰島さん。今年もどうか、お手柔らかにお願いしますね?」
なぜかお願いするような口調で言った。
「え?」
ナデシコは思わず間抜けな声を漏らした。
教室中の視線が集まる。
「あ……はい」
反射的に返事をするしかない。
だが意味が分からない。
なぜ教師が生徒に対して「お手柔らかに」と言うのだろう。
まるで自分が問題児だったみたいではないか。
(去年のワタシ、一体何してたの?)
不安がさらに大きくなる。
失われた一年の中で、自分はどんな人間だったのだろう。
考えれば考えるほど怖くなった。
◇
ホームルームが終わると、今度は全校集会が始まった。
新入生と在校生が初めて顔を合わせる恒例行事である。
生徒たちは廊下へ出て、クラスごとに整列していく。
ナデシコも列の最後尾付近に並んだ。
すると背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
「あれ? うちらと一緒に並んでていいのかよ?」
振り返る。
先ほど教室の前で声を掛けてきた、あのギャル風の女子だった。
(そういえば……)
ナデシコは記憶を辿る。
ホームルームで自己紹介をしていたはずだ。
(たしか、名前は……)
そこまで考えたところで思い出す。
八塚見だ。
「え?」
ナデシコは首を傾げる。
同じクラスなのだから、一緒に並ぶのは当然ではないのだろうか。
(もしかして、『お前の席はねぇから』的な嫌がらせ!?)
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。
八塚見は呆れたように言った。
「今日の集会で、生徒会長の挨拶があるんだろ? 先に行って準備とかするんじゃねぇの?」
(ああ、そういうことか)
ナデシコは胸を撫で下ろした。
一瞬でも悪意を疑った自分を反省する。
しかし――
すぐに、ひとつの単語が脳内で引っ掛かった。
生徒会長?
誰のことだろう?
ナデシコは恐る恐る訊ねた。
「あの……つかぬことをお聞きしますが、生徒会長とは、どなたのことでしょう?」
数秒の沈黙。
八塚見はぽかんと口を開けた。
「はぁッ⁉︎」
信じられないものを見る目だった。
そして髪をくしゃくしゃと掻きながら、
「アンタだろ」
そう言って、ナデシコを指差した。
世界が止まった。
数秒間、ナデシコは完全に思考停止した。
そして――
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理ッ!!」
ものすごい勢いで首を左右に振る。
「生徒会長とか、人前で挨拶とか、絶対無理です! ワタシには荷が重過ぎます!!」
半泣きだった。
いや、ほぼ泣いていた。
「そう言われてもなぁ……」
八塚見は苦笑する。
「あんなにやる気になって生徒会長になったのはアンタだし」
「そんなぁ……」
ナデシコは膝から崩れ落ちた。
床に両手をつく。
絶望である。
心の底から絶望だった。
そして天を仰ぎ、
「去年のワタシ、何してくれてんのーーーーッ!!」
魂の叫びを廊下へ響かせた。
周囲の生徒たちが何事かと振り向く。
しかし、本人はそれどころではない。
ナデシコは頭を抱えて懊悩するのだった。
「……アンタ、やっぱおもしれーヤツだな」
そんな哀れな少女の姿を見て、八塚見は苦笑する。
その時だった。
ピンポンパンポーン――
校内スピーカーから電子音が流れ、続いて事務的な女性の声。
『二年一組の灰島ナデシコさん。至急、生徒会室までお越しください』
淡々とした口調のアナウンスが、校内を駆け巡るのだった。
普通の女子高生・灰島ナデシコ――
試練の時が、容赦なく訪れた瞬間だった。




