s1:これがわたしの、お師匠(ししょう)さま。
※注意です。
〇このものがたりは、『とり』の書いた長編小説『【異世界転移】をやってみた 《3》 ―パンドラの箱―』の番外編です。
〇ショート・ストーリーです。内容は、本編で名前だけが出てきたキャラクター【マーリン】と、その弟子たちの話です。
(※女性の入浴シーンが出てきます。)
〇以上の点に抵抗のあるかたは、読まないことをおすすめします。
無人島と銘打たれた孤島、【シチリ島】。
ケルティア大陸北東部に位置する、半島と大橋でつながった小さな島だ。
マーリンという魔法使いが、この小島には住んでいた。
【無人島】と呼びならわされているように、ふつうでは、この魔女を見つけることはできない。
彼女は島と、その周辺に幻惑の魔法をかけ、来るものに島の偽()いつわりのありさま――原生林の生い茂る、美しい森――を幻視させると同時、決して奥へは行けないよう、少し歩けば必ずスタート地点に戻るよう、空間をゆがめてつなげていた。
そんな彼女と会えることは、幸運か、でなければこの上ない不幸を意味する。そして多くの場合、取り返しのつかない不運というのが定石だった。
ましてや。マーリンの弟子になるなどというのは、よほどのタイミングの良さに恵まれていなければならない。遭遇の幸運を持っていたとしても、彼女の気分次第で、訪問者への待遇は、客から実験台へと移動してしまうのだから。
〇
「ぬるーい」
浴室から声がした。女の声だ。魔法使い、マーリンの声である。
格子窓の向こうの、大きな風呂釜のなかにいる。
長い金髪を、自前の入浴剤(そのへんの薬草を煎じたものだ)を散らした湯のなかに浮かせて、檜の枠に白い両肘を引っかけている。
彼女の金色の双眸は、むだに広い浴室ではなく、うしろの、硝子のない窓へと動いていた。その先にいる、最近入った弟子の少女に、もう一度文句を言う。
「エバー。あんた、手ぇ抜いてんじゃないでしょうねー?」
「抜いてないです」
エバは風呂場の外の庭にいた。薪を釜に入れて、火を起こし、湯の温度を調節している。
ただ火のようすにかかりきりというわけではなく、ぱちぱち爆ぜる風呂焚き窯のそばで、月と火の灯りをたよりに本を読んでいた。
エバ――十才ほどの少女である。長い栗色の髪をポニーテールにして、(いつもは流したままだが、作業中は邪魔なのでまとめるようにしている)おしゃれなシャツと、短いスカートを身につけ、サスペンダーで上下を留めている。クツはベルトのついた、きれいなシューズを穿いていた。
この衣装だけを見れば、とても屋敷の小間使いをしているとは思えない。マーリン手製の装いである。
「なんか。ぜんっぜん温まる気配ないんだけど」
マーリンの声が窓のなかからまた飛んだ。
「もうすぐですよ」
「そのセリフ。三桁目だわ」
うんざりとした声にエバは答えず、本のページをめくった。エバとて、さぼっているわけではない。
(効率よくお湯の温度を上げる方法は……)
漫然と火のそばに座っているだけなんて耐えられない。
マーリンの教育では、教わるのを待っていたら、一〇〇〇年経っても一人前になれないのはすでに学習済みだった。
となれば。自分のほしい技術は、自分で学んでいかなければならないではないか。例え失敗して、怒られる羽目になっても――。
(……。これなんかどうかな)
エバは魔法書の一節に目を留めた。窯の火に手をかざし、あたりをつけた文章を読む。
「主は置いた。楽園の東に、火を守る魔物を」
ぼうんッ!!
