32:くちより先に手を動かそうか、みたいな。
〇前回のあらすじです。
『水をアドニスに催促されて、ユノがまごまごする』
「すみませんアドニスさん。これを使っても、フレデリックさんはもう――」
下から鋭い爪で斬りあげてくるグールを、アドニスは後方にころがって避けた。
赤々と火事のともしびに燃える広場で、アドニスはグールと打ち合うたび、ユノから徐々に離れていく。
傷だらけの篭手が、火の色を強烈に反射していた。アドニスがユノに伸ばしたものだ。
「とっ。とりあえずユノ。それを俺に貸そうかっ!」
「あっ……。は、はい」
瓶をユノはアドニスに放った。
よく考えてみれば、理屈でだめでもやってみないことには分からない。
もしここでユノが勝手にあきらめて、泉水を服用させず、フレデリックを殺したあとで「実は水をのませたら戻るよ」なんてことが判明したらあほらしい。
緋色の――テールランプのように鮮烈な放物線を描きながら、瓶は宵空を飛ぶ。
ぱしっ。
透明な液の入った瓶を、アドニスが片手でキャッチした。
右手で彼は、牽制の横薙ぎを放つ。魔物――グール化したフレデリックは、鋼色の剣尖に阻まれて、バックステップを踏んだ。
『があああ!』
殺しきれなかった勢いが声に出たのか。
あるいは。自慢の一撃を繰り出せずに終わったのが口惜しいのか。
ねばついた唾液が、肉食獣のごとく鋭利な牙に糸を引いた。
「きったねーとか言うなよ!」
ひと息に、アドニスは獣に肉薄した。
金属の篭手に守られた右手を、なおも喚くグールのくちに突っ込む。その手に握りしめた小瓶ごと――。
ばぎゃああッ!
硝子の器が嚙み砕かれた。
長い牙が、アドニスの歪んだガントレットを捕らえる。
「ぐおっ……」
振り払おうと、アドニスは腕を振った。が、グールのその猿面は、鋲で留めたようにはずれない。
ぼふおんッ!
原人めいたグールのくちのなかが破裂した。
獣の頬がやぶけ、破れ目から筋肉や歯茎、根元まで肉のえぐれた歯がのぞく。
しゅうしゅう。
化け物の傷口から白煙が上がっていた。
グールにもたらされた変化は、それだけだった。




