第57話 処刑エンド令嬢、それは夢か幻か
それは、まるで夢のような出来事だった――
もしかしたら、本当に白日夢を見ていたのではないか?
あるいは、四人そろって集団幻覚にでも遭っていたのではないか?
だが、よく考えれば――
歴史の片隅で消えたはずの少女たちが、こうして令和の時代に生きていること自体、最初から夢のような話だったのだ。
これまでの、充実した青春の日々。
かけがえのない友と笑い合い、歌い、未来を語った時間。
それこそが夢であり、次に目覚めた瞬間、処刑直前のあの絶望の場面へと引き戻されるのではないか?
冷たい石畳。
歓声と罵声。
掲げられた刃。
あの地獄の現実から逃げるために、脳が作り出した幻想が“今”なのではないか?
そんな疑念が、ふと胸をよぎる。
――ピピピピピピ。
けたたましいアラーム音が、思考を断ち切った。
ジェーンは、はっと目を開ける。
見慣れた天井。
いつものベッド。
整えられた自室。
いつもの、令和の朝だ。
「……夢では、ありませんのね」
安堵が、胸に広がる。
だが次の瞬間、梛の大樹の下で見た、あの獣面の人物の姿が脳裏に浮かぶ。
三月末日――
タイムリミット――
重い現実を思い出し、胸がずしりと重くなる。
あれから一週間ほどが経った、新学期の初日。
その間、四人はバイト先で顔を何度か合わせたが、バンドに関する話題は誰も口にしなかった。
当然、練習もしていない。
誰もが、意識的に避けていた。
ライブという言葉を口にすれば、三月末日を思い出してしまうから。
学校へ向かう道すがら、ジェーンは無意識に空を見上げる。
澄んだ青空。
それはあまりにも穏やかで、そして残酷だった。
校門をくぐると、ちょうどシャルロットと顔を合わせた。
「……ごきげんよう、ですわ」
「……おはよ」
短い挨拶。
それ以上の言葉は、続かない。
視線が合っても、どこか踏み込めない。
お互いの胸の奥にあるものを、触れてはいけないような気がして。
放課後――
ジェーンが机に向かったまま動かずにいると、近くで足音が止まった。
「おい」
ぶっきらぼうに呼びかけられて顔を上げると、そこに立っていたのは八塚見だった。
「ライブ、今度はいつやんの?」
その一言に、ジェーンの肩がわずかに跳ねる。
胸の奥で、鋭く抉られたような痛みが走る。
「……分かりませんわ」
目を逸らし、突き放すように答える。
「練習、ちゃんとやってんのか?」
追い打ちのような問いに、机の端を握る指先に力がこもる。
やっていない。
出来ない。
やれば、終わりを意識してしまうから。
喉が詰まって、声が出ない。
八塚見は、小さく舌打ちした。
「まるで、ちょっと前までのあたしみてーじゃん」
その言葉に、ジェーンの眉がわずかに動く。
「アンタ、前に言ったよな? 何も選ばないのは逃げだ、って」
心臓が強く打つ。
かつて、自分が言った言葉。
逃げるな、と。
選べ、と。
過去の自分の姿が、脳裏によみがえる。
「なのに、今はそのアンタが逃げてる。おかしな話だよなぁ」
おかしな話――
その一言が、胸の奥に落ちた。
処刑台の前で震えていた自分。
何も選べず、流されるしかなかったあの日。
――違う。
逃げるかどうかを決めるのは、自分だ。
消えるかもしれない未来より、今どう在るか。
それを選べるのが、今の自分だ。
ジェーンはゆっくりと顔を上げる。
「……確かに、おかしな話ですわね」
小さく笑う。
だがその瞳の奥で、何かが確かに灯る。
「ワタクシが逃げているだなんて、ナンセンスなジョークですわ」
椅子を引き、立ち上がる。
背筋が、すっと伸びる。
俯いていた視線が、まっすぐ前を向く。
「心配ご無用ですわ。ワタクシたちは、次回のライブに向けて鋭意邁進中ですのよ。詳細は追って待て、ですわ」
声音にはっきりとした張りが戻り、机を握っていた指先から、スッと力が抜ける。
「映画制作の告知かよ」
八塚見が鼻で笑う。
ジェーンはカバンを持ち、扉へ向かう。
途中で一度だけ立ち止まり、振り返らずに言う。
「ありがとう……ですわ」
その声は小さかったが、確かな強さを含んでいた。
教室を出た瞬間、ジェーンは深く息を吸う。
三月末日まで、まだ時間はある。
終わりが決まっているからといって、立ち止まる理由にはならない。
処刑台で震えていた少女は、もういない。
選ぶのは自分。
抗うのも自分。
どのようにタイムリミットを迎えるかどうかを決めるのも――自分だ。
背筋を伸ばし、歩幅を広げる。
廊下を進むその姿は、確かに以前よりも強い。
教室の中で、少女の後姿を見送った八塚見は髪をかきあげ、
「まったくよ……らしいんだか、らしくないんだか、分っかんねぇな」
そう呟きながら口元を緩めると、どこか安心したように目を細めるのだった。
処刑エンド令嬢s――
逃げる未来を拒み、自らの意志で春へと歩き出した瞬間だった。