爆発せんばかりに窯がふくれあがり、めらめら燃えていた炎が一気に火柱に成長した。
急激に温度が上がったために、とーぜん風呂のほうもすぐにぬくもったようで、なかから声が返ってくる。
「エバ、」
「はい。マーリンさん、もうそろそろ調度いいくらいになると思うんですけど」
「摂氏百度の液体を、いい湯加減って言うならね」
……。魔法は失敗だったようだ。というより、魔法は成功だったが、エバが得たかった結果に対して、思うような効果を上げてくれなかった。つまりはただの失敗だ。
マーリンの声がする。
「ま。いっか。冷めるのを待ちましょう」
「魔法で冷ませないんですか?」
「そう思うなら、あんたがやってよ。風呂当番さん?」
「……私がやったら、今度は氷点下になっちゃいますよ」
「ちがいないわね」
自分でやったほうが早いと考えたようで、マーリンは魔法を使った。
エバはここぞとばかり。蒸気でまっ白になったお風呂を窓からのぞき込む。マーリンがリズムよく指を振り、爪先に青い光が灯った。それが冷気をまとっていて、気圧の変化から、軽い風が起こる。
見る間に蒸気は散じて、浴室はヤカンのなかのようだった塩梅から、温泉めいた、湯煙のもようになった。
「……女が女のフロのぞいて、なんか楽しいの?」
「あ。モルガンさん」
青い髪の少年が、エバの後ろを通り過ぎざま胡乱な目を向けた。
彼の腕には、森で拾ってきた、明日のための薪)が抱えられている。
十五才ほどの彼――モルガンは、エバの兄弟子だった。紅顔の美少年で、学士めいた服を着ていて、いかにも知的だ。
奴隷として町の市に出されていた【魔族】だが、マーリンが料理番として買い取り、島につれて来た。
「べつに楽しかないですけど……。ちょっとコツはつかみました」
「なんの? ――って。魔法のか」
モルガンは自分の項を揉んだ。少し長い髪をたばねたものが指先に触れて、しっぽみたいにひょこひょこ揺れる。
「やってみますね。これ私が使えるようになったら、食糧の保存がかなりの期間できるようになるかも」
「かも。……ね」
モルガンはうさんくさそうに薄笑いした。
エバは本をめくって、さっきマーリンが使った魔法に該当するものを見つける。
「これだ……。『主は封じた。奈落の底に、魔の眷属を』」
くるくる人差し指をまわして、伸ばす。その先が偶然モルガンを指し示し、コキーン。と音をたてて、青い髪の少年を氷塊のなかに閉じこめる。
モルガンは「あっ」という驚いた顔をしたまま、透明な氷のなかで固まった。
エバはすぐに、さきほどお湯を沸騰させた火の魔法でもって、氷を溶解させようと考えた。しかし。
あの時の熱のふくれかたを思い出すと、なかにいるモルガンを、木っ端みじんに吹きとばしてしまうかもしれない。
――ふたたびエバは、浴室の窓にしがみついてマーリンをのぞき込んだ。
「あのおー。マーリンさん」
「なによ。一緒には入ってやんないわよ」
「じゃなくて。ちょっと魔法を失敗して……。モルガンさんを、氷漬けにしちゃったんです」
「まじッ。あはははっ。あんた、馬鹿だけどサイコーね!」
大声で笑いつつ、マーリンは風呂から上がる仕度をした。
「で。この大っ天才魔法使い様に、あんたごときの尻拭いをさせようってわけだ」
「悪いとは思ってますけど……。私ががんばったって、失敗して、取りかえしのつかないことになりそうで」
「ふん。賢明な判断ね」
マーリンはさっさと浴槽から出て、湯けむりのなかを歩いた。脱衣所に入り、そこで寝巻に着替えて――といっても私服とあまり変わらない。ノースリーブにミニのスカートだ――外に出る。
「氷漬け……。か。私も昔、えらっそうな精霊を相手に、ちょっといたずらしたもんよねー」
夜の暗がりから月明かりの下に出て、マーリンは肩にかかる濡れた髪を乱暴に払った。
【精霊】といえば、この世界の自然を司る根源で、強大な魔力を持っている――いわば、自然界の覇者である。
「会ったことがあるんですか?」
「大昔にね。つっても。他力本願のつっっまんないヤツだったから、なんかウザくなって火であぶって地面に叩き伏せて顔面蹴っ飛ばして、悔しそうな顔してるところを氷の彫像にして、そのままほうっておいたけど」
我ながら芸術的だったわ。と悦に入りつつ、マーリンは氷に閉ざされたモルガンに指先を向けた。
熱の波紋を送る。
氷の表面がじわじわと溶け、またたくまに、芝生に水溜まりができる。
人の背丈ほどもある氷塊が小さくなり、なかの少年を解放した。
エバは、マーリンが精霊にいたずらをしたというのが、にわかには信じられなかったが……。
「まっ。この調子でがんばんなさい」
ぽん。と少女の肩をたたいて、マーリンは屋敷に引っこんだ。
怒られると思っていたエバは、虚を突かれつつ――。
「……。……自分でなんもしようとしない人には残忍だけど、自分で何かしようと足掻く人には寛容だよな。あの人は」
「うん」
決して褒め言葉ではなく。非難を込めた眼差しをマーリンの消えた暗闇に向けて、(自分が痛い目を見たのに、下手人であるエバが罰を受けないのが不服なのだ)モルガンは言った。
そして彼の言葉の真意には、なにひとつ気づくことなく。
エバは兄弟子の言葉を額面通り受け止めて、それに大きくうなずいた。
(おわり)
読んでいただき、ありがとうございました。




