31:だから正義の味方はうさんくさい
〇前回のあらすじです。
『泉にいるユノを呼びに来たテノンと共に、グールにおそわれた村に向かう』
〇
村のほうから黒煙がのぼっている。
空は炎の赤色に焼けていた。
泉にいた時には、黒い空ばかりが広がっていたので、きっとあそこは、ミースの村のある地から、まったくべつの場所……。遠く離れた領域だったのだろう。
火の手は民家からあがっていた。
化け物が放ったのか。戦闘中に松明が屋根や壁に燃えうつったのか。
丸太づくりの家々は、ごおごおと音をたてて、村一帯を明るくしていた。
「ちっ。なんだっていきなり……」
のびて刃物のようになった爪を、抜き身の剣で受け止めながら男は毒づいた。
平常時には村民の交流の場として。祭事には儀式の中心地として機能する広場に、武装した男たちが詰めかけている。だが、化け物の相手をしているのはひとりだけだ。
壮年の、黒髪に青い目の剣士。
彼を取り巻く人々とは、趣の異なる風采――軽鎧と脚絆の旅装束に身をつつんだ冒険者。アドニスだ。
ぎりぎり。
するどい爪を白刃の向こうから押してくるのは、鋼鉄の全身鎧をまとった、灰色の肌に獣の面をした、人型の怪物。
「はやく殺しちまえよ!」
「苦戦してるなら手を貸すぞ!」
鉄の戦斧や槍をかまえた男たちが、くちぐちにアドニスのうしろから、加勢を申し出る。
しかしアドニスは首を横に振りつづけていた。無論。周りで手をこまねいている防人たちとて、親切心から助成するのではない。
アドニスの拒絶は、彼らにはたまったものではなかった。
というのも。アドニスが化け物との交戦を長引かせてしまっているがために、割れたランプや倒れた松明が家屋に火をつけ、なかにいた住民たちが焼け出されている始末なのだ。
「もうすこし辛抱しろよフレデリックっ。せめて、ユノが返ってくるまでよおっ!」
化け物にアドニスは呼びかけた。
フレデリックと呼ばれた化生の者が、うしろに跳躍する。
皮の手袋を突き破ってのぞく、獣毛と硬い皮膚におおわれた猿のような手を鉤の形にかまえて、目のまえの男に突進しながら振りかざす。
「がっ!」
後方に跳ねてかわしたものの、胸当ての下――チュニックのみの腹部が、斬撃の余波に切り裂かれた。
厚手の布を割って、奥の肉に三条の爪痕が走る。赤い液体がにじみ出る。
防戦一方。
アドニスはフレデリックとの対峙において、剣を盾代わりに、相手を極力傷つけない戦法を取っていた。
けれど。もはや納刀すべき鞘は捨て、白刃をかまえている以上、アドニス自身、眼前の猩々のような獣――グールを、かつての戦友とは見れていない――。
なまじ見ていたとしても、斬るべき時には斬るだろうということは、本人自身自覚してもいた。
まだユノの到着が遅れるようなら。もはや。攻撃に転じるしかない――。
「あっ。アドニスさん!」
背中に声が飛んだ。
横目に、アドニスはそちらを確かめる。
赤い景色に、帯刀した少年が駆けてくるのが見えた。
黒髪に黒目。なかに鎖を仕込んで補強しているだろう旅用のジャケットに、外観に反して容量のありそうな鞄を、肩から斜にかけている。格好だけなら、いっぱしの冒険者の若者。
「おお。ユノかっ。泉の水は……」
寸でのところでグールの斬撃を剣の腹で受け流し、ちからの流れを利用して、相手の首にまわし蹴り叩き込む。
その一撃で、アドニスはやろうと思えばいつでもこの交戦中の魔物を屠れると、ユノには分かった。
ユノ自身、グールとは一度戦ったことがあるが……。数が多ければ苦戦するものの、一匹一匹は、外見の凶悪さほどのつよさはない。
汲んできたばかりの水を入れた瓶を、鞄からつかみ出してユノはかかげた。
「ここに……」
「泉の水?」
