その少女、黒歴史製造中につき取扱注意!67
翌日、日ノ下は荷渡にお礼を言うためにBHEの拠点に顔を出した。事務所風の内装の中、彼女はソファで丸くなっていた。日ノ下のクラスの一件が解決したおかげで余裕ができたようだ。
こもり気味の空気の中を泳いで日ノ下がソファのそばまで行くと、タイミングよく荷渡が目をぱっちり開く。スロー再生をしているビデオのようにゆったり体を起こし、彼女は復活したクマの上に乗った瞳をこする。寝ぐせも直していないので気味悪さが戻ってしまっている。
「やぁ、文化祭の準備はいいのかい?」
「よくはないな。すぐに戻る。改めてお礼を言っておこうと思ったんだ。昨日はありがとう。助かった」
「ま、ボクにできることなんてアレくらいだったしね。で、どうだった? 可愛かった?」
「答え辛い問いだな」
「ほらほら、さっさと答えなよ」
「か……かわいかった」
「そうかいそうかい」と、嬉しそうににまりにまりと笑う。
「それじゃあ、お礼は言ったからな。僕は行くぞ」
頬が熱くなるのを感じたので日ノ下は荷渡に背を向ける。さっさと部屋を出てしまおうと足を前に出すが、一歩を踏み込んでそれ以上進めなかった。
背中に抵抗を感じた。制服のすそを掴まれていたのだ。最近よくこうやって引き留められるな、と日ノ下は頬をかく。
「日ノ下くん――なんかね、今君がここを出たら二度と戻ってこない気がするんだ」
制服を掴む荷渡の手をちらりと見ると、小さく震えていた。こもった空気の湿っぽさが増したような気がした。
「君は浮雲ちゃんのことを解決してしまった。彼女の妄想は消え去ったんだ。転校させられる心配はもうない。なら、ここにいる理由はないからね……」
そう。浮雲の物語は、妄想は、昨日で終わった。
……荷渡。
やっぱり根はいいやつなのだ。
「なに言ってるんだよ。僕にはまだお前から取り返さないといけない物があるんだよ」
なぜなら、日ノ下の黒歴史ノート――脅しの道具を使わなかった。人手が足りないならば、居残るように言いたいならばBHEの活動を続けないとノートの中身をばらまくぞと脅してしまえばいい。
浮雲の妄想を知った日ノ下がBHEに参加しなかったら、本当に生徒会長に転校させられていただろう。それを防ぐために、荷渡は脅すような真似をして日ノ下をBHEに縛り付けたのだ。彼女の脅しがなければ――日ノ下はBHEに居続けることはしなかったかもしれない。
日ノ下の言葉に荷渡がはっと顔を上げる。そして、それはそれはわざとらしく気味の悪い笑みを作り上げた。
「そ、そうだよ! BHEの仕事をしてくれないと返さないからね!」
「努力するよ」
不思議だ。
あれほど嫌だったBHEに、いてもいいと思えるようになるとは。
荷渡には言わないが、大きな借りができた。
あの日の挫折。それはいつか気づいていただろうどうしようもない事実。
それを気づかせてくれたのが荷渡で、再び自分の前に現れてくれた。そしてたった一言「ありがとう」と言ってくれた。そのおかげで日ノ下は浮雲の元へ踏み出せた。
「そういうわけだからそろそろ行くからな」と、荷渡の手から解放された日ノ下はドアの前に立つ。
それを測ったかのように「日ノ下!」と、勢いよく女子更衣室のドアが開いた。
顔面にドアのマッハパンチを食らったのは言うまでもない。
入ってきたのは浮雲だった。
「痛いぞ……なんだよ」
ひりひり痛む鼻を押さえながら日ノ下は入ってきた浮雲をねめつけた。
「さぼりはだめ。早く帰る」
不機嫌を表すかのように浮雲のポニーテールがぴこぴこ揺れる。
わずかだが、一度に話す言葉が増えていた。おかげで日ノ下は浮雲の心を覗き見る必要が少なくなってきた。これからは心を読んだような振る舞いは避けなければいけない。
浮雲の観察者という妄想が終わったのは、学校に来てから日ノ下は雨音と共に確認した。
「部長にしばらく出れないって伝える必要があったんだよ」
浮雲にとって荷渡も観察者だった。どんな反応をするか、日ノ下は注意深くうかがう。
「そう。不良の部活に許可なんて必要?」
前に浮雲になんて説明したっけな。確か、人間観察倶楽部? サークル? いまいち覚えてないな。




