30:お子ちゃまたちよ
〇前回のあらすじです。
『異世界メルクリウスの現状に、ユノが疑問をもつ』
「それで、」
とパンドラは言った。
「私が頼まれたことっていうのはね。ユノさんを精霊のところにつれていくことなの」
いったんユノは思考を打ち切った。渡りに船とはこのことだ。セレンにどんな思惑があるにしても……。
「知ってるの? ビビアンさんがどこにいるのか」
「うん。ほんとは届けもののほうが本題なんだけどね。ここじゃあ人が来ちゃうから――あ。ほら」
小さな顎を、ユノのうしろの闇に向けた。途端。
空気がゆれた。
風が吹いたのとはちがう。森の空間全体がゆらいだような。
三半規管の狂いめいた揺らぎ――結界を抜けた、なにものかの気配があって、ユノもパンドラも言葉を止めた。
「いたあっ。ユノ!」
泉とその外との間を、文字通り飛び越えてきたのだろう。八才ほどの少年が、土の地面に跳びおりざまに駆けてくる。テノンだ。
「おいユノ。おまえなにしたんだよ!?」
「え?」
ぐいっ。とジャケットのすそを引っぱってわめく少年をユノは見下ろした。民族的な衣装を(いしょう)つけた彼は、灰色の眼をぎゅッと鋭くして、自分より十ほど年上の少年を、にらみつける。
「地下牢の化け物が、急に暴れだしたんだ。ユノが飯を持っていって……。ちょっとしたくらいにだよ!」
一気にテノンはまくしたてた。
そのあどけない目が、不意にユノの向こうに焦点を結ぶ。
きょとん。とパンドラは、なんの事情かもわからない体で、少年を見つめ返す。
怪訝になって、テノンはパンドラを見据える。
「なんだおまえ。村の子ども……じゃあないよな。どっから入ってきたんだよ」
くちを尖らせて言うテノンに、パンドラは白いほっぺをふくらませた。自分よりも明らかに年も背も低い少年に、長衣の両袖から剥き出した肩をそびやかす。
「おまえですって? あなたねえ。くちの利きかたがなってないわよ。自分だってまだ小さいくせに。生意気だわ」
「うるっせえ。年なんてそんな大して変わんねえだろが。――と。こんな変なガキ相手にしてられないんだった」
両手でテノンはユノの右腕をつかむ。と、つい今しがた抜けてきた透明な帳へ踵をかえす。
「とにかく来てくれよ。ユノが原因じゃないかって、見まわりからすッ飛んで帰ってきた連中も疑ってる。――ったく。だからあんなの、村長さんの言ったとおり、さっさと殺しておけばよかったんだ」
(……できなかったんだ。その時には)
最後のほうのテノンの独り言に、ユノは胸中で答えた。
脳裏に、牢の番をしていたアドニスのようすが過ぎる。
彼は村が大事にならないように、魔物化しつつあるフレデリックを見張ると提案し、それを条件に殺処分の延期を申し出て、実行した。
(長いつきあいだって話だもの。……もちろん。そんなのミースの村の人たちには関係ないけど)
そしてフレデリックが暴走してしまった以上、アドニスは彼に引導を渡すべく、鯉口を切らざるを得ないだろう。
もう。彼らに猶予はない。
「なあにぼけっとしてるんだよ。冒険者なんだろ、ユノも。退治、手伝ってくれよな」
ぐいぐいテノンが手を引っぱる。
一度ユノはパンドラを振り向いた。
このままテノンを振り切って、精霊のところへ行くことは――。腕力にまかせれば、ユノにはできることだった。
どれだけ語気つよく、気丈に振るまっても、テノンはまだ十にも満たない子供。
十七才で、しかもモンスターとの交戦も頻繁に起こる旅をしてきたユノとでは、圧倒的なちからの差がある。
「行っちゃうの?」
残念そうにパンドラは顔を伏せた。
悲しげな双眸には、ありありと「はやく用をすませて帰りたいのに」という無念がただよっている。
それはそうだろう。
「ごめん。パンドラ……。ここで待ってて」
「待つくらいなら、私も行くよ」
走り出したユノとテノンに、パンドラがつづく。
背中越しにテノンがさけんだ。
「ばかっ。おまえはついてくんなよ、子供なんだからッ。あぶないんだぞ!」
「あなただって子供でしょ。ってゆーか。あなたのほうが子供でしょ!」
「なんだとお!」
まえとうしろで言い争いをはじめたテノンとパンドラに。
「そんなのどうだっていいじゃないか。村に急ぐんでしょ。走りながらしゃべってると、舌噛んじゃうよ」
「だあって!」
「この子があ!」
同時におたがいを指さして、テノンとパンドラは訴えた。
そのあとも軽い言い合いをしながら――まごまごと、ユノはそんな子供たちをなだめつつ――三人は、夜の森を疾駆した。




