その少女、黒歴史製造中につき取扱注意!68(完結)
「浮雲ちゃん」と、荷渡が呼ぶ。
「なに?」
「変だと思うけどさ、昨日までのボクと今日のボクはなんか違うなぁって感じるんだ。君はなにか知らないかい?」
「それはあなたが変なだけ」
ある意味正しい反応だ。昨日まで妄想に飲み込まれていた変な人に変な人扱いされた荷渡はむっとしたようだ。
「君はさ、昨日までの日々をどう思ってるの?」
これは確認テストのようなものだと日ノ下は悟った。昨日までの自分を客観的に見られているか。さらに言えば、昨日までの自分を黒歴史に思っているか。
「夢の中にいた感じ」
『夢の中で夢を叶えようとしてたのよ』
「夢の中で夢を叶える? おっと」
浮雲が心の中で言ったことについつい反応してしまった日ノ下だった。浮雲に訝しむ目を向けられる。
さっき自分を戒めたばかりなのにすぐこれか……。
「なんとなく浮雲がそう思ってる気がしたんだよなぁ。不思議だなぁ」
下手な口笛を吹きたくなるほど白々しく日ノ下は誤魔化しの言葉を吐いた。
「……そう」と、浮雲は頷くと、浮雲が遠くを見るような目で白い天井を見る。
『神様がきっと私にプレゼントをくれたのよ。他の誰も知らない夢を私に見せてくれたの。だって、私は観察者の存在を願ったのだから』
それは心の中の独白だった。語る彼女の唇から目が離せなかった。
『口下手な私と話してくれる存在が欲しい。忘れてたけど――はじめはそんな願いだったわね』
それは日ノ下にとって意外だった。浮雲は観察者を敵視していたはずだ。
『中学生の頃に――ちょっとこじれちゃったわね』
文化祭実行委員を引きずり降ろされたときに、浮雲は観察者という妄想に、話し相手でなく敵というタグを取り付けてしまったわけだ。
『日ノ下がいてくれてよかったわ。おかげで夢の中で願いが叶ったわ。悪夢で終わらなかった』
浮雲の様子からも黒歴史ができたようには感じない。観察者の妄想はもうあそこで終わったのだ。他の誰も知らない夢で処理されているなら、もう浮雲がこの件に関する黒歴史を作ることはないだろう。日ノ下が転校する危険もなくなったわけだ。
「なに天井に見惚れてるの? 気持ち悪い」
浮雲が感慨に浸っているのに、幼怪はまったく空気を読まなかった。
「ゾンビ役をやる幼怪に気持ち悪いなんて言われたくない」
「かわ怖なゾンビだよ。気持ち悪い要素なんて一つもないからね。あーでも怖がりな浮雲ちゃんが見たら失禁するかもね」
女子がそんな言葉使うなよ、と日ノ下がツッコむ前に浮雲がムキになって「そんなわけない」と返す。
「映画見た次の日からボクを見るたびにしっきむぐ」
聞いてられないので日ノ下は荷渡の口を押えにかかった。だが、煽り文句として十分効果を発揮したようで浮雲がこれにこたえる。
「上等。真顔で見てみせる」
浮雲の<真顔>の仮面はなかなか固そうだ。竜虎が数秒間睨み合った。妄想が終わっても、二人の間の緊張関係は消えていないようだ。浮雲がくるりと踵を返したことでにらみ合いは幕を下ろす。
「日ノ下。文化祭の準備」
「あ、あぁ……」と、荷渡の口を塞いでいた手を離す。
「尻尾を巻いて逃げないようにね」
「当然」
一言だけ言って、浮雲は女子更衣室を出ていった。日ノ下も後に続く。
沈黙。浮雲と一緒にいる時にこれが一番長い。廊下を歩く二人の足音だけが響いた。窓の枠の傍を通り過ぎるたびに陰影が変化する浮雲の横顔を見ていて日ノ下は気付く。
浮雲の頬が上がっているのに。
「なに?」
「いや、なんでもない」
「……そう。あ、そうだ」
「……?」
「荷渡の映画、一緒に見に行く」
「わかったよ。割とマジで怖そうだから僕も気になってたし」
これから現実の中で生きていくことになった浮雲だけれど、今の彼女は妄想の中にいた時よりも楽しそうに見えた。




