40:真(まこと)の名前
〇前回のあらすじです。
『行く手をはばむ男たちと戦いになり、ユノが戦闘不能になる』
〇
一対の光がユノの身体から離れていく。
(首が……)
鎌剣を振りぬいた男のずっとうしろから、パンドラはユノが道の向こうに倒れるのを見ていた。
ふっ。と少年の身体が、道の先に消える。傾いた重心が、そのまま彼を、暗い淵にのみ込んだのだ。
山道はかなり登攀していた。下は樹林地帯とはいえ、落ちて無事ではすまないだろう。
(ばかばかしい。そもそも、首が胴体から離れちゃったのに)
パンドラはイラ立たしくかぶりを振った。
ふたりの男がこちらを見やる。
精霊や妖精は、人間のみを毛嫌いする傾向が強いが、こうなっては、魔族であるパンドラも排除の対象だろう。
大男のハインツが、ウォー・ハンマーを持ちあげて、肩にかつぐ。
「どうするお嬢さん。きみは、しっぽを巻いて逃げるか?」
「先の剣士の後を追うって言うなら、手伝うのは吝かではないが」
若い男が、これ見よがしに、双子の短剣を打ち鳴らす。
ここで引き返したところで、パンドラにはなんのデメリットもなかったが、魔族の血のゆえか。単純にパンドラの血の気が多いのか。馬鹿にされて黙っていられるほど、彼女の気位は低くなかった。
「生憎と巻くだけのしっぽもないので。それに、おじさんたちの言うことを聞いたところで、ユノさんが生き返るわけでもなし」
「おじさん……?」
「いちいち反応するな。インボリュート」
若いほうはインボリュートと言うらしい。
(って。名前が分かったところでどうにもなるものではないけど――)
いや……。
(……。なる!)
自分の内に生まれた勝機に、パンドラは瞠目した。
この。目のまえの男たち。
「ハインツ」と「インボリュート」というのが『真の名』ならば、この状況を打開できるかもしれない。
(真実の名前にはちからがあると、セレンに教えてもらったことがある。だからあの女は、ユノさんの元の世界での名前を……。奪ったと)
ユノの本当の名前を、パンドラは知らない。けれど。
(真の名は、相手に知られてしまえば、その存在を支配されてしまう)
魔法の根源は、まさに自然の名を知りあやつることだ。
呪文に統一性のないのは、世界に流れる現象は、ひとつの個体に与えられる名称のように単純ではなく、長い『概念』として知覚されるからだ。
そしてそれは、共通認識でありながら、ちがう言語としての了解が許容される。
だから魔法にはいろんな流派があり、同じ魔法でも各門派で呪文がちがうものの、起せる事象は同一なのだ。
(個人をあやつるのは、もっと単純な呪術だって言ってたっけ。なら。人間の状態の私でも、この場をしのぐくらいのことはできる)
パンドラの今のすがたは本来のものではない。魔鳥の血を引く彼女は、通常なら、背中に翼の生えているはずだった。
それが長期間にわたって抑えられているのは、妖精の作った人化薬のおかげである。そしてその薬は、魔物の形質を抑えると同時に、魔族にとっては唯一の利点とも言うべき魔法のちからをも抑止した。
(ハインツ……。インボリュート)
相手の名前を頭のなかで反芻する。
決して。まちがえないように。
ユノがいなくなった今でこそ徒労でしかないが、パンドラは、目のまえのふたりを退ける気でいた。ユノのかたきではなく、自分を害する、純然たる「敵」として。
(やっぱり私は、『魔』族なのね)
害されたのは気分なのだ。単純に、不愉快なだけなのだ。
ケガを負いたくなければ、逃げればいい。
(イラっと来たからケンカを売るじゃあ。まるで動物だわ)
ぽかりとパンドラの胸の内に、自嘲の念が浮かぶ。寂然とした感情。
「天国へのお祈りは済んだかな?」
剣をジャグリングしながら、インボリュートが歩いてくる。
目のまえの小娘など、いつでも容易く屠れると思っているのだ。
(ミスは、許されない)
散歩するような速さと気楽さで近づいてくる若い男と、うしろで完全に見物の姿勢の大男を、パンドラは見据える。
(どちらかを制御して。……それから。もう一方が真名の支配に気づくより先に、そちらも調伏する。そしてその拘束力は、絶対の威力でなければならない)
例えば。『死』のように。
同時にふたりの名を呼ぶことは、物理的にできない。そうである以上、ひとりを言葉でねじ伏せたとして、もうひとりを同じように組み伏せるよりまえに、『名』を唱えられないようくちを封じられれば、それまでだ。
(やっぱり。ハルモニアさまの面倒をみてるほうがよかったかも)
今更ながら、泣き言を胸中で吐露する。




