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終章

 

 目の前が暗転する。

 足元の床が抜けて、どこまでもどこまでもちていく、そんな感覚に襲われた。

(嘘よ! そんなはずがないわっ‼)

 大声を上げて妹の言葉を否定してやりたかったが、喉を絞められているかのように声が出て来なかった。

 代わりに妹の甲高い笑い声がきゃらきゃらと響く。

「ありがとう、お姉様。本当に素晴らしいわ。わたくしが成し遂げられなかったことを、お姉様が既に成し遂げて下さっていたなんて!」

 妹は幼子のように、はしゃいで手を打ち鳴らした。

「ああ、どうしてもっと早く教えてくださらなかったの? そうと知っていたら、わたくしがこんな目に合うこともなかったのに!」

 妹は気が狂ったかのように、ころころと表情を変える。悔し気な顔をしたかと思えば、次の瞬間には満面の笑みとなった。

「ねえ、お姉様。その様子だと、まったく気付いていなかったのでしょ?」

「やめてモルガナ。お願い。もう何も言わないで頂戴」

 気付くわけがない! 

 アンナはモルガナとは違い、あの子が産まれる前にロット王のもとに嫁がされたのだから。


 十五の時だった。妹のエレインは十三で、モルガナは六歳。

 ウーゼル王によってアンナとエレインは母親から引き離され、それぞれ嫁がされた。以後、弟の誕生日も母親の死も人づてに聞かされただけだった。

 だから、まったく知らなかったのだ。まさかログレスのアーサーが異父弟だとは。

 アンナが嫁いだロット王は、父親ほど年が離れていた。彼はアンナにとても優しかったが、どうしてもアンナはそこに愛を見出だせなかった。

 やがてウーゼル王が死に、王不在の時期が幾ばくか過ぎたある日、少年王が聖剣を抜いたとの報せがオークニーまで届いた。

 ロット王は少年王の即位式のためにキャメロットに出向くことになったが、少年は十五歳の孤児、ロット王は少年の即位を快く思っていなかった。

 ――アンナ、頼みたいことがある。

 ロット王は言った。

 ――わたしが相手では見せない本性を君に見定めて貰いたい。

 アンナは少年アーサーの人となりを探るために身分を隠し、ロット王の侍女として共にキャメロットに向かうこととなった。

 そして、アンナの瞳に映ったアーサーは、若々しく美しい少年王だった。

 その美しい少年が重い王冠を被り、大きな玉座に心細そうに座る姿は、なんとも痛ましくアンナの胸を締め付けた。

 助けてあげたい! 護ってあげたい! アンナは生れて初めて強烈に心を動かされた。

 即位式が終わり、連日続く予定の宴が始まると、人々はアーサーそっちのけで騒ぎ始めた。十五歳の少年は酒の付き合いができず、国々の事情にも疎かったためだ。

 しばらくは所在なく玉座に座っていたアーサーだったが、やがて広間を抜け出し、夜の庭へと歩き始めた。

 その時だった。アンナがアーサーに初めて声をかけたのは。


「お姉様、ご存じ?」

 過去の記憶の中に意識を彷徨わせていたアンナに向かって、モルガナは笑みを浮かべながら語りかけてきた。

「わたくしたち姉妹の中でお姉様が一番お母様に似ているの。そっくりなのよ。きっとアーサーは無意識にお姉様の中にお母様を見たのよ。たとえアーサーがお母様を覚えていなくてもね」

「あの子は、誰でもいいから縋り付きたいくらいに心細くて寂しかったのよ。そこに偶々わたくしがいただけ。……ああ、どうして。いてはならなかったのに」

「いいえ、その場にお姉様がいてくださったことにわたくしは感謝しています。この事実を知れば、アーサーはどうなることか」

「だめよ! やめて! いけないわ!」

「あら、どうして?」

 モルガナは瞳をくるくると輝かせて、さも楽し気に笑う。

「お姉様のおかげで、わたくし今とても嬉しいの。だって、お姉様ったら、子供まで産んでくださったのですから。本当に素晴らしいわ。罪の子。アーサーの罪の証。あの子はいずれアーサーを滅ぼす剣となるわ。そのいずれ訪れる日に備えてモードレッドはわたくしが教育してあげる。いいでしょう?」

「モルガナ……やめてちょうだい。放っておいて欲しいの。何も知らないのよ、アーサーもモードレッドも。アーサーはわたくしがロット王の妃だということさえ知らないわ。わたくしがっ、わたくしひとりが悪いのです。お願い、モードレッドを巻き込まないで」

 アンナは跪いてモルガナの白いドレスを両手で掴んで縋り付いた。

「わたくしが、わたくしがひとりで地獄に堕ちます。だから、どうかお願い。お願いよ、モルガナ」

 モルガナの冷ややかな青い瞳がアンナを見下ろす。

「大丈夫よ、お姉様。地獄にはわたくしもご一緒しますから。すべてわたくしにお任せになって、大人しくしていてくださいね。――それとも、今すぐ皆にすべてを打ち明けましょうか?」

 ひっ、とアンナの喉が鳴る。息が詰まり、言葉を失った。

 その沈黙をモルガナは承諾と見なして笑った。アーサー、と彼女は女性にしては低い声で憎い相手の名を呼ぶ。

「覚えておきなさい。お前だけが幸せになるなんて許さない。必ずお父様とお母様の仇を打つわ。アーサー、お前を闇の底に引きずり落としてやる」

 そのためにモルガナは何だってする。悪魔との契約も厭わない。どんなに己の魂が汚れようと構わない。

 父の代わりに、ウーゼルが治めていたログレスを滅ぼす。

 母の代わりに、ウーゼルの息子であるアーサーを殺す。

 それだけが彼女の望みだ。

「ふふふふっ」

 モルガナは込み上げて来る笑いを抑えることなく溢れさせた。

 新しい武器を手に入れて幸せだった。嬉しくて嬉しくて堪らない。

「あははははははははは。ふふふっ。アハハハハハハハハハ! あーはははははははは!」

 足元でアンナが気を失い、床に倒れた。その様子を見ても嬉しい気持ちは止まらなかった。

 とても抑えきれない! 

 彼女は背を反らし、胸を張り、息の続く限り笑い続ける。すると、彼女の背中に大きな大きな蝶の翅が現れた。

 ただ人には見ることのできないその翅は、青白い鱗粉をチラチラと舞い散らしながら鮮やかに青く、恐怖を覚えるほどに美しく、艶めかしく、そしてゆっくりと広がるように左右に開いていく。

 モルガナが高らかに笑う、その声に別の女の笑い声が重なる。女は、この事態を喜んでいるのか、楽しんでいるのか、それとも、血の繋がった弟の子を産んだアンナを嘲笑っているのか。――いや、違う。何も成しえなかったモルガナを嘲笑っているのだ。

 モルガナは笑えば笑うほどまるで美酒に酔わされたかのような心地良さに溺れ、狂気に満ちた笑い声を響かせ続けた。そして、彼女は知るのだ。

 彼女の足元には深く濃い闇が広がり、罪深い腕を伸ばして、彼女の身体にまとわりついている。

 彼女こそ彼女の悪魔の美酒である、と。










 おわり






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