ひょい。とユノの脇からパンドラがのぞき込む。
彼女のとなりにいたテノンは、たむろする男たちのなかに兄を見つけて、彼のほうに駆け寄っていった。
「それをなにに使うんですか?」
不思議そうにパンドラがユノに訊く。小さな鼻をつまみながら。
というのも、このパンドラ。魔族の血を引いていて、村に立ち込める魔除けのお香がにおうからだ。
もっとも。お香は人間にはなんの効果もなさない。無味にして無臭で、ユノもパンドラから聞いてはじめて「そんなの焚いていたのか」と思ったくらいだ。
「あのグールの人。……フレデリックさんに使うんだよ。上手くすれば、元に戻せるかもって思って」
「でも。泉は精霊のちからに満ちていたので……。魔にむしばまれた人に使っても、その内面をあばく手伝いしかしないですよね」
「どういう……」
知ったように問いかえすパンドラに、ユノは訊き返しかけた。
パンドラの声は、ユノも自分と同じだけの知識を持っていて、その上で試そうとしていると信じ切っているもののようだった。
そしてユノは、パンドラの説明で気がついた。イメージがはっきりとしたのだ。
なぜフレデリックが、以前にこれと同じものを使って、グール化を早めてしまったのか。
(正体をあばく……)
ここに来るまでに立ち寄ったエルドランの町で、町人を煽動していた聖職者の言葉がよみがえる。あれは決して、一から十までがまちがっていたわけではない。
(あの司祭たちが盲信しているようなカラクリではないとしても。だ)
今日の晩。
アドニスとフレデリックに食事を用意する際に、村長のエッダが発した『魔に中てられないように』という警告。
なにを以て『魔』として、なにを指して『魔にあてられる』というのかはユノには不明だったが。
なんとなく。
フレデリックにはその要素があったように感じた。
かつて、コルタという町で出会った時には、まぶしいほどのものだったが――。
(そうか。たぶん。それでフレデリックさんは……)
彼が、もとから魔物であったわけではもちろんない。
陳腐な表現になるが、人間という種のかかげる『正義』のうちに、いつだって邪が存在しているのだ。
というよりも。
善悪の二元論を過信する、己の精神の未熟さをごまかし目をそむけたいがために、他者を蹂躙し、優越の錯覚を得ようとする時。
人は正義の仮面をかぶり、自分の内にある悪業を、誰もがなっとくする(と信じてやまない)『正当性』で鎧うのだろう。
当人に、悪意の自覚があるかないかはべつとして。
泉の水は、そうした化けの皮を剥がす。
そして内奥でゆっくりと覚醒しつつあったその者の本性を、表出させる。
「おいユノっ。もたもたしてないで……。そいつを、寄越してくれ!」
怒号にも似たアドニスの声が割り込んだ。
瓶をユノは、彼のほうに放り投げようとちからをこめる。
が、できない。
(これは効果がなかったんじゃない。フレデリックさんに元々あった、ある衝動が、これを使ったがために刺激された。だとしたら……ッ)
ユノの懊悩を察したのか。彼の横顔を見あげて、パンドラがつづける。
「斃すなら使ったほうがいいですよ。精霊に聖化されたものは、表層にあらわれた魔性を祓いますから」
「つまり……」
冷や汗をかいてユノは先をうながした。『魔性を祓う』とは、一見耳心地のいい効果だったが、そうした言葉は大抵の場合、巨大な暴力性を秘めている。
「浴びた部分がただれる。ということです。でも、ひるませるくらいには役に立つかも」
きっぱりとパンドラは言った。
なおもグールの攻撃を防ぎながら、アドニスが怒鳴る。
「おい、ユノッ。なにをさっきからぐずぐずと……」
急かされて――。
投擲のかまえを、ユノはを解いた。
首を振って、アドニスに答える。




